EALAI:東京大学/東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ | EALAI・UTCP共催 冬学期テーマ講義 | 共生のレッスン 東アジアの磁場から

金曜2限(10:40~12:10)
教室:1108教室
対象クラス:1年 文科 理科/2年 文科 理科
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

アンケート紹介

2012.10.19(金)自然と規範性(1)~母乳育児は自然か?

妊娠・出産・授乳において、将来は代理母や人工授精などの技術がさらに進むことにより、「自然」の意味合いが変化していくのではないかと感じました。(文Ⅰ・1年)

江戸時代の自然という概念は、今とは根本的に異なっており、何が自然で何が不自然なのかという議論は当時の社会制度や医学に大きな影響を受けるということが分かった。(文Ⅲ・1年;類似するコメント多数)

当時、大衆の自然と医者の自然は異なっていたということがわかった。そして、大衆の自然は迷信や観念に、医者の自然は生物学的な考えに基づいていると感じた。自然は時代によって異なると言うのが結論であったが、同じ時代の中でも自然は異なり、現代でも同じことが言えるのではないかと思った。(文Ⅱ・2年)

江戸時代においては身分差があるということが自然であり、そうした社会規範的なものから「自然さ」というものが左右されるというのは、多文化視点的でとても興味深かった。(文Ⅲ・2年)

昔は仮親、ひろい親など実の親以外の人が子供の命にかかわるほど重大な世話をしていて、連帯感は強いが責任も重くて大変だっただろうと思う。(文Ⅰ・1年)

妊娠・出産・授乳における母と子の関係についてでしたが、自分としては少子高齢化へと突入していく日本に暮らす身としては、もっと父親のあり方について知りたいと思いました。今の日本における、出産に父親が立ち会うことを相対的に軽視する姿勢というのは江戸または平安などの時代から脈々と続くものなのか気になりました。(文Ⅰ・1年)

新生児の取扱の問題や母乳育児などの現代にも通ずる諸問題を江戸時代の日本の状況と比較するという手法はとても興味深く、現代と過去の間には類似点、共通点がありながらも“身分"感覚や医療技術の違いなどに起因するさまざまな相違点があることを知った。(文Ⅲ・2年)

自然、もとあるべき姿とは何か、その考え方は今と昔と今では大きく異なる。今では人の手が加えられていない状態、つまり科学技術が加えられていない状態を自然というが、科学技術とは何でしょうか。科学は世界のあり方を探求する学問なのに、科学技術は自然じゃないとされることに少し違和感を感じる。(理Ⅱ・2年)

僕は「自然」「不自然」といった考えにとらわれるのでなく、何が母子それぞれにとって最善であるのかを考え、それに合った行動を取るべきであると思う。(文Ⅰ・1年)

江戸時代の病気やけがれに関する知識は、古典を読むときに少し知ってはいたが、妊娠・出産にまつわるものはあまり知識がなかったので興味深かった。(文Ⅰ・1年)

現状で行われている不自然な行為(帝王切開など)は、自然な状態では救えない命を救うために行われていることであるので、救える命を捨ててまで「自然」を追求する必要性はないのではないか。(文Ⅰ・1年)

私は科学技術も人間が持って生まれた機能を用いて培ってきた「自然」な営みであると思っているため、その転用として様々な事柄を行うことに不自然さは感じないのだが、改めて「自然」であることの意味を考えてみたい。(理Ⅰ・1年)

現代の科学とは違うが、かつての出産に対する一見おかしな考えにも、習俗に根差した理由があるのが興味深かった。迷信で片付けるのは簡単だが、この体系化された価値観は現代の科学にも通ずるものがあると思う。(文Ⅲ・1年)