EALAI:東京大学/東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ | EALAI・UTCP共催 冬学期テーマ講義 | 共生のレッスン 東アジアの磁場から

金曜2限(10:40~12:10)
教室:1108教室
対象クラス:1年 文科 理科/2年 文科 理科
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

アンケート紹介

2012.12.07(金)共生のための障害の哲学(2)

お話をお聞きしていて思ったのは、心の痛みについてでした。自分がつらいと誰かわかってくれないかと期待しながら何も話さないことが多くて少しうまく振舞えなくなったことが私にもありました。心の痛みは話した相手も傷つけてしまうので、相談するのが難しいのですが、話すとよくなるのは本当だなあと思います。(文Ⅰ・1年)

客観的だが冷徹で個人を突き放す伝統的な医学と、経験に注目した現象学との違い、そして対立の根の深さを感じた。(文Ⅲ・2年)

今日の講義を聞いて、痛みとは必ずしも客観的に他者が評価できるものではないということ、また同時に自己認識によっても大きく左右されるということを意識させられた。(文Ⅲ・1年)

習慣的に捉えることは重要かと思いますが、そのためには感覚から認知、認知から表現に変換をしなければならず、それが「正しく」行われるとは限らないような気がします。医療が客観的データを重視する方向性から抜け出せないのは、このあいまい性、非厳密性が一つの原因なのではないかと思いました。(文Ⅰ・1年)

「痛みの客観性」について、大変興味を覚えました。視覚や聴覚、嗅覚や味覚などはある程度共有出来る感覚(同一物を対象にできる)でありますが、痛覚を共有することは絶対にできません。言うなれば、痛みは自分があってこそ存在しうるものであり、その場において、確かに「痛みの客観性」は否定されるのでしょう。(文Ⅰ・1年)

医者に行っただけで安心して痛みがなくなる経験がある。「こころ」と「感覚」はつながっているのではないか。(文Ⅲ・2年)

見えないものや物質化されていないもの、などを表現することによって気持ちが楽になる。他者に自分の痛みをわかってもらうだけで痛みを和らげることができる。訳が分からないものを概念化し、可視化し、そうすることで他者に自分の気持ちをわかってもらうことの大事さを実感した。(文Ⅰ・1年)