2006年度夏学期 EALAIテーマ講義 東アジアのドキュメンタリー映画 個人映像から見える社会

木曜5限(16:20-17:50) 教室:学際交流ホール(アドミニストレーション棟3階)
担当教員:刈間文俊 協力:藤岡朝子(山形国際ドキュメンタリー映画祭コーディネーター)
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

講義内容紹介

見ることの意味を問い、東アジアの「いま」を考える

 この10年、東アジアでは個人映像の制作が、質・量ともに急激に盛り上がっている。かつて冷戦の対立の時代には、政府や宣伝機関が特権的にプロパガンダの道具としてきた状況は一変し、題材とスタイルの多様化が進み、いまやもっともしなやかな感覚で、「いま」をとらえるツールとなっている。

 デジタルカメラとパソコンがあれば、個人が映画を作ることのできる時代に、東アジアの若い創作者たちは、日常からなにを切り取ろうとしているのだろうか。いまも残る伝統的な価値観や制度としての検閲、経済的な負担など、さまざまな制約の中で、個人映像から社会を見つめる豊かな可能性が、この連続講義のテーマとなっている。

 東アジアの新進ドキュメンタリーの作り手と、その国の批評家をゲスト・スピーカーに迎えて、作品鑑賞と講演、討論を組み合わせる。


2006.4.13(木)イントロダクション
授業当日の学生アンケートへ

上映作品:『送還日記』 A Repatriation
(監督:キム・ドンウォン/韓国/2003/韓国語/全編148分、うち50分上映)

2006.4.20(木)「韓国ドキュメンタリーの復権」キム・ドンウォン(Kim Denguon)/『送還日記』監督
韓国ドキュメンタリーは軍政下の80年代民主化運動と切れない歴史をもつ。権力者のものだったドキュメンタリーが個人の自己表現の道具になるまでの20年間をキム監督の半生から考える。 授業当日の学生アンケートへ

キム・ドンウォン
1955年生まれ。1980年代、劇映画の助監督を経てドキュメンタリーを撮り始める。1991年にドキュメンタリー映画製作集団プルン映像を設立し、30本以上のドキュメンタリーを製作、監督してきた。特に再開発などによって都市から締め出された人たちや民主化運動、南北分断問題に関する作品を多く発表する。代表作は『サンゲェ洞オリンピック』(1988)、『ミョンドン聖堂の6日間の闘争』(1997)。『送還日記』(2005)は韓国で公開、記録的ヒットとなる。独立映画協議会議長、韓国民族芸術連合映画委員長、韓国独立映画協会理事長 等を歴任し、韓国 におけるドキュメンタリーと独立映画界の精神的な支柱となっている。

2006.4.27(木)「ベトナムと中国:社会主義国にドキュメンタリーは可能か」 刈間 文俊(かりま ふみとし) KARIMA Fumitoshi/東京大学教養学部教授
社会主義の制度下でドキュメンタリーは自由に作れるのか。検閲やさまざまな規制の中、映像作家はどのように個人の声を響かせてきたのだろうか。中国映画の刈間教授がベトナム映画を語る。授業当日の学生アンケートへ

刈間 文俊(かりま・ふみとし)
東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授。専門は中国映画史、中華人民共和国文芸史、研究内容キーワードは社会主義文芸、映画、地下文学、新潮流。主な論文は「映像の負荷と可能性-陳凱歌論」(『表象のディスクール4・イメージ』 東 大出版会 00)、「無力な叫びの戦い―巴金『随想録』」(『文学の方法』、東京大学出版会 96)、共著に『上海キネマポートー甦る中国映画』(凱風社 85)など。

上映作品:『思いやりの話』
(監督:チャン・ヴァン・トゥイ/ベトナム/1986/ベトナム語/45分)

2006.5.11(木)「個人的なことは政治的なこと」 ミッキー・チェン/『美麗少年』監督、ゲイ・アクティビスト(第一回)
伝統的な価値観を覆す新しいライフスタイルの模索を、個人は映像を通してどのように表現できるのか。映像作家でゲイ・アクティビストのミッキー・チェン監督の話から聞く。 授業当日の学生アンケートへ

陳 俊志(ミッキー・チェン)
1967年生まれ。台湾のドキュメンタリー作家、クイアー・アクティビスト。国立台湾大学で英語とアメリカ文学を専攻する。1991年兵役につく。1996年にニューヨーク市立大学での勉学を終え、初のドキュメンタリー作品『Not Simply a Wedding Banquet 』(1997)をミア・チェンと共同監督する。代表作に『美麗少年』(1998)、『非婚という名の家』(2005)。一貫して台湾でゲイとして生きる人たちをテーマとし、作品を劇場公開や公共テレビでの放送を果たすなど社会に大きな影響を及ぼし続ける。

上映作品:『美麗少年』  Boys for Beauty
(監督:陳俊志(ミッキー・チェン)/台湾/1998/中国語/63分)

