2006年度冬学期 EALAIテーマ講義 東アジアの公論形成 II

火曜5限(16:20-17:50) 教室:12号館1213
担当教員:三谷 博
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

アンケート紹介

2006.10.17(火)「東アジアにおける「公共性」の批判的考察(1)」 孫 歌

中国の農村の公共感覚について、又中国人の政治感覚について全く知らなかったので非常に興味深かった。中国人の政治感覚は、日本人にとって(少なくとも今の)理解しにくいものであるが、この政治感覚の違いはそもそも国民性によるものなのか、それとも法整備という点からの歴史的違いによるものなのか気になった。(文Ⅰ・2年)


中国の農村問題が私達自身にとって切迫したものではないが、日本に通じるものがあると思える。日本の農村に比べ、より国家の歴史に密接に関わっていて、想像していた搾取された受動的な農民という印象ではなく、搾取に敢然と立ち向かうより厳しい姿が思い浮かべられた。一方の中央政府が、どういう風に農民を捉えているのかより気になる。(文Ⅱ・1年)


中国の今の農村は日本の江戸時代の農村(現在でも一部に残っているかも知れないが)と非常に似ていると感じた。文書化されていない「掟」が村の根幹にあって、国家や省の「法」と対立しているというのは新鮮であった。中国が高度な発展を遂げている今日、ある意味で「近世的」な仕組みが残されているという現実にもっと目を向けるべきだというのは同感である。(文Ⅱ・1年)


講義を聞いていると、中国では前近代と近代の二つの要素が、人民と政府の両方において複雑に交錯している様子がうかがえる。先生は農村の論理(人情、信用)を政府の論理(法、契約)とはっきり区別したが、社会契約論的な考え方を用いれば、法や契約の論理も、大前提として「契約相手が自分のことを理解し、その約束を守る」ということがあるはずである。(約束を守らなかったときの罰則も契約のひとつであろう)制度濫用は、構造問題以前の問題であろう。だとすれば、中国における腐敗は構造的問題以前の原因によるのでは・・・。(文Ⅱ・1年)


諸国から「言論弾圧」として非難されることも、内部からすれば「次を作ればよい」という感覚の下、政治的達成の一過程に過ぎない、という現象(氷点週刊の問題)は、日本等において言われる、いわゆる民主主義の論理が必ずしも全世界的に適用されうるものではない、ということを如実に示していると思います。アメリカのThe war for democracyが抱える根本的側面における問題は、意外にも(ある意味、意外ではないかもしれないが)このようなところで表面化しているのではないでしょうか。(文Ⅱ・1年)

講義概要 認識論としての「中国の公共性」①中国における公共領域の磁場 
 「中国の公共性」について、東大生に議論を投げかける形で論じる。今回は題材となる農村問題の輪郭を辿る。
 中国の農村人口は2006年時点で9億人と膨大であるのに対し耕地が少なく、非常に厳しい生存状態にある。都市と農村の二重構造は、建国直後、朝鮮戦争に備えて毛沢東政権が重工業の発展を重視し、農業税を基本として都市への財の集中が起きたことに遡る。改革開放後の82年にはそれまで人民公社にあった土地の使用権は個人単位に分配(分田)され、農民は「小農」に戻ったが、この時点都市との格差が生じていたために、農民が都市へ流動するようになった。いわゆる「出稼ぎ労働者」の数は1.5億~1.7億人といわれる。現代化が進むにつれ、国家財政収入を支えた農業税は次第に減少し、2006年には廃止された。
 農業政策に関わる論争は近年でも激しく、特に土地の使用権と所有権の問題は大きい。使用権が個人にあり、所有権が国にあれば、都市で困窮した出稼ぎ労働者でも再び農民に戻れるが、ブラジル・メキシコの場合は個人が私有の土地を手放すために、大型で安定性の高い貧民窟が出現している。従って社会政策の方面からも、土地の公有論がある。ただしこうした農業政策も、あまりにも農村の形態に地域性が強いため、徹底されない。
 中国の農村の均質性の欠如を踏まえた上で対策を立てるには、「地方的知識」が必要で、特に郷政府の組織と農民の関係に着目すべきである。例えばある農村では、農業税を意図的に廃止せず、農民が納税を拒否して郷政府に圧力をかける手段としている。こうした地域性や郷政府の特徴を踏まえ、2004年から中央政府は中間層幹部を避けて、直接に最下層に肥料を注入することを決定した。
 中国の行政を論じる際には腐敗が付き物だが、最近も農業と関係するところでは、河南省省政府が、農地を奪って大学キャンパスを建設した疑いで処罰された。こうした中間層を避けて中央に直訴するために、中央電視台の社会番組を利用しようと電視台前に集まる人民の動きもあるが、政府もまた「信訪(上訪)」という制度を設けて下からの声を掬おうとしている。「信訪」とは人民代表委員会の信訪事務室が行う、一種の目安箱に近い制度であるが、これを利用したケースでは、90年代に農村の苦境を朱鎔基総理に伝えた李昌平の例がある。現在では「信訪法」が制定されたため、李氏の時ほど非常手段としての確実性は落ちているものの、人民の声を直接政治に反映する試みとして評価できるだろう。
 このように中国の農村は地域差が激しく、中央の管理も行き届かないため、「中国の農民は公共感覚がない」という説はある意味で正しいと言える。典型的な農村では、「村のエリート」による「村のルール」があらゆる法よりも優先されている。例えばある農村では、小学生が交通事故にあった際、両親が県に連絡したものの県政府が反応を示さなかったため、農民が違法行為を犯して県政府の介入を待ち、事故の処理をさせた、というケースがあるが、農民の論理と法との衝突を表す好例である。
 総括として、今回は「中国の農村問題のリアルさ」を伝えることを主眼においた。農村問題とは、中国の政治・経済など、国家構造のコアにある問題なのである。