EALAI:東京大学/東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ | EALAI 2016年度Sセメスターテーマ講義 | アジアにおける「植民地化」と「脱植民地化」 転換と変容のプロセス

月曜日4限(14:55〜16:40)
教室 514教室 K212(KOMCEE EAST 2階) K011(KOMCEE EAST 地下)
担当教員:岩月 純一
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

questionnaire

2016.06.13(月)ベトナム(2)

植民地政策において、ここまで教育というものを大きく変えることができたことに驚いた。教育の変革のためには、使用言語、文字に関する改革も必要であり、また教育の先にある労働にも影響を及ぼす。教育とはその人々の国民性や生き方にも大きく関わる以上、変革するのに必要な労力もとてつもなく大きいに違いない。どうしてフランスがそれほどまでの労力を投じて教育を改革させたのか、インドシナにどうしてそんなに拘ったのかは、良くわからない。ヨーロッパ的思想を導入したかったのか。単なる統治上の利便さの問題なのか。また、日本の皇民化政策と比べてここまで徹底した教育改革が成されたことは、フランスのインドシナ統治の長さが改めて認識される。ベトナムを地域ごとに分けて植民地政策をみたことはなかったので、地域ごとに政策の強さに差があったことは非常に興味深かった。
(文I・2年)


ベトナム語はローマ字で書かれていて、なおかつそれは植民地支配の名残であると聞くと、ベトナム人はローマ字を押しつけられてきたと思われますが、実際にはそんなに簡単なものではないとわかりました。ローマ字でのベトナム語はフランスにとっては、ベトナムにフランス語を普及させるための足がかりにすぎなかったが、ベトナムにとっては自分たちも立派な一つの言語を持っていてそれを磨いていけると思う契機になったというのは驚きでした。植民地支配の名残というのは、負の側面ばかりが目立ってしまいますが、必ずしもそればかりではないのだなと思いました。
(文I・2年)


すでに漢文を学び修めていた人々にとって、ローマ字を学び直せと言われることは、おそらく反発があったと思うが、ローマ字と漢文をどちらも初めから学ぶ人にとってはそれほど反発を生むこともなかったのだろうか。ただ、植民地化された頃のベトナムの識字率はおそらくそれほど高くなく漢字からローマ字へという変更も受け入れやすかったのではないか。(下手に愛着などがないため、表音である、学びやすいというメリットからみてアルファベットを選ぶという感情的でない合理的な判断につながった?)また、もし話している言語を変えろといわれれば相当な反発であったに違いない。
(文I・2年)


現在のベトナムで、ローマ字表記をフランスの植民地的遺制ととらえる人は少ないという事実に驚きました。植民地支配の期間においても、親仏でない人々がローマ字を用いて教育や出版による主張を行っていたという点も興味深かったです。前回の授業と同様、コーチシナと他の地域における地域差や1920年以降でもローマ字の注釈としてチェノムが併用されていたという点で、植民地支配というものが決して均一でないのだということを実感しました。読み書きにおけるリテラシーが複数あったという概念はいまの日本に住み日本から出たことのない私にとっては斬新に感じられます。
(文I・2年)


宗王国のフランスから押しつけられたと多くの人が考えたローマ字を無条件に捨ててしまおうとするのではなく、その利便性にも目を向け現代にまで使い続けるベトナム人の懐の深さや合理性に驚きました。また、フランス人のみが主体的にローマ字やフランス語の普及を行ったのかと思っていたが、科挙の廃止に伴い地方に残った伝統的知識人までもがローマ字を主体的に行っており、フランスへ留学するなどフランス語で高等教育を受けた人が反仏運動に参加するなど周りに流されることなくベトナム人は取捨選択をしているという印象をうけました。
(文II・2年)


植民地支配を受けた国が元宗王国の文化(言語や建築、芸術など)の影響を受けて新たな文化を形成するというのはよく見られることだが、それは必ずしも元宗王国による押しつけの結果ではなく、2国間の相互作用も植民地側の内部対立等の複雑な要素によって生きられたものだということがベトナムの例を通じてよく分かった。同化を狙った仏語の普及政策が逆に独立運動を誘発したという部分がとても興味深かった。
(文II・2年)


ローマ字でのベトナム表記が一般化したことについて、それが良かった、悪かった、という評価を下せるものではない。日本語使用者として他人のことは言えないが、チュノムはかなり複雑に再構成されているし、ローマ字は記録伝達に便利だったに違いない。ふつう自国の伝統的な文字が他国によって導入された文字に取ってかわられるというのは非常に大きな転換で屈辱を伴うものではないかと感じる。しかし、ローマ字の受容がまさに伝統的な知識人層によって進められたというのは本当に意外だった。その柔軟性は日本にも共通する点があるかもしれないと思う。
(文III・2年)


確かにローマ字は、新知識人達の反応や現在のベトナムにおける考え方からもわかるように、便利だし、植民地的遺制とは言えないのかもしれない。しかし、それは、やはり正当化すべきではなく、フランスは恥ずべきことと考える。仮に、漢文やチュノムが便利でなかったとしても、必ずベトナムでは自己的にローマ字に似たような便利な文字は生まれたはずである。ローマ字を、決して植民地的遺制ではないと、とらえる考え方はあまりにも短絡的だと思う。フランスは、文化を、無理矢理、破壊したのだから(しかもそれは自己文化を優位にするという考えから)絶対にフランスによる植民地支配の結果としてのローマ字を正当化すべきではない。と考えました。ベトナム人の考え方はもちろん尊重しますが、外国人である僕らが、ローマ字を正当化するのはあまりにも傲慢すぎると思います。
(文III・1年)