2006年度冬学期 EALAIテーマ講義 東アジアの公論形成 II

火曜5限(16:20-17:50) 教室:12号館1213
担当教員:三谷 博
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

アンケート紹介

2006.10.10(火)「ガイダンス・非西洋世界における公論の問題」三谷博

まず痛感したことは、情報化社会といわれるほど情報に溢れている日本でも、テレビや新聞などのパッケージ化された、意図的に取捨選択された情報以外殆ど取り入れておらず公論は一定方向に偏る傾向にあるということです。日本ですらそうであるなら、情報制限が強い中国や北朝鮮などはより一層その傾向が強いでしょう(1年、文Ⅰ)


小泉元首相が平壌会議にて成し遂げたことを表す際の比喩が非常に上手く、面白く聞けました。Government≒stateについて、民の位置づけが的をえていて、その通りだと思います(1年、文Ⅱ)


北朝鮮の瀬戸際外交、中国での暴力的な反日デモの映像がマス・メディアで取り上げられる際、事実ばかりが伝えられ、特に中国人の心理面といったものはほとんど扱われず、あたかも暴力に訴えない日本に正当性があるようなイメージを受けます。健全な東アジアの公論形成のためには日本の自由を妄信せず、批判的な目を持つことが重要だと思いました(1年、文Ⅱ)


日中の紛糾の原因として中国の不自由な政治体制からくる日本情報の不足を挙げていた。日本側から中国への情報提供の努力(中国誤変換etc.)という対応策は一見もっともなものである。だが日本側が持つ中国不審が際立っているのもネットの世界である。ネット界における日本の中国不信という現状を打破しなければ日本情報をネットから中国に与えることは両者の理解を曲げてしまうように思う。両者の理解は建て前とし、(自分に対する害を考えた上での相手の理解というもの自体、本来の理解からは遠い)未来志向的合理主義、すなわち両者の利益の増幅と調整を主眼に置いた付き合い方をすべきだと考える(1年、文Ⅲ)


日本や中国、朝鮮における公論の歴史的変遷や社会背景の差異について興味深い講義を拝聴できて有意義だった。歴史認識問題が公論と結びつけて話されていたことが興味深かった。また、昔は日本よりも中国、朝鮮の方が由り公論のしやすい環境が整っていた(存在していた)ということが意外で面白いと思った(1年、文Ⅲ)

講義概要 非西洋世界の「自由化」は可能か、という問題を考える
○イラク戦争と戦後日本
 「アメリカは日本を占領して軍事力を背景とする強制的な民主化に成功した。そして今、日本は、自由と民主というアメリカと共通の理念をもつ国になり、アメリカの同盟国となった。それをイラクでも行う。」というイラク戦争開戦時のブッシュ大統領の発言に対して驚きを覚えた。戦後日本が民主化したのは戦前における自力の民主化の試みとその成功の経験があったからである。イラク戦争はアメリカ型のリベラル・デモクラシーが唯一の正しい「民主化」だという考えを世界に広めようとするものであった。しかし、本講義ではそのような意見に反対し、西洋とは歴史を全く異にする世界で「事実上の(de facto)自由」はいかにして作れるか、という問題を考える。
○現代中国の例
 現代の中国は一党独裁であり党に対する批判は許されない状況である。しかし一方で党の権威に触れない限り何をやってもいい、という現実もある。このような隣国に対して、「我々に無害であったら独裁体制でも構わない」という考え方をすることはいいのか。また、歴史認識をめぐる紛糾の一因も中国の一党独裁にある。それは中国における日本の情報が少なすぎるという現状である。例えば、首相の靖国参拝について日本国内で賛否両論、様々な意見があることを中国にいる中国人は知らない。なので、日本に来て日本人と触れ合うことで、日本の現状を知って驚く人がたくさんいる。
○「自由化」のための着眼点
 自由な民主主義を「制度」の問題であると捉えるのは間違いではないが適切ではない。「制度」に関して議論をすると、細かい議論をすることになるが、そもそも「制度」がよくてもそれを上手に運営できなければ意味がない。では、自由な「体制」の核になるものは何か。それは「対等で率直な議論を通じて、決定する、制度と慣習の生成」という人々の間に育まれる「習慣」である。人々が普段から「これが正しいやり方である」と習慣化して身体で覚えていると、もし誤った方向へ逸脱したとしても自らで修正することができる。
 民主主義とは時に誤り得るものであるけれども、同時にその誤りを自ら修正できるものでもあるということを歴史は示している。
 強迫によるものではなく、お互いの異見を聞くコミュニケーションの方がいいということは、誰もが思うことである。そのような考えから、「Public Sphere」の訳語を「公論」として、コミュニケーションのスタイル自体に注目する。「正論」という訳語では、議論の中身に関心が言ってしまいうためである。
では、なぜコミュニケーション自体に関心を向けるのか。それは日本史を研究してきた経験ゆえである。「現代の日本に自由がない」「現代の日本にはCivil Society(『民』)がない」という意見が海外における日本研究の学会で多々聞かれる。それは、「民」が「政府=国家」に対して常に批判するもので、その過程に自由があるという考えが前提にあるからだ。しかし、日本の歴史に即して言えば「官」及び「国家」に対置するものは「民」ではない。「民」は「国家」の名において「官」を批判してきたのだ。
○東アジアの公論形成の経験
 公論慣習を「官-民」関係だけでなく「官」、「民」それぞれに見出す。初期条件として、近代中国、朝鮮における「官」では議論が盛んに行われる習慣があったが近代日本の「官」には議論が避けられてきたという状況と、中国や朝鮮の私塾(「民」)では政府に対する批判がなされたが日本の私塾(「民」)ではそれがなされなかったという点が挙げられる。更に、朝鮮は近代における独自の公論形成展開を日本の植民地化によって中断させられた点、中国は近代における自力での公論発達の余地を共産党の独裁によって狭められた点も合わせて挙げられる。
○公論の生成と成熟、定着
 公論は、ナショナリズムとメディアの親和性から生成される。また、政治対立によってかえって公論の余地が拡大し、それによって生成されることもある。そして公論は暴力とも親和性をもつ。公論と暴力の決別をいかに行うか、更に、その暴力と公論の間にある扇動政治やファシスト的公共性といったものの中からいかに望ましい公論を形成するか、という課題の解決が公論の定着のためには必要である。また同時に、「官」の開放性という西洋世界にはない考え方を取り入れることも公論の成熟には必要である。