EALAI:東京大学/東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ | EALAI・UTCP共催 冬学期テーマ講義 | 共生のレッスン 東アジアの磁場から

金曜2限(10:40~12:10)
教室:1108教室
対象クラス:1年 文科 理科/2年 文科 理科
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

アンケート紹介

2012.12.21(金)“いい人”とはだれか?-映画『長江哀歌』の人と倫理(1)

貧しいことは罪であるかもしれないが、同時に美しさも持っているというようなことを考えさせられるような気がした。(文Ⅲ・2年)

静かながらも力強い音楽と空気が映像に深みを持たせていたと感じました。(文Ⅱ・1年)

中国の進歩という少なくとも三明にとっては不可逆の流れの中で人々の生活の跡が壊され、切り捨てられてゆく姿が描かれていることがわかった。(文Ⅲ・2年)

タバコ、酒などの商品がクローズアップされていたのはどういう理由などだろうと思った。登場人物たちは服装から貧しいように見えるのに、携帯電話を持ったりしているのが意外だった。(文Ⅰ・1年)

長江哀歌を見て、かなり強いメッセージ性を感じた。現代中国の諸問題を良く表現していると思う。1つがダムに見られる環境破壊、時折うつる美しい風景とのギャップがそれを際立たせているような気がする。もう1つは社会の格差の広がりと貧困、成金的な人々と主人公の対比がよく表れており、また労働者たちの殺伐とした様子も感じられる。(文Ⅱ・1年)

様々な問題に直面している人がいて、その各々から生きづらさのようなものを感じた。またそのような生きづらさのある中で、人々がいかに生きていこうとしているのかを考えさせられる映画だった。(理Ⅰ・1年)

前にも中国の映画『子どもたちの王様』を見たが、これにしても今回の『長江哀歌』にしてもそうだが、ある物語の映画というより、実際に起こっていることを誰かからの視点から見たことをそのまま映している感じがした。中国の映画はそういう感じのものが多いのだろうか。(理Ⅰ・1年)

映像を見る前に紹介された「新しい天使」の解釈はものの例えだと思っていたが、実際の映画の中で文字通り廃墟にまみれた様子をみて『子どもたちの王様』を見た時以上の生々しさを感じた。(文Ⅲ・2年)

中国の映画は「うつす」。対話の場面では構図などを考えず、単純に二人をうつす。何も技巧は無い。登場人物も日本ほどセリフを読んでいる感じは無く、怒りはストレートな怒りとなっている。それでも壁のエクスパンダーにハッとするし、UFOという文脈からはぎこちなく感じる物体が登場する。不自然ではない自然は人為の加わった自然でしか存在しえないのではないか。(文Ⅰ・1年)

視覚的な綺麗さもさることながら、先生が冒頭でおっしゃっていたように、「音」が非常に印象的でした。映画というものはえてして人為的であるものが多く、「作られたもの」という感じが非常に強いのですが、『長江哀歌』からは現実と見まごうばかりのリアリティが伝わってきました。特に意図せざる(ように思える)自然の音の数々が大きな役割をしていたように思います。(文Ⅰ・1年)
最後の綱渡りのシーンも安定した生活をこわされた人々が生きるために綱渡りを強いられているのを象徴している。(理Ⅱ・2年)

映画をみてあの村に住む人々の生活ぶりが印象的だった。金体的とは言えない生活レベルを強いられながら、都市部の生活水準向上のためのダム建設による圧迫を受けているのが皮肉に感じられた。そんななかでも力強く、共に生きる彼らの姿は特に感慨深かった。(文Ⅱ・1年)

社会主義国家であり農村部は決して豊かとは言えない中国において、酒、たばこ、茶、紙幣、彼らの着ている服などからも少なからずも資本主義特有の商品化というものが現実に行われ、中国のマクロ的な外観と市民の生活に着目したミクロ的な様相とでは大きく差があるように感じます。(文Ⅲ・2年)