アチェ諸王史は、墓碑に関することに多くのページが割かれているので、歴史とは今生きている人だけでなく、亡くなった人によっても形作られたものだという認識があるように思われた。そして、王の誕生には様々な自然が必要要素となっていることから、歴史は人間と自然の関係からつむぎ出されていくものであるとアチェの人々は考えていたのではないかと思った。(文I・1年)
一般化して「東南アジアの歴史認識について考える」というのはある意味無謀であるように思える。(文I・1年)
「今、ここがどういう時であり、どういう空間であるのかを納得する枠組み」としての歴史認識は、交流ネットワークの結節点としての地域分析を基に、多元的な視野から、一つの文化枠組みに必ずしもとらわれないもの、として考えられるのではないか。(文Ⅰ・1年)
王の権威が川などの自然や庭園によって支えられているということから、王権が民衆の意識をうまく利用していると感じた。(文Ⅰ・1年)
口承と記録された歴史に食い違いがある場合はどうやって正誤を判断するのか。判断できるのか。(文Ⅰ・1年)
雨の季節が繰り返されるように、アチェの人々は王権の交代を水のサイクルと見立て理解していたのではないだろうか。(文Ⅰ・1年)
王の作った、あるいは所有した、場所やものに神話的な意味合いが多く見出されるという印象を受けた。これは、場所や者を保存していけば、後世の人も実際に場所やものに触れることによって追体験しやすい歴史認識だと思う。(文Ⅲ・1年)
庶民の歴史認識はどうだったのか、という疑問が残る。(文Ⅲ・1年)
『ブスタヌス・サラティン』による庭園の描写には、水を神聖視しているところがあり、その神聖化を主権の確立につなげている。王朝が続くことは、水が絶えないことと同値となって、それが歴史となっていく。水の流れこそが歴史なのではないか。(文Ⅲ・1年)
歴史認識の前提として、その歴史の主体へと意識が向けられる筈だ。海を通した交流のなかで、どこからどこまでが我々であり、どこからどこまでが他所者なのかという範囲が、より切実な問題となったように想像する。もし王権概念というものを共有することが、我々の範囲の基準となり得るならば、アチェの王を非日常的な、社会を超越する者として認めることが我々の条件となる筈だろう。とするならば、アチェの王は、我々意識の媒体といえるように思う。『王者の庭園』が、王権概念を造形化したのは、媒体として、イスラム以前のものも含めたアチェの我々意識を具現化した、アチェの我々意識の確認であると思う。(文Ⅲ・1年)
王は「アチェ」を象徴する者と永遠の結婚をすることで王権を得るという記述をみていると、それは永遠に境界性を持つということのように思われる。境界により枠組みから開放されるという考えを前提にしたとき、それは何の「境界」なのか。非常に寓意的な表現と神話(イスラム的記述)をもとにしているところを見ると、現世と神話の境界なのではないかと思える。(文Ⅲ・1年)
『王者の庭園』に表現される様々な地形や植物の名前から、創造主としてのアッラーの姿が連想され、その世界を再現することでアチェ王の支配力の大きさのようなものも記されているように感じた。庭園を重要視しているようだが、人間と世界を結びつけるものとしての歴史の存在もあるのか。(文Ⅲ・1年)