EALAI:東京大学/東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ | EALAI・UTCP共催 冬学期テーマ講義 | 共生のレッスン 東アジアの磁場から

金曜2限(10:40~12:10)
教室:1108教室
対象クラス:1年 文科 理科/2年 文科 理科
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

アンケート紹介

2013.01.11(金)“いい人”とはだれか?-映画『長江哀歌』の人と倫理(2 )

非常に象徴的なアイテムの解釈が興味深く、考えさせられる内容でした。ヘーゲル、マルクスの思想についても興味深く「アジア式生産方式」についてはもっと調べたいと感じましたし、中国の近代の歴史をより深く知る必要性があると痛感しました。(文Ⅰ・1年)

現実と非現実の話が特に興味深かった。技術が進歩し、大規模な変化が短期間に起こるようになったこと、様々な情報があふれている事などが、非現実性を感じる一因なのではないかと思った。(文Ⅰ・1年)

マジックの話が非常に興味深かった。一瞬にして流通している貨幣が変化し、そして自分から見に来た訳でもないのに金を払えと強要される。今の世界ではたとえ民主主義の中で生きているといっても、出来上がるルールは自分たちとは身近でない政府で作られるし、いつの間にか自分の周りで暗黙のルールやら力関係が出来上がっていて、それに流されるしかない。天使の話も同じようなものな気がした。(理Ⅰ・1年)

映像というメディアは紙媒体と異なって実際に情景を写し出し、想像の力が押さえられ、豊かな表現形式とは言えないといった様な論調の批評を多く目にしてきましたが、この作品はその様に表現された映像の限界をはるかにとび超えて非常に豊かな内容を持ち得ているように感じました。(文Ⅲ・2年)

「中国」の社会の仕組みは、内部と外部が溶けあえないのを助長しているように思える(理念と現実が合致していないことが多いので)が、中国の人々からしたら、日本など他国の社会もそのように上手く機能していない、不完全なものに見えているのだろうか。映像にしろ、自分の目で見るにしろフィルターを通さずにはいられないが、それを認めた上でできることは必ずあると思う。(文Ⅱ・1年)

映画の1シーン毎にこれ程メッセージ性が込められているのはただただ感嘆するだけでした。特に映画で直接的に触れられてはいなかったけれども、天安門事件の時期の中国の人々のメンタリティーについての先生の話は興味深かったです。(文Ⅱ・1年)

物語がその内部で自己完結せず、外的存在をその内に混入させることによって、我々の内的示唆を打破し、一段高次の視座を生み出すという論は、非常に興味深く感じました。しかし哲学的に捉えるならば、ある世界をその外部から視るという行為は、それ自体その視点を含むより大きな世界を想定せねばらならず、それもまた“内部"に過ぎません。してみると”外部"などというものはやはり相対的な概念でしかないのだと思います。(文Ⅰ・1年)

自分でいろいろな解釈をする(もしくは製作者の意図を理解する)には、思考するための知識がないと解釈しようもないなということだ。『長江哀歌』に出てくる「16」という数字が、中国の歴史と密接に関わっているという読み取りをするには、中国の歴史について知っていないと無理だ。実際僕は、解釈を聞くまでは全くピンと来なかった。映画をより楽しむには、やはり歴史などにも精通していないとダメなんだと痛感した。(文Ⅰ・1年)

中国社会の急激な変化と資本主義の浸透に翻弄される人々と全く動じない人々の対比が印象的でした。急速な経済発展の裏で、旧態依然とした闇の構造があることがはっきりと描かれていて、現在の中国社会が抱える問題の根源的な一部分が感じられました。(文Ⅰ・1年)