2006.5.18(木)「個人的なことは政治的なこと」 ミッキー・チェン/『美麗少年』監督、ゲイ・アクティビスト(第二回)
伝統的な価値観を覆す新しいライフスタイルの模索を、個人は映像を通してどのように表現できるのか。映像作家でゲイ・アクティビストのミッキー・チェン監督の話から聞く。 授業当日の学生アンケートへ
2006.5.25(木)「ドキュメンタリーとフィクションの狭間」 門林 岳史(かどばやし たけし) KADOBAYASHI Takeshi/日本学術振興会特別研究員
「映画のイメージは根源的にドキュメンタリー」? 韓国系オーストラリア人監督メリッサ・リーの2本の作品を題材に、気鋭のマクルーハン研究者がメディア形式の分析を試みる。 授業当日の学生アンケートへ

門林 岳史(かどばやし・たけし)日本学術振興会特別研究員。メディア論・表象文化論専攻。主な論文に「メディアの幼年期:マクルーハンのテレビ論を読む」(『映像学』 74)、「探偵、バイオメトリクス、広告:『マイノリ ティ・レポート』に見る都市の時間と空間」(『10+1』40)など。http://homepage.mac.com/kanbaya/

上映作品:『夢の中で』 Soshin: In Your Dreams
(監督:メリッサ・リー/オーストラリア/1999/韓国語、英語/26分)
『愛についての実話』 A True Story about Love
(監督:メリッサ・リー/オーストラリア/2001/英語/27分)

2006.6. 1(木)「マスメディアが伝えきれない現実」 ヤン・ヨンヒ (梁 英姫) YANG Yonghi/『Dear Pyongyang』監督
在日朝鮮人二世の映像作家ヤン・ヨンヒ監督を迎え、北朝鮮に家族を持つ者の実人生を映像化し発表した経験談から、マスメディアの限界と個人映像の可能性について考える。 授業当日の学生アンケートへ

梁 英姫(ヤン・ヨンヒ)
大阪市生まれ、在日コリアン2世の映像作家。朝鮮大学校(東京)文学部卒業、米国・NY ニュースクール大学大学院修士号取得。教師、劇団女優を経験後、ラジオパーソ ナリティーに。1995年からドキュメンタリーを主体とした映像作品を発表。『What Is ちまちょごり?』『揺れる心』『キャメラを持ったコモ』などはテレビで放送。テレビ朝日・ニュースステーション等、報道番組の取材・出演で活躍。1997年渡米、約6年間ニューヨーク滞在。2003年帰国後、初の長編ドキュメンタリー『Dear Pyongyang』を完成、サンダンスやベルリンなどの国際映画祭で受賞。2006年の秋に一般劇場公開を控える。http://www.film.cheon.jp/

部分上映作品: 『Dear Pyongyang』
(監督:梁英姫(ヤン・ヨンヒ)/日本/2005/日本語、韓国語/107分)

2006.6. 8(木)「中国でインディペンデンスの意味を問う」 クリス・ベリー(CHRIS Berry)/英国ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ教授(第一回)
上映の機会が制約される中で、実質的に広がる製作の自由。中国ドキュメンタリーの作り手たちはどういう観客を想定し、誰に向けて作っているのか。英国ロンドン大学のクリス・ベリー教授を迎え、共に考える。 授業当日の学生アンケートへ

クリス・ベリー
ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ教授。専門は中国語圏の映画。ほかに中国のテレビ、インディペンデント・ドキュメンタリー、ニューメディア、韓国映画、アジアのクイアーシネマなどもフィールドとする。近年の主な著作は『Postsocialist Cinema in Post-Mao China: The Cultural Revolution after the Cultural Revolution』(New York: Routledge, 2004)、共著に『Cinema and the National: China on Screen』(Columbia University Press and Hong Kong University Press, 2005)、共編に『Island on the Edge: Taiwan New Cinema and After』(Hong Kong: Hong Kong University Press, 2005)、訳書に『Memoirs from the Beijing Film Academy: The Origins of China’s Fifth Generation Filmmakers』(Duke University Press, 2002)など。

上映作品:『イン・パブリック』  オムニバス映画『三人三色』より
From "Digital Short Films by Three Filmmakers"
(監督:賈樟柯(ジャ・ジャンクー) /中国/2001/中国語/30分)

2006.6.15(木)「中国でインディペンデンスの意味を問う」 クリス・ベリー/英国ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ教授(第二回)
上映の機会が制約される中で、実質的に広がる製作の自由。中国ドキュメンタリーの作り手たちはどういう観客を想定し、誰に向けて作っているのか。英国ロンドン大学のクリス・ベリー教授を迎え、共に考える。
2006.6.22(木)「パーソナル・ドキュメンタリー、家族、身体」 ナム・イニョン(NAM Inyong)/韓国ドンソ大学教授(第一回)
近年来、東アジア各地で急に出現してきた「自分の家族・自分の身体を扱うドキュメンタリー」。なぜ最近出てきたのか、なぜ今までなかったのか。東アジアにおける社会倫理と表現についてナム・イニョン教授と考える。

