EALAI:東京大学/東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ | EALAI・「東アジア海域交流」テーマ講義 | 海の東アジア ― 海域交流から見た日本

月曜2限(10:40-12:10) 教室:13号館1321
担当教員:齋藤 希史・小島 毅
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

アンケート紹介

2007.01.29(月)小島毅「まとめ」

海の東アジア 第13回学生アンケート(2007年1月29日)


寧波の重要性については、このテーマ講義を通じてある程度、理解したつもりでいたのですが、東山御物の出所や、道元等が修行していたのが“長安”ではなく“寧波”(あるいはその近辺)であったことは意外でした。(文Ⅱ・2年)


ブローデルを引き合いに出したにしては、視野が小さいのではないだろうか。(文Ⅲ・2年)


この講義で特に強く感じたのは、歴史には多様で多角的なものの見方が存在しているという、当り前ではあるが忘れられがちなことである。日本をより開かれた空間としてとらえるということを念頭において、これから歴史を自分で学んでいきたい。(文Ⅰ・1年)


東アジアという視点は中世日本の政治文化を語る上で不可欠であることがわかった。しかし逆に同年代の中国にとっては東アジアというカテゴリーは必要であるかは疑問である。中国にとっては日本・朝鮮は周辺国の1つ以上の意味はあるのか。中国にとって北・西・南と同程度の重要性しか持たないなら結局日本中心の歴史の見方にしかならないと思う。(文Ⅱ・1年)


自分は世界史・日本史をともに学習したので世界史にほとんど寧波がでてこなかったのもよくわかります。というか、ここまでの深い関係があるということは、別の地域でもこれと似たような状況があってしかるべきではないかと感じました。(イギリスとフランスの1都市みたいな)。このような視点は常に持っていたい。(文Ⅱ・1年)


第1回のガイダンスで講義予定を聞いた時各先生の様々な分野が並んでいて、それぞれに興味を引かれた半面、テーマ講義としてテーマは通じるのか?とかすかに思った記憶がある。海でつながる東アジアというテーマはよく分かったし開講の趣旨もはっきりしていたが、各講義がそれにそうのかどうかちょっと疑問だった。しかし回を重ね、そして今回のようにまとめてみると、一本の芯が改めて通って良かった。「日本―国史」「閉じられた日本」という一般的な認識(誤認識?)から「東アジア」という世界認識へと見方が広がって楽しかった。かつては日本と深く関わっていた寧波なのになぜ今は皆知らないのか今さらながらとても不思議に思う。寧波のように日本ゆかりの地なら、周さんも紹介していたように、観光としても悪くないだろうに・・・。日本が寧波を忘れていった過程やきっかけのようなものに興味をもった。(文Ⅲ・1年)


東シナ海の自然環境の厳しさは中国、他の東アジア諸国と日本の文化交流にどのような影響を与えたのでしょうか。地中海や現代のように異国の情報がすぐに伝わる状況では新しい文化は、他国に伝播し長く影響を与えるというよりは、流行という形で伝わるのではないでしょうか。いくら多かったといっても、たやすくはなかった日本と外国の交流によって伝えられる文化はより大きな影響があったのでは。(文Ⅲ・1年)