2008年度夏学期 EALAI /ASNETテーマ講義 | アジアの自然災害と人間の付き合い方

月曜2限(10:40-12:10) 教室:5号館523
担当教員:小河正基(総合文化研究科准教授)/加藤照之(地震研究所教授)
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

アンケート紹介

2008.06.09(月)関谷直也:「災害心理」

現在においても私たちの祖父母の世代では従来の災害観を持つ人も少なくないと思う。現に私の祖母も災害は仏の罰だというようなことを言っていた。こういった世代間の意識の差が避難の際に引き起こす問題はないのだろうか。(2年・文Ⅰ)
【関谷先生のコメント】
こういった考えかたは、心理レベルで7割から6割の多くの人が共有してもっている考え方で、災害、災難に直面した場合に表出するものであると考えられます。しかしながら調査では災害観(天譴論、運命論、無力感)には年齢差はなく、むしろ学歴などが大きく効いてきます。けど、それはあくまでも「傾向」ですので、「原因」ではありません(学歴を原因としたとしても、解決策はありません)。
しかしながら、これとは別に災害対策における、世代差の問題は別にあります。たとえば、ある程度の年齢になると、「耐震補強」はしません。70歳を過ぎれば、30年後に死ぬ確率はほぼ100%ですが、地震で死ぬ確率は、数%です(東京都に1200万人住んでいて首都圏直下地震で死ぬ確率は11000人。1%以下です。)。こういった世代差(というか、高齢世帯の災害対策)の問題はあります。
また、避難行動や危険意識には、世代差に近いものとして、「子どもの有無」が大きく効いてきます。子ども、守るべきものがある人は危機意識が強く早めに避難する傾向がありますが、そうでない人はやや危機意識が弱い傾向があります。
災害観はこうした複雑な要因が絡み合って成立しています。



台風23号の避難勧告聴取率が9割なのに対して、新潟・福島豪雨の聴取率が2割とこれほど低くなっているのはなぜだろう。
【関谷先生のコメント】
台風23号の豊岡市の場合は、上流部で雨が大量に降っていることがわかっていて、避難勧告が出てから実際に超水するまでに5~6時間程度あったため多くの人が聞いていた一方、新潟・福島豪雨の場合は、破堤まで急激に増水し、避難勧告を周知するまで時間がなかったからです。
しかし、授業で理解していただきたかったのは、豊岡市は9割が避難勧告を認知していても、3割しか避難していないことです。
新潟・福島豪雨は、2割の人が避難勧告を聞き、2割の人が避難しています。避難勧告聴取率があがっても、人は避難するわけではない、必ずしも、情報が人の避難を促進させるわけではないという点について問題意識を持っていただきたいと思いました。



人の避難が遅れる理由として「危機意識がない」というのに加え、「どこに逃げればよいのか分からない」という理由は考えられないだろうか?また、避難するとなると、見知らぬ人との共同生活を強いられることになる。それが嫌で避難しない、という人もいるのではないだろうか?(1年・文Ⅰ)
【関谷先生のコメント】
避難しない理由はたくさんあります。人によって避難をしない理由はさまざまです。
2004年の台風23号の被害を受けた豊岡市で、避難をしない人に避難をしなかった理由を聞くと以下のようになりました。どちらかといえば、「いざとなれば2階に逃げれば何とかなると思ったから」「避難が必要なほど大きな災害ではないと思ったから」といった危機感の薄さが避難を遅らせる結果となっています。「避難をするほうがかえって危険だと思ったから」と答えている人もいますが、これも自分に都合のよく環境・状況を認知をした結果であり、根本的な要因としてはその場にとどまる危機感の薄さがあります。
なお、多くの災害では「避難先や避難経路がわからなかったから」と答える人は少ないです。


