日本の側から見た中国像というのは、今まで習ってきた世界史などでも少しは表れてきていると思うが、それだけ取り出して話をうかがったのは初めてだった。次回は、中国側から見た日本(近現代中国の日本観)というので、とても興味深い。(文Ⅰ・1年)
学問を「世界標準」に則って評価することは公正な研究を行うための必要条件であると思う。けれども、戦前日本における東洋史学が結果として陥ってしまったように、「世界標準」が特定の地域(ヨーロッパ)を基準としたものであったなら、そのことにより特定の史観に偏った研究が高く評価されることはありうる。かといって、「世界標準」が全く無ければ、各分野の研究群が総合的に捉えられる事がなくなるという、学問にとって危険な事態になりかねないものである。(文Ⅰ・1年)
桑原隲蔵が史料の正当性について厳密に調べたということを聞いて、民主党の偽メール問題を思い出した。歴史でも、誤った史料をもとにしてしまうと、そこから導きかれる論理展開はすべて誤ったものになってしまうので、史料にあたるときには入念に調べなければならないと思った。(文Ⅰ・1年)
「歴史研究は東洋史・西洋史・国史の三分制を維持しているのに、歴史教育は日本史、世界史の二分制に変化した」というようなあたりが面白そうなのに、そういう話はなかった。歴史研究の話と歴史教育の話をうまくつなげてもらいたかった。多くの人に関係するのは研究でなく教育の方であるし、教育が研究を動かしたりもするのではないか?(文Ⅰ・1年)
歴史は歴史学者によって解釈されるものであり、その歴史学者も人間である以上、主観・政治理念などが入り込んでしまう。それを排除することは不可能であると思われる。歴史の客観性はどのように守られるのか。(文Ⅰ・1年)
歴史を記述する際には完全に中立は難しく、何らかの立場をとらざるを得ないのだと思った。歴史の見方は複数個あり、唯一正しいものが存在するのではないと感じた。(文Ⅰ・1年)
「残された問題」について考えると、世界標準にのっとって評価される側面も、各国の標準にのっとって評価される側面もあると思います。歴史学の場合は、各国の学問があまりに隔絶されてしまうと摩擦を生む要因となります。しかし、世界標準の歴史がかっちりと作り上げられてしまうと世界標準において一国が悪いイメージに固定されることも起こりうると思います。一つの出来事について「この国の立場ではこうなる」「また別の国の立場ではこうなる」というように、いろんな切り口を探す歴史学もあるべきだと思います。それには「交際」が必要だということと考えました。(文Ⅰ・1年)
旗田巍の批判文に残された問題があるように、中国と日本のどちらに即して歴史を研究するにしても、また西洋思想に基づく「世界標準」の歴史観を出してくるにしても、すでに何かしら利己的に偏っているものだから、もはや絶対的な歴史研究方法がない。このような中で本当に異文明・異文化間の相互歴史認識が可能なのか。可能ならばその方法とは何か。とても難しいと思う。今日の中国、韓国と日本の歴史認識をめぐる対立の深刻さを改めて考えた。(文Ⅱ・1年)
私たちが今、歴史として知るものは昔あった事柄でかつ記されたものです。記されなかったものは、後世の人々には歴史として認識されないし、まず、知られることはない、ということに気がつきました。歴史を研究するにあたっては、昔に書かれた「書物」を重視するのだから、昔あった事柄から記されたものだけを研究することになり、そこに限界はないのでしょうか。(文Ⅲ・1年)
各国の歴史を時系列に学ぶことが「世界史」と考えられがちである。しかし、それは世界史を「各国史の総和」とみなすことに等しく、「世界史」を学ぶ意義はなくなってしまう。世界の動きを見ることが、本来の「世界史」ではないか。だとすれば、「東西交渉史」などの学習が重要なのだろう。(文Ⅲ・1年)
今回の講義で印象に残ったことは、歴史家は政治や思想に縛られてしまうということです。それは、歴史家も一人の社会の成員であり、彼らは時代の象徴となることも意味すると思いました。(文Ⅲ・1年)
学問、とりわけ歴史はありのままに記述されるべきで、その点では「○○○に即した研究」を目指すのは良いことだと思う。しかし、歴史を記述するのはあくまで人間であり、少なからず主観が入ってしまう。そもそも、視点は人、国、地域、文化などで異なるものであるから、「これが正しい」「これが間違い」という正誤の二項対立で考えるのは良くない。(文Ⅲ・1年)
歴史とは単に過去に起こった事実としか考えていなかった。書き残されたことだけが歴史だとする考えは、矛盾しているようでもあり、的を射ているようでもあり、いまひとつ理解できない。(文Ⅲ・1年)