EALAI:東京大学/東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ | EALAI・UTCP共催 冬学期テーマ講義 | 共生のレッスン 東アジアの磁場から

金曜2限(10:40~12:10)
教室:1108教室
対象クラス:1年 文科 理科/2年 文科 理科
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

アンケート紹介

2012.11.09(金)共生のプラクシス(1)-科学と宗教

科学技術は、私たちの「欲」と大きく絡み合っている。そのため新しい「科学技術の支配方法」を考えなければいけない。それには「政治」が大きな役割を果たしてくれるのではないか。人間のもう一つの大事なもの、「罰」も与えることができるからだ。(文Ⅰ・1年)

原発に見られる問題では「安全神話」に始まる神話あるいはイデオロギーが、民主的コントロールを弱め、惨事を生んだ。ここから我々が学ぶべきなのは、科学と共生する「正しい道」を見つけるのに、何かに画一的に頼るのではなく(科学にしろ宗教にしろ)、人々がそれについて考え、政治にその議論を反映させようとすることではないかと思う。(文Ⅰ・1年)

科学は非人格的だと書かれていたけどやっぱり人間が科学に関わっている訳なのでどうしても人間の道徳とかは切り離せないと考えます。自己だけでなく他社のことも考えた多面的な見方をできることが科学者には必要だと思います。(理Ⅱ・1年)

道徳と宗教は分けることができるのか。道徳と宗教は循環的なものではないか。道徳を考えるにあたり必ず「神なるもの」と向き合わねばならず、宗教を考えるにあたり、必ず「他者」と向き合わねばならないのではないか。道徳と宗教は「人間」がいるからあるのであり、「人間」がいるから考えられ続けてきた。「人間は人間に対して「神」である。または「下僕」である」というレヴィナス的な倫理思想は「人はいかに生きるべきか」を考える上で重要である。人間が生きていくにあたり、必ず宗教、倫理は考えられるものである。(文Ⅲ・1年)

歴史の中で地球では様々な地域で対立が起きていた。その一つの原因として考えられるのは宗教である。宗教はその信者の絶対的価値観であり、道徳規範である。すなわち宗教が違えば価値観が異なる。すると異宗教間で対立が生じる。そして自らの価値観を正しいと誇示するために武力で押し切ろうとする。そこで武器が作られる。科学につながる。やはり宗教と科学は無関係で内容に思う。(文Ⅲ・1年)

ずいぶん昔の孔子の考え方と近代における西谷の考え方がとても似かよったものになったことがおもしろかった。(理Ⅰ・2年)

例えば、簡単に考えるとカッターは使いようによれば本来想定される文房具としての制作などに用いられる一方、人を傷つけられるものです。このように科学もカッターのようなものと考えれば、想定される倫理的?な)目的のために使われるべきだが、とても害を成すものにもなり得る。そこには規範性は介入すべきと考えますが、それを具体的にどうすればいいかというのは難しいし問題だと感じました。(理Ⅰ・2年)

今回の授業で、道徳と宗教の関係、また科学とそれを制約する可能性をもった道徳・宗教の関係、政治の場における共生の可能性について考えるきっかけを持つことができました。科学を生かしながら人々が安心して、もしくは納得して共生していくために、政治的にどのようなことができるかも考えていこうと思います。(文Ⅲ・1年)