2006年度冬学期 EALAIテーマ講義 東アジアの公論形成 II

火曜5限(16:20-17:50) 教室:12号館1213
担当教員:三谷 博
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

アンケート紹介

2007.01.23(火)「メディア・リテラシー」劉雪雁

私は今まで「メディアリテラシー」という言葉は、ただ単に「メディアを利用できること」を意味するとしか考えていなかった。しかし、この広義で「メディアリテラシー」が使用・受容・表現の三つが合わさった複合的能力だと知って、なるほどと思った。ただ単にメディアを使用できるだけでは、メディアが伝える内容を理解し、それに対する異見を表明することができない。当たり前のことかもしれないが、メディアリテラシーの意味を再認識させられ、ためになったと思う。(文Ⅰ・1年)


僕が思うに日本はあまりメディアに関して自由ではないと思います。確かに、政府規制なんかはほとんどないでしょうが、国民がメディアに関してあまり積極的ではなくて、一方的に巨大メディアから情報を流していると思います。さらに他の国に比べてメディアリテラシーを含めて批判的に考えさせる機会が少ないと思います。日本の中にどこかある大衆順応主義がはびこって多様化を防いでいるような気がするのですが・・・(文Ⅰ・1年)


「メディアリテラシー」が台湾では「媒体素養」と言うことについて、日本ではあまり意味も理解できずに、単に横文字で使っている言葉を表意文字にすることによって分かりやすく使えると知った。(文Ⅱ・1年)


今日の講義を聴いて地震に欠けているものに気付けた。私は「メディアリテラシー」とは報道を批判することだけだと思っていたが、自らを表現していくこともその能力の一つだということが分かったのだ。これは東アジアの公論形成の授業全てに共通することだが、「意見の双方向性」が重要なのだ。(文Ⅱ・1年)


まず、先週行われたアンケートの結果の考察において、我々が中国に対し抱いているイメージの大部分がメディアに依拠していることが再認識され、メディアリテラシーの重要性が実感されました。かねてから、世界各国のメディアリテラシーへの取り組みが如何様になされているのか、については興味がありましたが、今回その実態に具タオ的に触れることができ大変良かったです。日本に欠如しているのは、メディアリテラシーの必要性以前に、そこに至る動機ではないでしょうか。送り手・受けて共に危機感がない。日本においても台湾でのメディアの乱れた事例に類似した事件は起こっているのに、反応が薄いと思います。ありきたりではありますが、我々一人一人が声を上げる必要があろうかと考えます。(文Ⅱ・1年)