2006年度夏学期 EALAIテーマ講義 東アジアのドキュメンタリー映画 個人映像から見える社会

木曜5限(16:20-17:50) 教室:学際交流ホール(アドミニストレーション棟3階)
担当教員:刈間文俊 協力:藤岡朝子(山形国際ドキュメンタリー映画祭コーディネーター)
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

アンケート紹介

2006.5.11(木)「個人的なことは政治的なこと」 ミッキー・チェン/『美麗少年』監督、ゲイ・アクティビスト(第一回)

この作品『美麗少年』では登場人物が幸せそうに生きている姿を描くことで、多くの反響を得たのだと思う。(2年文Ⅰ)


自分が今まで触れたことがない、しかも自分とは違いすぎる世界で、何を書けばいいのか、悩んでいる。(1年文Ⅱ)


誰もがなんらかの形でマイノリティーであり、他者なのである。いわば良識として、その人のアイデンティティをしっかり見つめなおすことが必要だと実感した。(1年文Ⅲ)


自分はゲイだと公表する人を見て、自然に接することができないが、将来的には変わるだろうか。(1年文Ⅲ)


「台湾はなんてオープンなゲイ文化なんだ」と単純に驚いたのであるが、台湾文化を相対的に見てゲイ文化はいつ頃から認識されここまでになった歴史を知りたい。(2年文Ⅲ)


映画の中の彼らのいきいきした姿が記憶に残った。ゲイの人も、他と変わらなくて、ただ同性を好きなだけだっていうのは、頭で理解していても、なかなかどうして偏見みたいなものが自分の中にあって……。でも少し変わった。ドキュメンタリーの威力だと思った。日本のゲイ文化についてあまりに無知なことに気づかされた。(1年理Ⅰ)


小丙のオヤジがすごいキャラクターが良かった。(2年文Ⅱ)


特に気になったのは「僕はゲイだ」とクラスの前に自由に認めた人に対してのクラスの子たちの態度が変わらなかったことだ。それはとてもすばらしいことと思う。多くの国ではたぶんその「よそ者」がいじめられると思う。とてもいいメッセージを持っている映画でたくさんの所で上映して下さい。(1年文Ⅲ)


同性愛が間違っていて異性愛が正しいとは思っていないから、社会的にもっと認めていくべきだとは思うけど、自分の家族・友人など身の回りの人がゲイ・レズだった時に受け入れられるかはわからない。ただ、オタクが認められつつある世相を見ると、ゲイが認められる日も近いのだろうか?(1年文Ⅱ)


自分は知り合いにゲイ(とカムアウトしている人)がいないのですが、台湾の大学では100%挙手するという話をきいて、日本ではまだアンダーグラウンドな問題なのだと実感しました。同性愛がアンダーグラウンドに存在する土壌で、パーソナルなドキュメンタリーの重要性を感じました。一方で、“straight”な性規範を押しつける流れは日本にも存在していますし、性教育の問題も密接にからんでくると思います。(2年文Ⅰ)


「性」が人間のアイデンティティの重要な部分であることが分かった気がする。(1年文Ⅰ)


マイノリティである彼らに対し、社会は除外あるいは隠そうと努め、私の今までの教育過程の中で同性愛について一度も理解を深める機会がなかった。そういう意味では在日の方や部落問題以上に巧妙に隠されている社会的問題だ。(2年文Ⅲ)


台湾でも「美麗少年」に出演していた人たちのように自分が同性愛者であることを自ら進んで話す人はそれほど多くないのかもしれませんが、近いうちに日本でもあのように少数派の人々がどこでも誇りを持って生きていけるようになるといいと思います。(1年文Ⅲ)


マイノリティの人とそうでないマジョリティの人を較べたとき、映画を見ていて、受け容れるということに関して、その能力がとても違ってくると感じました。(2年理Ⅱ)