ある精神病を、本人が主観的に見つめ直し、自己病名をつけたり「お客さん」を意識したりすることは病気を克服するのにも大切ですが、何より自分という存在について考え直すこと、そして自分が地域や周囲との関係で実際どうあるのかをただ想定するのではなくじっくり考えることにつながるという点で重要だと感じました。(文Ⅰ・1年)
非常に新鮮で貴重なお話の数々、ありがとうございました。当事者研究というのは、とことん自分と向き合うことなのだと思いました。自分にとっての世界の見え方、感じ方を自分との対話、他者との対話の中で分析しつくしていくことで、自分を理解し、自己病名をつけることでよりはっきりと概念化する、そのことによって人との関わりを築いていけるようになるのだと思います。(文Ⅲ・1年)
自分の症状のことを自分で研究するというあり方が初めて触れるものなので非常に興味深かった。(文Ⅲ・1年)
皆さんが語ってくださった「症状」を聞いて、心の中では自分が普段考えていることとさほど変わらないなと感じた。正直なところ「病気」と「健常」というのを自分の中で線引きしていたというか、偏見のようなものがあったが、もっとこう程度とか段階の問題なのかなと思った。(文Ⅱ・1年)
自己病名というのはとてもすばらしい考えではないかと思う。画一的な病名によって個人の不安がとらえきれない感覚を捨象して、分かったような状態としてしまうよりは、自身の感受とそれを共有できるような、適した病名をつけることは互いのコミュニケーションのためにより良いストレスのない方法ではないかと思う。(文Ⅲ・2年)
「自分で自分を助ける」という当事者の主体的な取り組みは、一般の健常者が感じている精神病患者との距離を埋めていくことのできるものだと思った。(文Ⅱ・1年)
同じ症状の人々と出会い、話を共感することによって症状から脱出できるということは、ちょうど前回の「自分にしか分からない痛み」が何とかして他人と共有することで和らぐというお話と共通していていとても興味深かったです。(文Ⅰ・1年)
実際に当事者の話を生で聴くことの有効性、メッセージ性の強さに驚いた。他者は当たり前だが、自分とまったく違う思い、考え方を持っているから、共生は難しいけれど面白いし価値あるものなのだなと感じた。(文Ⅱ・1年)