海の東アジア 第5回学生アンケート(2006年11月13日)
文字を読めるということは昔の人たちにとっては限られた人たちだけの特権であり、ましてや先進国中国の言葉を使って詩を読んだり、作ったりできるというのはすごいステータスであったのだろうなと思う。(文Ⅰ・1年)
互いに影響をうけるものを選択して主体的に影響を受けあっているというのは非常に目新しく興味深かった。これは東アジアに特有なのか、という点は疑問に残った。(文Ⅱ・1年)
江戸時代の「鎖国」という言葉のイメージからすれば程遠く、漢詩というコミュニケーションツールを駆使して一般教養人が国際的に交流していたという事例(朝鮮通信使)が興味深かった。(文Ⅲ・1年)
詩の交換を盛んに求める日本人に対して朝鮮通信使はお世辞抜きにどう思っていたのか興味があります。非中国人である朝鮮人は自らの漢詩をどう考えていたのか・・・本物の漢詩とかわらない、同じ精神を共有していると考えていたのか。日本人の漢詩を下に見ていたのか。日本人の漢詩も朝鮮人の漢詩も同じ東アジアの世界の同じ文化として受け入れていたのか。(文Ⅲ・1年)
詩というのが、現代においてとはだいぶ異なるものであったことが分かった。詩集が”読むため”だけでなく、詩の手本としてあったというのは興味深いと思った。研究を通してずっと昔のやりとりを今追えるというのはすごいことだと思う。詩というたった1つの切り口でも、その時代の様々なものが見えてくることを感じた。(理Ⅰ・1年)
社会的位相の接続や、選択される感覚世界の意味するところがよくわかりませんでした。「各々の社会がもつものをどこでつなぐのか」とおっしゃっていましたが、どういう意味ですか?(文Ⅱ・1年)
朝鮮通信使と日本人が同じ唐詩の世界に参入して意見交換していたという事実を知って、国を超える大きな世界があうことを実感しました。東アジアに広がっていつつも一様でなくその世界の中にも各々の個別性があって成り立っていることが面白いと思いました。(文Ⅲ・1年)
日本においては漢詩のかわりに和歌がその役割を果たしていたのだろうか。(理Ⅱ・1年)