海の東アジア 第7回学生アンケート(2006年11月20日)
清朝において西洋の自然科学が満州語訳されて受容されたということがおもしろく思いました。医学などは満州語訳はされたが、漢文訳はされなかったというところに清朝の支配階級と漢人との隔たりの大きさを感じました。さらにそのことによって西洋医学が漢文を通して日本に伝わらなかったということも、日本と清朝支配階級と疎遠だったことを表しているような気がします。(文科一類・1年)
満州語に注目するのは意外でしたが、清朝は満州から中国全土に拡大したのでよく考えたら当然ですね。今まで「日本と中国」として考えてしまいがちでしたが、中国内における多様性に気付かされました。(文科二類・1年)
当時の満人官僚の驚くべき教養の深さや、漢文に積極的に訳されなかったことを考えると、漢人に比べ圧倒的少数派だった満人は、支配力を保つために、西洋知識を進んでとり入れたのではないか。(文科二類・2年)
(清朝に)かなりの数学者がいたことにおどろいた。西洋の医学も入りこんでいるとは知らなかった。(理科一類・1年)
翻訳事業に傾倒して亡んだ吐蕃などの国についての言及が興味深かった。数学書を訳す際に言語によって論理的分かり易さが違うのは言語自体の性質なのか、それとも訳者の熱意の違いなのか気になった。(文科二類・1年)
西洋の人にとって、漢文より満州語の方が学び易い、というのも気になる。SVOの置き方は漢文の方がラテン語系に似ているのでは、とも思うのですが。(文科三類・1年)
満州語の文法は日本語、文体は源氏物語というのは面白かった。解体新書がかなり大きな初めての発見だったと思っていたので、その半世紀も前に、解体新書よりもより味のある、詳しいものが発行されていたとは…とおどろいた。それが漢文に訳されていたら、東アジアの医療は大きく変わったと思う。(文科二類・1年)
牧畜生活に慣れていたために、格体全録においてはすい臓や腺などのところの翻訳はうまくいっているが、日本では牧畜生活に不慣れなため、解体新書においては、同じところの翻訳に手間どった、というように、日本だけでは東アジア全体を語れないということが興味深かった。また、(解剖書目次の)並べ方や書き方にも、ヨーロッパと東アジアの違いが表れて、面白い。(理科一類・1年)
『格体全録』の図が西洋的であることや、注釈まで訳してあることが面白かった。また数学書の漢文訳で微妙に質が落ちているのと同じように、『解体新書』も少し精度が落ちているのかな、と思った。翻訳には限界があったのだろうけど、それでも少しずつ受容していく姿勢が翻訳には限界があったのだろうけど、それでも少しずつ受容していく姿勢が日本文化(日本の近代科学?)の発展に貢献したんだろうな、と思った。(文科三類・1年)