EALAI:東京大学/東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ | EALAI 冬学期テーマ講義 | グローバル化時代の現代思想—東アジアから

木曜日4限(14:50~16:20)
教室:12号館 1214教室
担当教員:石井剛
東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ

questionnaire

2014.11.13(木)「食べる/味わう」

「食べる」に対する思索アプローチは広く受容されていたのでしょうか。例えば江戸時代前期に生類憐みの令が出されるまで、日本には犬食いの習慣が残っていたという話を聞いたことがありました。確かに、仏教や神道によって肉食は否定される傾向ができあがっていたかもしれないですが、一方で市井レヴェルでは、そのような考えに至っていない人々も多かったのではと思うのですが、どうでしょう。(文Ⅲ・3年)

「味わう」という言葉からとても広い世界を見ることができたように思います。かつては殺生をしないことで、ある意味、死から目を背けていたのかもしれませんが、今はまた違った方法で死を見ない世の中を作っているように感じます。(文Ⅰ・2年)

人間が生きていく上では、動物を殺して食べることはどうしても必要なことであり、だからこそどう倫理的に折り合いをつけるかが昔から課題としてあったのだと思った。一方で、大量に食糧を破棄する現代において、味わうこともなく殺されてしまう動物がいるのは事実で、だからこそ新しい考えや見方が求められ、そこから生じたのがスローフードなのだと思う。この考え方は傲慢になっていた人間の食に対する考えの揺り戻しとして生じていると思うので、この考えがどのくらい浸透するか、そしてさらに次にどのような考えが生まれてくるのか注目していきたい。(文Ⅰ・2年)

食べる、味わうということを哲学的に考えようとするのが面白かった。食べるということは、人間が生きるために必ずし続けなければならない身体的なことだが、それは味わうという感覚的なことに結びついている。また、食べることは人の根源的な欲求であるからこそ、様々な時代、文化においてそれを抑え統制しようとする試みや、食べることの背景にある殺生を禁じる動きがあったのではないかと思った。(文Ⅲ・1年)

スローフードがただ「食事の選択」なのではなく、モラルをもつ行動・観念だということを初めて知りました。物を食べることは、対象を殺し、自分で咀嚼して取り込む暴力的行為。それは人間みなに共通することだから、「それを許す」という宗教の役割は、多くの人に訴えかけることができるのかと思いました。(文Ⅲ・1年)