EALAI:東京大学/東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ | EALAI 2016年度Sセメスターテーマ講義 | アジアにおける「植民地化」と「脱植民地化」 転換と変容のプロセス

月曜日4限(14:55〜16:40)
教室 514教室 K212(KOMCEE EAST 2階) K011(KOMCEE EAST 地下)
担当教員:岩月 純一
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

questionnaire

2016.05.30(月)香港・マカオ(2)

香港とマカオの比較についてとても興味深かった。地理の授業ではやはり香港とマカオは双子都市であると習った。地理的に近い場所にある国や地域は、似たような特徴(文化も含めて)をもつことが多いように思うが、こんなにもこの2つの都市が異なるのかと非常に驚いた。ポルトガル人の血という足跡があり、それは必ずしも負の遺産とはいえず、むしろプラスのものであったということができるかもしれないのに対し、香港のイギリス統治は中国と香港の対立を深めたという側面がありやはり大きく異なる。雨傘革命で、私たちと同年代の人たちが積極的に政治に関与しているところをみると、平和な日本にいて、ただ自分がどう生きるかということばかり考え、つまり後世に何を残すかということをなかなか考えることがない私たちはこうした現在の中国、香港、台湾にふれていく必要があると強く感じた。
(文I・2年)


印象に残ったのは、香港に住む人のアイデンティティについてのグラフで香港人、中国の香港人、香港の中国人、中国人の4つのなかから選んでもらったものを統計したものです。私のイメージでは「香港人」と答える人がほとんどだと思っていたのですが、「中国人」であると思っている人もある程度いると分かって良い意味で裏切られ驚きました。行政区政府よりも中国政府への信頼の方が上回っているデータもあると聞いて必ずしも香港に住んでいる人の多くが中国を敵視しているわけでもない人なだと思いました。
(文II・4年)


・広東語でのpopsは一番おもしろかったです。70年代の日本のpopsのことは何も知らないですが、今日見たものとだいぶ違うような気がしました。どこが一番面白かったかというと、映像は雰囲気的には、ものすごくインドのMusic Videoに似ていると思いました。まさかインドの影響があるとは思いませんけど、本当によく似ていますよ!
・カナダの話。え!?中国や香港からの移民がけっこういたという事実を私は知りませんでした。(歴史の勉強不足が理由だろうが、、、)家に帰ったら自分でちょっと調べてみますT_T
・マカオ。私のイメージではマカオequalカジノになっていますけど、今日の授業でそれ以外の話もたくさん出てきてしんせんでした。
(理II・2年)


香港がイギリスの植民地から中国の行政区に戻る過程でイギリスが建設した建物があまり残っていないことがわかった。授業で見たマカオの歴史的建造物のような建物はあらかたなくなってしまったと、家族旅行はマカオの方がおもしろいかもしれない。それに加え、終盤のディアスポラ華僑が印象に残った。なぜかというと、第一世代の関元昌さんは広東省番禺県存在。この番禺県に今、僕の父が単身赴任している。ディアボスポラではないが、僕も家族の一員と会えない喪失感は分かる。ましてアメリカである。慣れるまでの過程はつらいと思ったが、英語を話せるから孤独感はそれほどでもないのか。20人もいるし、、、
(文I・2年)


最後にたくさん紹介された香港からカナダへ移住した一族のリユニオンの写真が印象に残った。「50年後に中華人民共和国に復帰することが決定している」という特殊な状況の中で、香港とカナダで交互にリユニオンを聞き、つながりを保つという試みが身近な親戚関係さえもしっかり把握できていず、それを意識したこともない私にとって、非常に興味深かった。インターネットを使い、リユニオンを企画するようになったとのことだが、2047年には情報通信技術がさらに発展しているだろうから、その時この一族がどのような活動を行っているのかも興味深い。
(文II・2年)


「植民地化」と「脱植民地化」というのがこの講義のテーマとなっているが、この2回で扱われた香港とマカオは一応の独立を保った中国本土から宗王国が借り受けた土地であるという点で他のテーマの地域とは異なる特徴的な場所だと感じた。特に、マカオについてポルトガル側が中国に返還しようとしていたことは初耳だった。「植民地」という従来のイメージだけでくくれない場所もあると実感した。
(文II・2年)


香港と中国のながりが返還に伴い急激に強まった事、香港とマカオが似て非なる存在であるという事、の二つが印象的であった。前者は、人口700万の香港に年間4000万の中国観光客がやってくるという異様とも思える光景、物品大量購入による現地住民の辛苦に驚くばかりだった。後者は、植民地経営にかかる経済的負担、立地自体の差異に基づいて描かれた中英交渉の緊迫感とマカオに関する「のほほん」としたエピソードどうしてここまで違うのか、不思議にすら思えた。2047年に脱植民地化が完了すると考えられる香港。この地の事を今、まさに脱しようとする今だからこそ学ぶことが出来てよかった。
(文III・2年)


