EALAI:東京大学/東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ | EALAI・「東アジア海域交流」テーマ講義 | 海の東アジア ― 海域交流から見た日本

月曜2限(10:40-12:10) 教室:13号館1321
担当教員:齋藤 希史・小島 毅
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

アンケート紹介

2006.11.27(月)林士民「宋代明州と日本平泉の友好往来」

海の東アジア 第7回学生アンケート(2006年11月27日)


林先生の講義ではスライドも多く、面白かった。平泉から輸出された砂金の量がすごく多かったことなどに驚いた。中尊寺金色堂だけは小学生の頃に見たことがあり、マルコ・ポーロが日本をジパングと呼んだこともわかるなぁと思っていたけれど、この砂金輸出量からもますます納得がいくな、と思った。楊先生の話も興味深かった。他の言語を学ぶためにカラオケ大会を開いたり、寸劇を行ったり、そのような意欲的な取り組みは見習わなければいけないな…と少し耳が痛かったです。(文Ⅲ・1年)


林先生の話では寧波と平泉の交流が具体的に聞けて興味深かった。またゲタさえも中国から影響を受けていることは驚いた。(文Ⅰ・1年)


陶器や建築様式といった美術方面の交流についてのお話が中心で、とても楽しく聞けました。私としては平泉という場所は日本海側よりも太平洋側に近く、寧波から行くにはかなり面倒な場所ではないかと思っていましたが、発掘された品々からも、どれだけ交流が深かったかがわかり、驚きました。平泉を「海上シルクロードの終点」と表現されていたのもとても新鮮に感じました。日本史の教科書を読むだけではまずこんな発想は生まれてこないと思います。(文Ⅲ・1年)


なぜ寧波からは日本の中では比較的遠い平泉との交流がさかんであったのだろうか。平泉といえば12世紀の奥州藤原氏の支配のもと反映したというイメージがあるが、奥州藤原氏滅亡後はどうなったのだろうか。(あと、細かいことかもしれないが、中尊寺は平安末期の浄土教の信仰のお寺というイメージが強かったが、もともとは天台宗の僧がつくった寺だということを初めて知った。)(文Ⅰ・1年)