2007年度夏学期 EALAI /ASNETテーマ講義 東グローバル・ヒストリーの挑戦

月曜5限(16:20-17:50) 教室:5号館524教室
担当教官:木畑洋一/水島司
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

アンケート紹介

2007.07.17(火)木畑洋一 :グローバル・ヒストリーと帝国論

歴史記述の際、やはり区切りがあると易しい。だから、従来の歴史学が細かく分かれていたのは納得できることだ。講義を受けていると、グローバル・ヒストリーの難しさは、その区切りを取り去る試みだからだと思った。(1年・文Ⅰ)

全講義を通してみると、感慨にふけってしまった。世界のとらえかたは型にとらわれがちだが、自ら関係を見出し、いくらでも記述法が変えうるという柔軟性を、本講義で身につけた。かねがね興味のあったモンゴル帝国を、グローバル・ヒストリーを意識して学ぶのが楽しみだ。(1年・理Ⅰ)

本講義の特色に、歴史学・人文科学と自然科学の対話があった。グローバル・ヒストリーを歴史学の新分野としてではなく、各々の学問分野のディシプリンの上に立つ、まさに「学際的」研究領域といて捉えてよいのだろうか。とても興味深く感じられる。(他大学からの聴講生)

「ナショナル・ヒストリーとグローバル・ヒストリーを区別すべきだ」と感じていたが、次第に「重複する部分を考え、世界史は両方を包括的に論じられないか」と考えるようになった。人類の道程のなかでそれぞれの学問は生まれてきたのだから、歴史のとらえ方が包括的になるのは、ある意味で当然かもしれない。(1年・文Ⅰ)

それでも、ヨーロッパ中心史観は高校世界史に残っていくと感じた。ギリシア・ローマの民主政とその崩壊を考えることで、現代日本の民主主義を理解するのに役立つように。しかし、世界史をニュートラルに考えたい思いは僕も同じだ。自分の学問分野とは土俵違いかもしれないが、「グローバル・ヒストリー」への視座を持ち続けたいと思う。(1年・文Ⅲ)

学問というものは一般化しすぎると、「常識」や「同語反復」化して意味を失い、しかし個別の事象に特化しすぎると学問的には何も得られなくなる、ということで個人的に悩んでいた。グローバル・ヒストリーを考えることは、ナショナル・ヒストリーに比べれば一般的でありつつ、扱うテーマはとても特化しています。その関連性が興味深かった。(1年・文Ⅰ)