2006年度冬学期 EALAIテーマ講義 東アジアの公論形成 II

火曜5限(16:20-17:50) 教室:12号館1213
担当教員:三谷 博
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

アンケート紹介

2006.12.12(火)「日本の新聞と中国報道」清水美和

 制度・社会・文化の隔たりを超えて、正確な報道をするのはかなり難しいことだと思います。そういう架け橋の役をしている記者の仕事に感服しました。情報の共有・透明化はどの国の国民でも望んでいることですが、どの国においても容易ではないことだと思う。(表象文化・研究生)


 昨日たまたま各先進国のジニ係数の表を見てきたばかりだったのですが、最高でもポルトガルの0.37だったことを考えると、中国の格差がいかに大きいかを実感できました。格差の拡大は日本やアメリカに似ているが、圧倒的に共産党が利益を得ているというのは、一見資本主義化が進みながらも、まだまだ開発独裁がはびこっているということで、21世紀型の新たな途上国が抱える問題を少し理解できた気がします。(文Ⅰ・1年)


 韓国や中国と同様、日本においても、国の方針に新聞の内容が従うと聞いてとても驚きました。また、売るために書かれた記事というものもあり、どの情報が正しいのか判断するのは極めて難しいと思いました。(文Ⅱ・1年)


 メディアの内情に関し、中国との関わりについての観点を中心として多角的な情報を得ることができました。個人的には、インターネットにおける情報量が中国においてもかなり大きい、という見解は先日の別の先生の講義における見方と相異しており、インターネットに対する評価が確定していない、またそこから、インターネットに未知の可能性(危険性もあるだろうが)があるだろうことがうかがえておもしろかった。新聞社についてナマの話も聞くことができ、興味深かった。ジャーナリズムはアカデミズムとは異なったアプローチができる、という先生の意見には感銘を受けた。私は何より「活字として残る」強みを生かし、匿名性・流動性を帯びたインターネットに対抗し、また共に発展してゆけるような「新聞」になって欲しいと思った。(文Ⅱ・1年)


 問題状況が存在するのにその事態が明るみに出ないのは、その問題に発言力を持った者たちの利害が絡まない、あるいは、マイナスになる場合で、かつ当事者自身が発言力を得ることができない場合である。ジャーナリストのあるべき姿は、そこを明らかにすることではないか。中国の農民、日本の過疎地域、忘れられた人々はどうすればいいのだろう。(文Ⅲ・1年)


 メディアによって報道されていることを鵜呑みにしてしまうことが、いかに愚かしいことが分かってきた。「報道も商売」だということを念頭に置いておくべきだろう。(文三・1年)

講義概要 「東アジアの歩みから中国を見る」
 授業前半では清水氏と中国の関わりを軸に70年代以降の東アジア情勢が語られた。氏が中国に興味を持ったきっかけは1970年代に起こったタイの学生革命とその挫折である。当時、東アジアでは開発独裁型と毛沢東の自立更生路線という二つの国家的発展戦略が存在した。自立更生路線を支持したタイの学生たちは73年にタノム独裁政権を倒す「学生革命」を起こし、学生だった氏も現地に赴き、直接彼らと連絡を取り合うが、76年秋に「血の水曜日事件」が勃発、氏の友人も含めて多くの学生が殺され、残った学生たちもタイ共産党に合流してジャングルへと逃れた。70年代後半になると、中国・ベトナム・カンボジア間の自立更生路線を歩んだ国家同士の戦争、「アジアの四つの小龍」の飛躍的経済発展、中国自身の毛沢東モデル放棄と改革開放路線への転向が重なり、東アジア各国の共産党は分裂、タイで革命を継続しようとしていた学生も共産党の分裂に伴って投降した。文革時代の公正・平等な分配のあり方を理想としていた清水氏は、東京新聞入社後、中国の変化と文革の否定に嫌気が差し、国内取材に専念したが、86年に幹部の腐敗を問題とした改革開放後初の学生運動が起きたことを契機に、中国にも「格差」に対する問題意識の生きる場があることを確信して中国に赴く。後半は氏による中国社会の分析である。
 当時の中国は急激な成長を遂げる一方で格差が拡大、国有企業の経営者や国家公務員が国有資産を横流しする「官倒」が横行していた。一方で農村・農民に対する差別は顧みられず、都市住民に比べ農村住民は所得が少ない上に医療・教育・養老(介護)の保障が無く、2004年には両者の所得格差は7倍と言われるほどになり、これに対する政策としての農地の流動化の緩和によって4千万~6千万の「失地農民」が都市へ流出した。こうした「二等公民」としての農民の扱いは近年になってようやく注目されつつある。現在も各地で農民騒乱が起こっているが、氏はこれを農民の公民権運動と見なすべきだとする。
 2001年7月、党創立八十周年大会で私営企業家の入党が認められ、さらに2002年の党十六回大会で提出された「三つの代表論」によって「労働者階級の代表」としての党は「中国人民と中華民族の前衛部隊」となって国民政党に脱皮した。自由化の兆候として歓迎された私営企業家の入党も、入党した企業家を調査してみれば国有企業民営化で党幹部から転身した者が大半であることがわかり、党指導層―私営企業家―国有企業管理者という経済的・政治的支配力を持つ「新富人」の存在が明らかになった。政府が「和諧社会」(調和の取れた社会)「公(平ら)と正(義)」をスローガンに掲げて所得再分配に向けた政策を打ち出すも、悉く党内の新富人の抵抗にあっているのが現状である。中国が開発独裁から民主化に進むのか、独裁政権の退場を迎えるのかに関しては、70年代の「格差解消」が再びキーワードになるはずだと氏は見る。