EALAI:東京大学/東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ | EALAI・UTCP共催 冬学期テーマ講義 | 共生のレッスン 東アジアの磁場から

金曜2限(10:40~12:10)
教室:1108教室
対象クラス:1年 文科 理科/2年 文科 理科
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

アンケート紹介

2012.11.16(金)共生のプラクシス(2)―中国と女性

そもそも性別は自分のものなのだろうか。私が男性である/女性である。は私の選択ではない。私はふと気がついたら、ここにいて、ふと気がついたら男または女であったのではないか。男/女であるのは、全くの偶然である。「共生」というものを考えるにあたり、自分が他の性である可能性も考えるべきである。性別は自分と他者が共有する財産である。(文Ⅲ・2年)

他者の存在を許容するような自己存在がはたして健康的なナルシシズムと言えるのでしょうか。とても疑問に思います。純粋なナルシシズムは自己存在に固執することに尽きるのではないでしょうか。(文Ⅰ・1年)

女性のエロティシズムが男性のナルシシズムを補強するというところがよくわからなかったので、もう少し説明が欲しかったです。(文Ⅰ・1年)

独創と模倣は交わらないものではなく、必ず交錯せざるを得ないという話はすっきりと頭に入ってきました。でも自分はこれが人間の知性の敗北のような気がしてなりません。芸術の様に、既成の概念を壊すことで表現するものでさえも、ある種の記号を用いてしか伝達しえないという点では、模倣になってしまいます。ショッキングでした!この世には完全な独創というものはもはや生まれ得ないのでしょうか。(文Ⅰ・1年)

『子どもたちの王様』を見せられた時、まず感じたのは全然BGMが無いことだった。たいていの映画ではあるのに、これではなかったのは、講義でもあったように"音”とか"声"とかが重要なので、余計な音をなくしたのではないだろうか。(理Ⅰ・1年)

今日個性の重要性がよくさけばれるが、個性を発揮するためには文字などの一般概念に頼らざるを得ない。よって完全な個性など存在しえない。文字同様、男性ナルシシズムなどの価値観も一般概念として世代間で脈々と受け継がれていくため、全く想像的な女性に対する価値観の登場は期待できないように私は思います。(文Ⅰ・1年)

先生が学生との問答を通して映画に込められた意味、示唆するところを明らかにしていくのが、とても心ひかれ面白かったです。ありがとうございました。(文Ⅰ・1年)

男性を模倣の世界、女性をオリジナルの世界と結びつける考え方には違和感があった。(文Ⅰ・1年)

「女性の解放」という言葉には、女性の女性性を解放しよう、というものと、女性を女性性から解放しようという二側面がある気がする。(文Ⅲ・1年)