ナム・イニョン
韓国ドンソ大学教授。ソウル女性映画祭プログラム責任者、ソウル・インディペンデント・ドキュメンタリー映画ビデオ祭プログラム責任者。博士論文は『A Study on the Modes of Representation in Korean Independent Documentary Films (Dept of Film Theory, The Graduate School of Advanced Imaging Science, Multimedia and Film, Chung-Ang University)。編共著に『Korean Independent Documentary (Seoul: Yedam, 2003)、共著に『Contestant Images: Korean Culture and Film in 1980s』(Seoul: Malgil, 1993)、訳書にFredric Jameson著『Signatures of the Visible』(New York: Routledge, 1992. Korean version published by Hannarae, 2003)など。

上映作品:『家族プロジェクト―父の家』
Family Project: House of a Father
(監督:チョ・ユンギョン/韓国/2002/韓国語/52分)

2006.6.29(木)「パーソナル・ドキュメンタリー、家族、身体」 ナム・イニョン/韓国ドンソ大学教授(第二回)
近年来、東アジア各地で急に出現してきた「自分の家族・自分の身体を扱うドキュメンタリー」。なぜ最近出てきたのか、なぜ今までなかったのか。東アジアにおける社会倫理と表現についてナム・イニョン教授と考える。
2006.7. 6(木)「ペンのようなビデオ」 森 達也(もり たつや) MORI Tatsuya/『A』『A2』監督
生まれたときから映像が生活の一部になっている世代の作り手たちは、ビデオカメラをペンのように自由に操る。ノンフィクションライターとしても著名な森監督と、文字メディアとの違いも考察する。

森 達也(もり・たつや)
映画監督、ドキュメンタリー作家。1956年生まれ。テレビドキュメンタリー作品を数多く制作。1998年、オウム真理教の荒木浩を主人公とするドキュメンタリー映画『A』を公開、ベルリン・プサン・香港・バンクーバーなど各国映画祭に出品し、海外でも高い評価を受ける。2001年に『A2』を完成。ノンフィクションの著書も多い。『悪役レスラーは笑う―「卑劣なジャップ」グレート東郷』(岩波新書)、『ドキュメンタリーは嘘をつく』(草思社)、『戦争の世紀を超えて その場所で語られるべき戦争の記憶がある』(講談社)、『世界が完全に思考停止する前に』(角川書店)、『ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー』(角川書店)など。

上映作品:『放送禁止歌』
(監督:森達也/日本/1999/日本語)

2006.7.10(月)「いま記録しなくては消えてしまう」 鄢雨(イェン・ユィ) YAN Yu/『水没の前に』共同監督
世界の映画祭で話題をさらった中国ドキュメンタリー『鉄西区』と『水没の前に』。前者は国営工業地帯の没落、後者はダムの建設で沈む町を描き、長期撮影と「まもなく消えゆく」風景とコミュニティを記録した。映像による記録と作品化の重要性を監督と共に考える。

鄢雨(イェン・ユィ)
1971年重慶生まれ。1994年から1998年まで重慶テレビニュース部に勤め、フォトジャーナリストとして活動を始める。その後北京に移り、ドキュメンタリーやドラマシリーズ、広告の撮影を行う。李一凡(リ・イーファン)とふたりで、三峡ダムの建設で沈む長江沿岸の町奉節で長期撮影。完成したドキュメンタリー『水没の前に』(2004)はベルリン、パリのシネマ・デュ・レール、香港、山形など世界の国際映画祭で受賞し評判を呼ぶ。

当初予定されていた李一凡監督の来日が、都合により『水没の前に』の共同監督の鄢雨(イェン・ユィ)に変わりました。

2006.7.18(火)「アーカイヴを使った社会批評」 佐藤 真(さとう まこと) SATO Makoto/『阿賀に生きる』『Out of Place』監督
ドキュメンタリーは同じ映像素材でも製作者の視点によって正反対の意味を提示することもある。アジアの若い作者によるアーカイヴ・ドキュメンタリーを上映し、佐藤監督と討論する。

佐藤 真(さとう・まこと)
1957年生まれ。ドキュメンタリー監督。学生時代に訪れた水俣でドキュメンタリー映画と出会い、『無辜なる海』(香取直孝監督)の製作に参加。その自主上映の旅で新潟・阿賀野川に暮らす人々と出会い映画作りを決意し、スタッフ7人で3年暮らして『阿賀に生きる』(1992)を完成。各賞を受賞。監督作品は『まひるのほし』(1998)、『SELF AND OTHERS』(2000)、『花子』 (2001)、『阿賀の記憶』(2005)など。最新作は『Out of Place』(2006)。著書に『日常という名の鏡』、『ドキュメンタリー映画の地平』(凱風社)など。京都造形芸術大学教授、映画美学校主任講師。

上映作品:『忘れないで!』 Don't Forget Me
(監督:マヌットサック・ドークマーイ/タイ/2003/タイ語/10分)
ほか