香港の歌が異様に明るかったことが印象的だった。この背景として「わざわざ金を払ってまで悲しい曲を聞きたくない」という意識があったことには香港においてそこまで悲愴感がただよっていたという事実に驚いたためである。ほかに異様な明るさをもった曲が存在するのかもっとサンプルがほしい。
(文II・2年)


今までマカオという都市について、世界史で「海上交通の要所」ということしか学んでおらず、そんなに印象深くなかったが、文化的にも異なり(イギリス風の建物が今も残っている)一人あたりのGDPも香港の2倍近く、また返還日も一日ずれていたことなど、新たに知ることができた。
最も印象的だったのが、リユニオンの話だ。2人の夫婦から1000人超えの一族にまで広がり、写真を見ると、アメリカ・カナダの人との混血を行ったことで様々な人種の人がいたことに驚いた。移民することで逆にネットワークが広がっており、その意味で脱植民地化は今も進んでいる、ということが強く心に残った。
写真・曲は、やはり日本人の少女との恋愛を描いた広東ポップスだ。当時の日本のイメージが新鮮に感じられ面白かった。
Thanks…Monicaという歌詞のMonicaは少女の名前なのか気になった。(明らかに日本人ではない…)
(文III・2年)


まず初めに印象に残ったのが、マカオとポルトガルが(植民地支配の当初においては)かなり友好な(?)植民地関係であったことだ。宗王国が賃料を払うなどという関係は聞いたことがなかった。
 次に、香港の普通選挙を求める声について、ここには多少しっくりこない部分があった。そもそも香港の人々が民族的に本国と同じ漢民族かどうか自分は分からない(勉強不足です)が、もし同じなら何故香港がここまで中国人に対するアイデンティティーを主張するかが分かりません。そもそも香港独自の立法府も行政庁もあるのなら香港は既に半ば独立した状態であり、民族的にもそう差のない中国から完全な独立を求める理由が分かりません。イデオロギーの違いと言ってしまえばそうかもしれませんが、例えば南北ベトナムは合併に成功しています。世界卓球の試合で北朝鮮のチーム(うろ覚えなので韓国のチームかもしれません)を、北朝鮮と韓国のサポーターが一体となって応援したという話も聞いたこともあります。(これは関係ないかもしれませんが…)。おそらく民族や制度といった問題のみに収束しない複雑な理由があるだろうと思うので1つずつ解きほぐしていって勉強したいと思います。
(文III・2年)


今回の授業で印象に残った話はテレサ・テンが日本で歌手活動を行った理由は著作権の制度が整備されていないためであるということです。その理由は自分は出稼ぎや言論の自由が保障されている国での活動を目指したということではないのかと考えていたため意外だったためです。著作権とは国によって導入したりしなかったりというものというよりほとんどどの国でもあるものではないのかと考えていた。現在は導入されているだろうが当時導入されていないのは共産主義的な政治色が現在より強かったためなのかそれとも中国は当時は個人の権利というものがあまり認識されていないためなのかもしくは他にも理由があるのだろうかと考えた。
(文III・1年)


 この講義を聴く中で「植民地」に対するイメージが大きく変わった。植民地に元々住んでいた人々は支配され虐げられる可哀想な人々というイメージがあったが、香港の人々は植民地化そして脱植民地化を経験し中国との関係も変化する中で、自分は香港人であるというアイデンティティをもって自信をもって強く生きていたのだな、と思った。
 「ポルトガルがマカオに残したものは建物と血である」という言葉がとても印象的だった。今はマカオは世界最大のカジノ都市であることに驚いた。
(文III・2年)


講義で一番印象に残ったものの第一は97年香港返還前後の曲である「日本娃娃」が流れたことだ。歌詞の中に、“東急”、 “原宿”、 “すし”、 “トヨタ”といった日本に関する名詞が出てくることで日本的な暮らしにあこがれ、返還問題を深刻に捉えようとしないような香港の人々の気質が伺い知れた。また講義の最後に出てきたある一族の拡大の過程ではreunionでの写真の中に多様な人種の人々が写っていたが、そのことはごく限られた例であるとはいえ、香港というまとまりが世界に拡大していくことが理解できた。日本と香港の結びつきの強さを改めて知り、2047年に向けて香港の今後を隣国の人としても考えていきたいと思った。
(文III・1年)