2008年度夏学期 EALAI /ASNETテーマ講義 | アジアの自然災害と人間の付き合い方

月曜2限(10:40-12:10) 教室:5号館523
担当教員:小河正基(総合文化研究科准教授)/加藤照之(地震研究所教授)
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

アンケート紹介

2008.04.21(月)佃 為成:「地震発生のメカニズムとアジアの地震」

日本にはプレートが集まっていて地震が多いことはわかっていたが、世界で起きる地震の10分の1を占めているとは驚きだった。(1年・文Ⅲ、他多数の方から)
【佃先生のコメント】
地震発生の頻度のこと、地震の断層(震源断層)のイメージやその大きさについては、一般にあまり知られていません。何でもそうですが、”目安”をつけると覚えやすいと思います。世界の地震の1割というのは覚え易いですね。そして、マグニチュード(M)を使ってデータを整理すると簡単になるところも知って欲しいと思います。



時々テレビの報道番組で「地震雲で大規模地震発生が予想できる」等言っているが、実際にそれが「予知」となりうるのか。今は後付けのような気しかしない。理論は何となく分かるが、気象現象と区別できるのか?仮に(他の方法によってでも)予知できるとして、もしその予知が外れた場合における経済的損失はいったい誰が補償するのか、責任を誰が取るのか。自然現象に対して100%の予知は不可能であり、「不意打ちを免れ生命を守ること」と「予知失敗の場合の後のこと」の両面を考えなければならないと思う。(1年・理Ⅰ)
【佃先生のコメント】
予知の話は、ちゃんと整理しないとメチャクチャになります。拙著をぜひご覧ください。予知の社会的な仕組みを構築するには、確率の考え方が大切です。その本も書きたいと思っています。結論を先に述べると、予知を目指して努力することで、防災意識が高まり、地震の学問も進歩し、民主主義のもとでみんなの英知を結集し、より安全な社会をつくっていくことができると思います。
ところで、民主主義だから云々という人が多いですが、民主主義は”ある”のではなくて、つくっていくもの、すなわち”する”ものです(丸山眞男)。



研究・調査や技術がこれだけ進歩しても地震を予知できないのは何故か、以前から非常に気になっていた。講義を聞いて、地震の予兆観測の限界も理解できたし、大切なのは大地震に対して、我々の意識も含めていかに備えるかだと考えられて良かった。経済的、文化的背景によって、同じ災害でも被害や認識が大きく違うということを学び、「アジアの自然災害と人間の付き合い方」という講義のテーマを考えさせられた。その事実を踏まえ、「より多数の人間が、地震災害発生前・発生後ともに納得し、被害を総合的に最小限に抑えるための最善の方法」を考えていくことに最も興味を持った。(1年・文Ⅲ)
【佃先生のコメント】
地下からのサインは沢山出ています。研究がもっと進んで情報量が増加すれば、確率の仕組みにのせて社会に還元できるようになると思います。完璧はたぶん無理でしょうが、情報をうまく利用すれば、備えを充実させることができます。また、地震の学問も進歩し、もっと地震発生の本質(大地震の発生過程の実際)が明らかになると予測はもっと正確、精密になっていくと思います。予知情報や防災情報を活かすには、理屈だけで物事は済まないので、社会としての判断が必要です。価値の基準にも依存します。Liberal Arts を進めて、人間の考え方をもっと自由にして、いい知恵に巡り会いたいですね。


日本は地震国であるが、それ故に人々の地震に対する意識はそこまで高くはない。(確かに地震は日本人の)生活の一部であり、地震への対策も充実してはいる。しかし一般的に地震の脅威を軽視しているように思う。一部の国では比較的小規模な地震によって多大な損害を生じているのであるから、もっと地震国日本での地震に対する意識を高めることが大事だと思う。(1年・文Ⅰ)
【佃先生のコメント】
ふつう防災意識はなかなか高まりません。寺田寅彦は「天災は忘れたころ来る」と言いました。大災害直後は多くの議論が行われるけれども、そのうち忘れられて、元の木阿弥。じつは災害を思い出すきっかけをつくるのが、予知情報や学問の新しい知見なんです。それがずーっと先の話であれば、長期的対策、危険が迫っているときは緊急対策に人を動かします。ですから、予知ができるかできないかというよりも予知を目指す気持が大事で、少しでも地下からのサインをつかんだときは、防災意識を高めるきっかけになります。
地震国日本で地震の研究をどんどん進めて、その成果が世界の国々の防災に役立てられたらいいなと思っています。



地震予知については、完璧な予知ができなくてもある程度の理論が見つかれば、社会に対して予知の不確実性を理解してもらった上で、何らかの実用化を目指すこともできるのではないかと思いました。この点も、Universityの文理連携の生かしどころではないかと思います。(1年・理Ⅰ)
【佃先生のコメント】
予知の原理や確率の考えを普及させ、多くの人のコンセンサスのもとに社会的な予知の仕組み(地震予報)を作っていきたいと考えています。
蛇足ですが、現在、企業で、KYTという言葉が浸透しているらしいです。これは”危険予知トレーニング”のこと。企業が抱えているいろいろなリスク(工事現場や鉱山などの災害だけではなく経済活動のリスクや人事の問題などにもおよぶ)について先の危険を予知し、危険や危機を回避する方法を考える訓練を日頃行うのだそうです。地震災害についても、地震発生の予知だけでなく、町を歩いていて、ブロック塀の横を通るとき、「もし今大地震がきたら、この塀が崩れて自分に覆い被さってくるかもしれない。地震を感じたら直ぐ避けよう。ではどのように避けるか?」など、とっさに考え、いざという時に備えます。大地震発生そのものの確率は極めて低い(予知情報がない)場合でも、このような危険予知をすることはできます。「起こりそうなことは、よく起こる」ということを肝に銘じておくことです。