2006年度冬学期 EALAIテーマ講義 東アジアの公論形成 II

火曜5限(16:20-17:50) 教室:12号館1213
担当教員:三谷 博
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

アンケート紹介

2006.11.07(火)「東アジアの『国際公共圏』史(1)」張寅性

先生のお話を大変興味深く拝聴させて頂きました。「東アジア共同体」議論に熱心なのは日本の学者だけだと思っていたので、多少の驚きもありました。特に観念だけでなく、制度や権力といった現実的なものが必要だというお話は大変共感いたしました。ただ「どうして今、東アジア共同体が必要なのか?」という視点があまり拝聴できなかったことが残念です。(1年/文Ⅱ)


「共同体」という言葉は何となくいい響きをもつ気がする裏で、そのきれいさの中に隠された各国の思惑があるんだな、と思いました。普段はあまり耳にしない「公共圏」という言葉の方が、より東アジア各国に公平さを要求している感じがして、適切かもしれません。(1年/文Ⅰ)


EUをモデルとした東アジア共同体構築の議論はよく見られるが、EUが形成される迄の過程に注目する事が重要であるという考えは新しく思われた。今日の緊迫した国際情勢をこの考えに基づき見直すと、現在の東アジアは公共圏の形成に向けての一つの転換点に立っているのではないか。(1年/文Ⅲ)


二国間関係の複合体でしかなかった東アジアが国際社会化への動きを見せ始めているというお話の中で、共同体を目指す手順の概要はつかめたと思う。ただし、これまで歴史上、二国間同士の外交で成り立ってきたものが、なぜ公共圏なるものをわざわざ構築する必要があるのか疑問に感じた。世界の新しい流れに対応するために公共圏が求められているのならば、より自然な流れでまとまりができるのではないだろうか。EUなどの成立過程を考えると、まずは理念の共通化などよりも経済共同体程度から出発すればそれも(必要性のある限りだが)、良いのではないかと思う。対立・葛藤が表面化することは望ましくないけれど、無理に理念を共有しようとすることには意味がないし、逆効果であると思った。(1年/理1)


東アジアの「国際社会・化」という考え方に強く興味を持った。そして対立・葛藤は必要悪であるということにも驚嘆した。東アジア公共圏は進化途中であるという見方に、将来への希望が見出せると思った。理念だけで語ってもだめだ。interest、institutionとの相互作用が必要だ。今回は非常に共感できる講義であったとともに、新たな視野を獲得できた。(1年/文Ⅲ)

講義概要 東アジアにおける「国際公共圏」の出現-その進化または創生-
○東アジアの出現と「東アジア的視覚」
 東アジアにはナショナリズム・リージョナリズム・グローバリズムの三つの力が働いている。これらはポスト冷戦とグローバリゼーションによってもたらされ、それにより東アジアに連帯・協力という新しい関係が生まれつつある。しかし、依然として東アジアには対立・葛藤の関係が現実として残されている。そのような中で東アジアをどのように捉えたらよいのか。昨今、東アジアを「地域」や「共同体」の観点で見る見方が増えてきた。しかし、私は「社会」として見るべきだと考える。なぜなら、東アジアを「社会」として捉えることによって、「国際公共圏」という考え方が生まれうるからだ。
○「地域」と「共同体」
 「地域」とは、歴史的、人工的産物であり創造されたものである。「地域」は国家や政府という概念に比して、経済や文化の側面を強調する。しかし、東アジアを考える際には、この「地域」という概念には限界がある。なぜなら、国家が利益を求めて行動することが依然としてあるからである。「共同体」とは、「経済共同体」や「安保共同体」といったように国家の対立や葛藤を超えようとする考えによって生まれた。しかし「共同体」は理想主義的で現実的ではない。
○「国際社会」と「国際公共圏」
 私は東アジアを捉える視覚として、「地域」「共同体」の概念の代案として「国際社会」という概念を提示する。「国際社会」とは、アクターと構造と行為でなる、国家をはじめとする諸勢力が一定の国際地域をベースとして、政治・経済・軍事・文化といった諸分野を営む社会領域であり、国際地域のアクターの相互作用の場と公共圏である。「国際社会」は社会が先にありき、ではなくて国家の相互行為の交流によって生まれるものである。「国際社会」が「国内社会」と異なる点は中央権威がないことであるが、「国内社会」が個人と個人というアクターの相互交流によって構成されるように、「国際社会」も国家と国家、企業と企業というアクターの相互交流によって構成される点では同じである。
○東アジアの「国際社会化」と公共性
 公共圏には三つの公共性の意味がある。それは公的なもの、共通のもの、公開のものである。「国際社会」を作るためにはこの三つの公共性を高める必要がある。私が言う「国際社会」はイギリス学派が言う「国際・社会化」=「International Socialization」ではなく「国際社会・化」=「International Societalization」である。そして、「国際社会・化」を形成するためには次の三つのアクターの相互作用が重要性を持つ。それは①観念・理念、②制度・規範、③権力・権威である。「共同体」理論は①を強調しすぎている。しかし、それだけでは足りない。利益やパワーが衝突する現実を見極め、利益社会としての東アジアを考える必要があるのだ。利益を追い求める現実とそれを制御する制度や規範の役割を知ることが大切で、理念の追求だけでは東アジア地域は非常にもろいものになってしまう。