1.突然水が襲ってきて避難する余裕がなかったから 28.3 %    
2.避難は必要だと思ったが、荷物をまとめることなどに時間がかかり機会を逃したから 9.9 %
3.水没しないように大事なものを上に上げていて、避難する機会を逃したから 11.8 %
4.川の決壊を知らなかったから 12.3 %
5.いざとなれば2階に逃げれば何とかなると思ったから 50.5 %
6.避難をするほうがかえって危険だと思ったから 37.7 %
7.避難が必要なほど大きな災害ではないと思ったから 23.1 %
8.避難勧告・避難指示が出ていることを知らなかったから 2.8 %
9.避難先や避難経路がわからなかったから 3.8 %
10.家族が帰らず、その家族が帰るのを待っていたから 3.3 %
11.子供・老人・病人がいて、避難するのが大変だったから 15.1 %
12.体力に自信がなく、雨の中を避難できなかったから 5.7 %
13.家財が気になって避難できなかったから 1.9 %
14.高台なので浸水しないと思ったから 28.8 %
15.マンション等の上層階に住んでいたから 2.4 %
16.浸水したが身の危険を感じなかったから 8.5 %
17.防災無線が外に出ないようにと呼びかけたから 5.2 %
18.職場にいたので 1.9 %
19.その他 9.4 %
(出典:2004年台風23号における災害情報の伝達と住民の対応,2004,東京大学大学院情報学環調査研究紀要23号)


「避難所が嫌だから避難しないのでは」という点ですが、もちろん高齢の方で「避難」そのものを嫌がるという人も少なくないのですが、しかしそのような方を含めても、やはり根本的には「身の危険を感じていない」のだと思います。実際に身の危険を感じているのに「避難所が嫌だ」というのが避難を妨げる要因と考えるのは難しいかもしれません。
避難所の共同生活もさまざまな問題点を含んでいます。共同生活を強いられ、「プライバシーがない」というのだけではなく、「おちつかない」、「風呂、洗濯、トイレにこまる」などさまざまな問題が出て、不便や不満を感じる人が多いのも事実です(「2004年新潟県中越地震における災害情報の伝達と住民の対応」災害情報調査研究レポート1号,2005)。しかし、これは結果であり、避難しない要因ではありません。
人間の行動や心理を研究する場合には、災害時の避難に限らず、できるだけ調査データやフィールドワークを元にして考えることが重要になります(調査の設計段階では仮説や仮定は重要ですが)。



『災害と心理』という題目の講義であったが、このような災害心理学(社会心理)は実際的には、どのような方面で生かされているのか?対象は日本人だけなのか?今回説明した集合的な心理の背景には、日本人としての文化的背景も関係しているのか、またどの日本人も似たような行動をするのか?(1年・文Ⅱ)
【関谷先生より】
⇔どのような方面で生かされているか:
避難行動の促進策や警報にかかわる災害対策の近年の進展には、ベース情報として災害心理に関する調査があり、それらを審議会、検討委員会などで研究者が反映するよう進言してきたことが背景にあります。
現在、大きな災害が予測されると要援護者の早めの避難を促すための「避難勧告準備情報」が発表されます。これも、要援護者や高齢者が避難するのに時間がかかり、またそのため家族の避難も遅れがちであることが調査によってわかってきたからです。火山の「警報」化なども、人の心理を勘案して、人の避難に活きてはじめて災害情報は役に立つということを気象庁が強く考えるようになってきたからです。また津波のときは近くの頑強なビルに逃げるという「津波避難ビル」の発想も同様です。


⇔対象は日本人だけなのか?日本人としての文化的背景も関係しているのか:
講義で話をした「自粛」「遠慮」という文化は日本ならではの文化ですので、日本人の文化的背景とももちろん無関係ではありません。そして、授業でお話したように日本の中でも、東海地震や津波など災害の種類によって、異なる災害文化が成立しているといえると思います。
日本の内外に限らず、その土地の災害に即して、災害文化は異なります。ヒマラヤ山脈登山の支援を主な生業としている、ネパールの高地少数民族であるシェルパ族には「ある花が麓でさいていると、登山で人が死ぬ」という言い伝えがあるそうです。これは、アルピニストの野口健さんが、ヒマラヤ登頂のエピソードとして語っていたことですが、ベースキャンプの標高でその花が咲く程度の気温になって時期には積雪が緩んでいるので雪崩がおきやすい、ということの言い伝えであろうということです。


⇔どの日本人も似たような行動をするのか?
もちろん、人によって、考え方、何か脅威に接したときの心理は、一人ひとり異なることは大前提としてあります。避難しない要因、避難する要因、またそれらの背景となる心理を類型化して考えていくことが、情報や施策を考える上で重要になります。
仮にどの日本人も同じように行動するのだとしたら、ひとつ避難に関するボトルネックが見つかれば、全員の命が助かります。当然そういうわけではありません。
しかしながら、一人でも避難してくれる人がふえれば、一人の命が助かります。割合ではなく、絶対数の問題です。避難を阻害している要因を考え、少しずつでも避難率を上げていくことが重要になのではないでしょうか。



