2006年度夏学期 EALAI/ASNETテーマ講義 アジアから考える世界史

金曜日5限(16:20-17:50) 教室:7号館741 担当教員:羽田正
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

アンケート紹介

2006.6. 2(金)History writing in pre-colonial regions and empires of South Asia

為政者がつくりあげた歴史だけでなく、民衆が彼等の視点で口伝のような形で歴史を残していないかが気になる。もしそれがあるのなら、より民衆的な歴史が作れるのではないかと思った。しかし民族や宗教が入り組んだインドで、このような作業を行うことは大変だと思う。(文I・1年 )


民衆に関する文字記録が無い時代の民衆について研究することにどれだけ実証性が保証されるのかという問題がまず根本にあると思う。そうした研究の実証性をどの様に確保しているのかに興味を覚える。(文I・1年)


読み書きのできるエリートではなく、一般民衆の歴史を書くのは難しいが、そういう歴史もとても必要だと思う。(文I・1年)


各地方における歴史を重層的にまとめるには主権国家政府の枠が問題にならないだろうか。(文I・1年)


インド人に限らず人々の歴史観が時を経て変化していくのは興味深いことだと思う。(文Ⅱ・1年)


過去に書かれていたものは何でも歴史を知る手がかりになると思う。文学作品は当時の社会や世界観を教えてくれる。少なくとも何か書き残そうとしたことは、その時代に歴史に対する何らかの認識があったことを意味していると思う。(文Ⅲ・1年)


古代の神話は近現代のインドではどの様に捉えられているのだろうか。日本では明治から昭和にかけて、神話を用いて政府を正当化しようとした。このような例はインドには見られるだろうか。(文Ⅲ・1年)


文字で表されたものだけではなく、絵や建築物からも前近代の民衆の歴史は読み取ることができる。それをどう読み取り、歴史として記述していくかが問題であるだろう。「民衆的な」歴史にこそ重大な事実があるかもしれない。(文Ⅲ・1年)


古代の詩の中に民族の概念やそれによる差別の考え方などが埋め込まれ、史実が隠されていたりするのは面白いと思った。(文Ⅲ・1年)