EALAI:東京大学/東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ | EALAI 2016年度Sセメスターテーマ講義 | アジアにおける「植民地化」と「脱植民地化」 転換と変容のプロセス

月曜日4限(14:55〜16:40)
教室 514教室 K212(KOMCEE EAST 2階) K011(KOMCEE EAST 地下)
担当教員:岩月 純一
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

questionnaire

2016.06.06(月)ベトナム(1)

ベトナム民主共和国の独立宣言でフランス独立宣言が引用されてベトナムの植民地化はそこで宣言された人道主義に反する、と言われていたことはとても皮肉なことだと思いました。ベトナムの地域性によって、新しい傀儡(カイライ)国家ができたりアメリカがからんできたり…と戦争が複雑化していった様子が分かりました。
(文II・2年)


高校世界史で扱われるが、あまり注目されることのないベトナムの歴史を再確認することができた。その中でも特に気になった事項は日本統治時代の餓死問題である。一般にも日本人にはほとんど知られていないであろうし、自分にとっても初めて聞いた情報であった。大日本帝国統治下で生じた問題は中国や韓国の問題ばかりがピックアップされている。しかし日本の統治範囲は広域に渡っているということを意識し、ベトナムの餓死のようなことについても知ることが重要であると感じられた。
(文I・2年)


1900年代の知識人層の変容についての話に興味を持った。阮朝を保護国家化したフランスが、阮朝を残したまま、ベトナムの人を中身から変えていこうとして教育改革を行おうとしたことは、容易に想像できるし、他の国や地域の植民地化政策でも行われていると思う。しかし、私は、ベトナムの中で、フランス人の言う通りではないが、自分たちから変化を求めた、ということが興味深かった。他国から教育改革が行われたら保守的になって、今まで通りになろうとしようとしそうな気がしたからである。他の国・地域でもこのような動き・風潮があるのか知りたくなった。
(文III・2年)


ベトナムの脱植民地化は、今まで見てきた脱植民地化した地域の中できわだって複雑だったんだなと感じました。植民地化の時点で支配地域が複雑にいりくみ、この地域での脱植民地化は多くの人の血の元に成り立っています。国家としての道もだいぶ迷走をへたのだと伝わりました。教授が強調した“地域性”というものもとても面白かったです。世界で見た時、とても小さな国である日本ですら、地域性はそこかしこに残っていると思います。なのでベトナムなどには、より残っているのでしょう。“地域性”と“統一”。矛盾する2つがどの程度折り合いをつけて存在しているのか、より深く知りたいと思いました。
(理II・2年)


植民地化、脱植民地化の両プロセスにおいて現在われわれが「ベトナム」と呼ぶ領域が単一かつ均質なアクターとして存在していたわけではないという点が印象的だった。つまり、「支配領域を広げようとするフランス対それに対抗するベトナム人」という単純な構図ではなかったからこそ、脱植民地化に際しても南北の分離に発展し、統一までに多くのコストを要したと言える。
(文III・2年)


ヴェトナムは統一から歴史が浅いにも関わらず強い国民意識をもってフランスによる占領、日本による侵攻を否定している点が興味深かった。インドや香港の回にも言及があったが、他国による圧迫が“国民としての統一意識”をめざめさせるのは面白い現象だと感じる。それがポストモダン時代におきると脱植民地化のための被支配者(被害者)の叫びだけとはいえない違和感がある。そもそも国家としての統一感が必要なものなのかと問われている時代なので、植民地主義の罪は被支配国にこうしたタイムラグを生じさせてしまったところもあると思う。というのも啓蒙主義なのでしょうか。
(文III・2年)


ベトナムは最初帝国主義列強の政策により植民地化され、第二次世界大戦後冷戦期にいたる過程で南北に分断、その後内戦を経て統一されるという歴史を辿った点において、他の植民地国家に比べても稀な、戦争に満ちた国家であり、特殊なものとして捉えられるように思う。また独立後も長らくソ連の影響下にあるなど、大国の影響下に置かれ続ける歴史が続いた。改革開放路線に転じた後も、文化、特に教育の面での“フランス色”は完全に脱けきれていないものと思う。これは“近代”国家を経験せずして植民地となった地域に共通するものと思うが、“近代的なるもの”のほとんどをフランスから摂取したベトナムの宿命というべきものでもあり、この“フランス色”が適切な形で消化され“ベトナム色”と統合されたころにベトナムの脱植民地化の完成をみることができるのではないだろうか。
(文III・2年)