避難率を上げるためにはコミュニケーションが大切だと聞いて、とても納得しました。メディアを通して勧告や指示を出されても、自分に言われている、という実感が薄いと思います。けれど1対1で言われれば実感せざるを得ないと思います。災害対策として、もっとこの方法を用いるべきだと思うのですが、そういった役割の人を各地域に置くなど、実際に取り組みとして行われはいないのですか。(1年・文Ⅲ)
【関谷先生のコメント】
実際にコミュニティが小さな地域、高齢者が多い地域ですと、消防団や役場の方がよびかけて避難するという場合があります。垂水市は土砂災害の危険が高まった地域の人を市の車や町内会の方のトラックなどで避難させたりしています。東海村も1999年JCO臨界事故のときは、職員の人海戦術で避難を促しています。
ただし、これは土砂災害、原子力事故など、危険な場所が限られ、ある程度、災害の発生まで時間があると考えられる場合に限られるので、限定的です。また、これは救助に行く人がある程度危険を覚悟しなければならないという点で難しい面も持っています。



正常化の偏見は人間の本能的行動であるのか?(2年・文Ⅲ)
【関谷先生のコメント】
正常化の偏見は、どちらかといえば逃げない人の心理を説明する「説明概念(分析概念、メカニズムの理解)」というより、人は逃げないという状態を述べた「記述概念(状態の記述)」です。ホメオスタシスとして、生体の内部や外部の環境因子の変化にかかわらず、生体の状態が一定に保たれるという性質のひとつといえます。記述概念なので理論的「実証」されているかといえば難しいかもしれません。



危険が目前に迫るまで避難しない人が多いので、住居自体を災害に強くして、避難せずに済むようにした方が効率がよいとおもう。(2年・理)
【関谷先生のコメント】
もちろんそのとおりです。絶対に地震が起きても崩れない家、豪雨がおきても水没しない家に住んでいれば、それは「災害」とはなりません。そうなるように家を買ったり、家を借りたりするときは気をつけてください。
しかし、そのような場所に留まり続けるというのは現実的には難しいのではないでしょうか。岩手・宮城内陸地震でも、道路や宿泊先でなくなっている人が多いですから。さまざまな意味で、災害に関する知識を持つことは意味があるのではないかと思います。



「災害地域報道をするのも大事だが、もっと大切な情報をなぜ伝えないのか?」災害時だけ報道し、その後の復興はほとんど伝えない。これが風評被害の最大要因ではないか。(1年・理Ⅰ)

私はマスコミに関心があるので、特に報道機関の役割についての話が強く印象に残った。社会一般に広く情報の提供ができるというアドバンテージを活かすとともに、パブリックな媒体であるという責任を意識し、災害時にも一般大衆に信頼できる情報を伝える存在であってほしいと思う。(1年・文Ⅰ)

災害に対する外部の人々の認識は、ずいぶんマスメディアによって偏りのあるものにされていたのだなと思った。しかし、外部の人々が災害地や被災者のことを知るのは、メディアに頼るしかないようにも思う。援助のかたよりを防ぎ、被害レベルで見て目立たない方のことも知るためには、どのようにすればいいのでしょうか。(2年・理Ⅱ)
【関谷先生のコメント】
こと災害に関していえば、報道機関には、(1)ジャーナリズムすなわち言論機関、報道機関としての役割と、(2)災害対策基本法上の「指定公共機関」として「業務の公共性又は公益性にかんがみ、それぞれその業務を通じて防災に寄与しなければならない」という義務を負っています。
もちろん災害報道には、社会一般に災害への注意を呼びかけ、被災地域への支援や災害対策に関する法律を成立・改善することを促す呼び水となるという意味でプラス面もあります。しかし、メディアは、安全な地域や「安全であること」には興味はありませんし(その災害や事件のインパクトを弱めることにつながります)、復旧・復興面は報道されず(そのころには、別の事件や事故が話題になっている)、物事をわかりやすくするために単純化して被害のひどい場所に過度に焦点をあてるというマイナス面もあります。
これらは、われわれの心理もかかわっています。自分と関わりの薄い物事にかんしては、関心も低いですし、忘れやすい、深く考ずに単純化しやすいものです。これは心理学的にいえば、「認知的けち」、社会学的にいえば「複雑性の縮減」といいます。
最終的には、さまざまなメディアに接することを心がけることが重要なのだと思います。有り体にいえば、そもそもメディアの作り手(記事や報道の作り手であるジャーナリスト)にも偏りがあるということを認識すること、メディアリテラシーを持つことが重要なのだと思います。



