2006年度夏学期 EALAIテーマ講義 東アジアのドキュメンタリー映画 個人映像から見える社会

木曜5限(16:20-17:50) 教室:学際交流ホール(アドミニストレーション棟3階)
担当教員:刈間文俊 協力:藤岡朝子(山形国際ドキュメンタリー映画祭コーディネーター)
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

アンケート紹介

2006.5.25(木)「ドキュメンタリーとフィクションの狭間」 門林岳史/日本学術振興会特別研究員

 「あらゆる映像はフィクションである」というテーゼはしばしば語られることである。しかしそこに留まらず「あらゆる映像はドキュメンタリーである」とひっくりかえした言い換えを門林氏の分析は教えてくれた。どちらかを重んじて他方を排するわけではなく、二つが相反しつつ共存する関係は新鮮な指摘であった。自分もマスメディアで活動したことがあり、メディア・リテラシーに関して感じることもある。それは、メッセージの発信者もまた人間であるという当然の、しかし忘れられがちなことである。(1年文Ⅲ)


 (よく考えてみると、また言われてみると至極当然のことだが)、「ドキュメンタリー≠現実」であるということだ。今まで自分が盲目的にドキュメンタリーを現実そのものとして見ていたことに気付いた。(1年文Ⅱ)


 僕が恐怖に感じたのは、『愛についての実話』のエンドロールがなかったらどうなるのだろうか、完璧に「ドキュメンタリー」の装飾を施したフィクションを提示されたら自分はどう受け取るだろうか、ということです。虚構を創造しなくとも、意図的にある真実を隠蔽すればそれはフィクションたりうるでしょう。(2年文Ⅰ)


 ドキュメンタリーにはドキュメンタリーだと人に認識させる形式があり、その形式を取ってしまうと、フィクションでも気付かないのは恐いことだと思う。政府広告等の情報操作につながってはいないか?と考えてしまう。(1年文Ⅱ)


 ドキュメンタリー映画を製作するときに、事実と搾取とのはざまが製作者にもわからなくなるということに興味を覚えた。自分の持っている知識や社会的な立場などによって、人には考え方に偏りがあるのはあたり前で、今まで僕は映画を製作する人達というのは、たとえドキュメンタリー映画であっても、事実に自分の考えなどを組み込んで他者に伝えたいと思っている人達だと考えていたので、純粋に事実を伝えようという考えには意外だった。(1年理Ⅰ)


 好きな作家の修辞であった、事実と真実は別のものであり、虚構は真実とも成り得て、真実は文化と成り得る、といった感じの言葉を思い出しました。(1年理Ⅱ)


 事物の一面しか切り取れないという観点から言えば、一人称でしか認識できない現実すらもフィクションであるとは言えないだろうか。もしそうならば現実なんてものは存在しないか、もしくは我々にとって一切意味のないものと言える。(2年文Ⅱ)


 断片的な実際の映像をつなぎ合わせた場合、さらに事実から遠ざかるのは明らかである。我々が実際見ているものも、我々の主観と視野によって切り取られたものでしかなく、事実ではなさそうである。人間が事実を見ることはあり得ないのかもしれない。(文Ⅰ)


 ドキュメンタリー映画と言えども、何か映画という表現自体を主眼としフィクションも織り混ぜ、効果的に観客を魅せるものがあることに驚いた。そもそも“あらゆる映像はフィクションである”という認識は、ドキュメンタリーの映像作家にとって恐るべきものであると思っていたが、現実をカメラで切り取り複製する限りにおいて、多くの作家はそういった認識を強く持っているのかもしれない。その前提のもとで、現実と虚構の交差する緊張感溢れる映像こそが、ドキュメンタリーの魅力ではないかと思った。(1年文Ⅲ)


 この講義は映画を細かく解釈していくことではなく、ドキュメンタリーの持つ映像の真実性への驚きにふれることだと感じていたので、今回の授業はとまどった。(1年文Ⅲ)


 エンディングで、これはドキュメンタリーではなく演出されたモノだとわかった時は“やられた”と思った。でもメリッサ監督はどうして、こんなフェイクのドキュメンタリーを作ったのだろう?(1年文Ⅱ)


 ドキュメンタリーとフィクションの違いというテーマを聞きながら、私は、実はそのような区別に意味はないのではないか、と思うに至った。と言うのも、映画というものには多かれ少なかれ、監督の意思や考え方が入らざるを得ないからである。作品中で明確に示されるか否かによらず、作品を作るからには、“描きたいこと”があるはずである。撮影の段階で、このカットを撮るか撮らないか、編集の段階で、このカットを使うか使わないか、“描きたいこと”はその判断に影響を及ぼす。その意味で、ドキュメンタリーにもフィクションにも差はないのではないだろうか。(1年文Ⅱ)