2006年度冬学期 EALAIテーマ講義 東アジアの公論形成 II

火曜5限(16:20-17:50) 教室:12号館1213
担当教員:三谷 博
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

アンケート紹介

2006.12.19(火)「日本のTVと国際報道」金平茂樹

今学期は本講義を含めて4つもメディア関係の授業をとっているので、次々と新しい考え方を吸収しています。各メディア機関に属している個人の中には多数派に流されないような人も少なからずいるらしい(今日の話と矛盾しますが)のですが、日本に特にはびこっている全体主義、多数順応主義的考えに基づく上からの圧力に押しつぶされている気がします。そもそも、多数派を好む日本人の性格にも問題があると思います。その中で、僕は個人がもっと世の中を批判的に捉えられるようになることが最重要だと思うのですが、テレビなどの機関が不十分であり、操られているのが現状である以上、インターネットが担うべき役割はあると思います。正しくない情報が多く、信憑性にかけるとはいえ、第一歩としては草の根的メディアが必要だと思います。そのためにはインターネットをもっと磨く必要がありますが……。(1年/文Ⅰ)


現代の戦争が、「平和」と対なのではなく「安全」の対概念になってしまったという話はとても興味深かった。日本においてマスメディアの立場が変化したのが地下鉄サリン事件・9.11・日朝首脳会談の3つであったというのは身近に感じることが出来た。日頃からメディアに対して批判的であったけれど、実際にそういう場に関わっている人たちも危機感を抱いているのがわかり少しだけ信頼することができた。(1年/文Ⅱ)


メディアの立ち位置が変わったターニングポイントが、自分が生まれて以降であるということにすこし意外な思いを抱きました。それ以外には?それ以前には?ということを。思いました自分は勉強が足りないと思いました。(1年/文Ⅱ)


メディアと安全の問題、切断面の問題に関して興味深いお藩氏を聞くことが出来ました。被害者像の変化に関しても、私が日頃感じていたことが述べられたと思います。送り手側・受け手側双方の努力が必要である事も同意できます。今日一番重要だったのは、しかしながら、“大学論”についての話ではないでしょうか。学生の姿勢の変化、コミュニケーションの変化、大学自体の変化……。ここには書ききれませんが、私も強い問題意識を感じています。大学とメディア、関わりつつ改善へ転換してゆくことを望みます。具体的なことをこれから考えつつ、大学生活を送りたい。(1年/文Ⅱ)


プロパガンダと言う言葉は現代の日本メディアとは関係の無いものだと思っていました。安全を過度に求めすぎることの危険性はゼロリスク社会を追求することの危険性につながると思います。またメディアは物事を大げさに伝えてしまう傾向があると思うので、そういうものが多数派を依り多数派にして、マジョリティーへの依拠を支えてしまっていると思います。(1年/文Ⅲ)

講義概要「現在のメディアと切断点」
○メディアにおける切断点
切断点という言葉は、ミシェル・フーコーが「歴史の切断点」という言葉で使ったもので、切断点を前後して様相が全く変わってしまうことを意味する。メディアに置き換えて言えば、それまで続いてきたある連続がいくつかの事件が切断点となり、それまでの連続を否定し始め、メディアの立ち位置が全く変わってしまうことである。戦前のメディアにおける切断点は、1941年12月8日の真珠湾攻撃や1945年8月6日の広島原爆投下、1945年8月15日の玉音放送で、これらは戦前のプロパガンダ型のジャーナリズムから、二度と戦争をしないというぞという戦後ジャーナリズムへの切断点であり、メディアの立ち位置を全く変えてしまった。このような戦後ジャーナリズムが、最近起こったいくつかの事件によって否定され始めている。その事件というのは、①1995年3月20日の地下鉄サリン事件、②2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件、③2002年9月17日に北朝鮮が拉致を認めた事である。
○地下鉄サリン事件
地下鉄サリン事件は、メディアにおいて次の二つの概念を生んだ。一つは、公共的空間がもはや安全ではないというセキュリティー概念。もう一つは、「反社会性」ということを徹底的に弾圧する社会防衛の概念である。しかしながら、なぜ奇形のカルト集団の成長を止めることができなかったのか、また、なぜ人間はあのような破壊的な活動をするのか、という根本的な問題についてはメディアも学者も司法も分かっていない。
○アメリカ同時多発テロ事件
この事件の理解を深めるために二人の学者の意見を紹介する。一人は西谷修である。彼は9・11について「これまで、戦争の対概念であった平和が、安全に変わった。安全を守るために戦争をするまでになった」と言っている。もう一人は東浩紀で彼は「昨今は情報化の時代であるが、一方で9・11が押し広げたのはイデオロギーなきセキュリティーの暴走である。安全が全てのものに変えられるようになり、万人が万人のために全面監視する状況になった」と言っている。メディアにおいても安全という概念が全面にせり出すと同時に、テロリストが世界共通の敵であるという概念を共有した。
○北朝鮮拉致問題
2002年9月17日に金正日が拉致を認めたことによって、拉致問題が北朝鮮問題の最重要事項となった。この日を境として北朝鮮は日本の敵であると見なされるようになり、beforeとafterが完全に分かれてしまった切断点である。
○現在のメディア
以上の切断点により、メディアはセキュリティー化を謳うようになった。安全を守ることにメディアも協力するようになり、あらゆる議論の停止や判断留保が行われるようになった。このことは、安全を守るために多数派を尊重し、少数派の排除が始まったことも意味する。