情報を出しても人々が避難しないのは問題だが、あまり情報に緊迫感を持たせすぎるとパニックに陥ってしまう。どの程度の緊張感が心理学的に適しているのだろうか?(1年・文Ⅲ)
【関谷先生のコメント】
授業でNormalcy Bias とCatastrophe Bias について説明しましたが、災害が起こる前は、緊張感が低いので、住民はなかなか危機感をもちません。そして、いったん災害がおこってからは、緊張感が高まり、1986年伊豆大島三原山噴火や1989年伊東市沖海底噴火のように虚偽の情報が広がり行政に混乱をもたらしたり、避難騒ぎがおこったりすることがあります。
ゆえに、一般的には、被害がおこる前はできるだけ危機感をあおり、被害が起こったあとは混乱を防ぐために慎重に正確な情報を伝えるという方策が適切と考えられます。
昭和51年の台風17号では、高知市で鏡川の堤防が決壊しそうであったので、坂本高知市長が「非常事態宣言」を発表し(法律にもない言葉ですが)、危機感をあおって避難を勧告したという事例があります。危機感をあおるというのも場合によっては重要なのだと思います。



台風などの報道を見る毎に思うのだが、「何故マスコミはわざわざ災害の激しさをわざと誇張して伝えるのか」。このような状況が繰り返されるから、
・アナウンサーがキャーキャーはしゃいでいる→危機感を感じない
・報道陣が外にいるから大丈夫だろう
という心理につながっている部分もあると思う。(1年・理Ⅰ)


昔から大雨洪水警報がでるとわくわくしていました。恐らく私のような人が多いと思うし、この認識の甘さが問題だとおもいました。(2年・文I)
【関谷先生のコメント】
ひとつは、単純にマスコミは「異常性」を好みます。よく、「犬が人をかんでもニュースにならないが、人が犬をかめばニュースになる」というものです。
私は、勝手にこの心理を「災害ハイ」に言っています。実証できてはいないですが、あると思います。「火事と喧嘩は江戸の華」というように、台風とか、地震など非日常のことが起こると、本当に悲惨な状態になる前段階ではワクワクする心理があるのだと思います。
これは私見ですが、地震や水害が起こると、(不謹慎ですが)災害の研究者はワクワクしているように感じられます。マスコミの方が災害・事件の現場で興奮しているのも、この心理だとおもいます。実証するのは難しいと思いますが(災害研究者からはこのことに関しては疑問視されますが)。



(今日の講義で扱われた災害心理学は)非常に興味深い分野だと思う。東大だとどの学科が該当するのだろうか。(1年・文Ⅲ)
【関谷先生のコメント】
東京大学大学院情報学環に総合防災情報研究センターが、今年4月に発足しました。来週講義される鷹野先生がいらっしゃるところです。文科系については、現在は学部・大学院の教育分担はありませんが、災害に興味があれば、ぜひ訪ねて下さい。
社会科学系、特に学部課程の場合は、「研究対象」ではなく「研究方法」が学部・学科になっていますから、災害心理の研究にぴったし当てはまるところはありません。方法論としては文学部社会学科、社会心理学科、教養学部相関社会科学、文化人類学分野になるかと思います。全国の大学でも文科系で災害に関する科目が開講されているところは非常に少ないのが現状です。残念ながら、やはり普段は、災害のことを考えている方は少ないのです。



社会心理学っておもしろそうだと思った。もっと知りたいので、何かおもしろい本があったら紹介してください。(1年・文Ⅲ)
【関谷先生のコメント】
今回おはなししたような災害心理、災害文化に関する話としては、ぜひ
・「災害と日本人―巨大地震の社会心理」(廣井脩,時事通信社,1995)
・「流言とデマの社会学」(廣井脩,文春新書,2001)
を読まれてはいかがでしょうか。災害の話が面白いとおもったら、
・シリーズ災害と社会 『災害社会学入門』(弘文堂,2007)、
・シリーズ災害と社会 『災害危機管理論入門』(弘文堂,2008)
などを読むと災害社会学、災害(社会)心理学、災害情報学の分野が網羅的にわかるかと思います。風評被害の話に関しては、今しばらくお待ち下さい。