漠然と描いていた「イスラーム世界」という概念が崩れた。この言葉で、自分にとって遠い世界をひとくくりにしてしまっていたように思う。(1年・文Ⅲ)
世界中には様々な人々や環境がある。「世界はひとつ」という考えが、世界内部の差異を考察しにくくする問題もあろう。「世界はひとつ」と「人はみな違う」という双方の概念を同時に満たす考え方を求めていきたい。(2年・文Ⅱ)
「世界はひとつ」という理念を実体化することがよいことなのか、疑問だ。「イスラーム世界」だって、世界史が理念を実体化させたにすぎない。そもそも、「世界はひとつ」において、アイデンティティをどの枠組みで設定するのか疑問である。(1年・文Ⅲ)
今回一番認識が変わったのは、歴史というものは既に客観的に存在しているのではなく、編者により束ねられかたが変わる(主観的なもの)ということだ。しかも、それが各人に大きな影響を与えるからこそ、グローバル・ヒストリーについて考えることの意義深さをより知った。(2年・文Ⅲ)
世界史の捉え方に関わらず世界の一体化は進む。すると「世界はひとつ」という立場で歴史を書かざるをえない。それをどう実現するのか羽田先生の研究に興味をもったが、同時に他の研究者も自らの分野に固執しないでこういう試みをしてほしい。(1年・文Ⅲ)
「イスラーム世界」は実在的世界だと思っていたが、今回の講義で自分の認識を正せた。「世界」を実体化させる歴史記述には注意すべきだし、誤解を招かない「世界史」を学ぶことで、現実の問題を考える基盤を身につけなければいけないと思う。(1年・文Ⅰ)
グローバル・ヒストリーの名にふさわしい世の中になるにつれ、歴史がどう語られるのかがどんどん難しくなっていく気がする。(2年・文II)
現にいま日本というまとまりとイギリスというまとまりが異質な面を持つ(言語・文化など)のは事実で、日本やイギリスのたどってきた道、いかにして今日の形態になったという差異を認識する上で、近代歴史学も有効なのではないか。世界中の人が、世界中の、自分とは異質な人間を理解する手段として、今の「世界史」は必要なのではないか。(3年・経済学部)
全体を見て、共通の中の差異としてお互いをとらえるという考え方に感銘を受けた。(2年・文III)