まとめ | Date:January 28, 2008
これまでの感想を述べてください。授業で述べていただいたことと重複してもかまいません。
これまでの感想を述べてください。授業で述べていただいたことと重複してもかまいません。
授業の内容と実際に瀟湘八景を見たことを踏まえて、「見る」ことと「解釈」することの関係について論じてください。
今回の授業で取り上げた作品の中から何か1つを選んで、その作品が授業の前と後ではどう見えたでしょうか。前と同じでもいいですし、変わった感想でもいいです。
調味料、食材、調理方法などの観点から、中国料理はどのような料理と定義できるでしょうか。また、東アジアの他の国の料理と比較して、違いがあるとすればどのような違いがあると考えられるでしょうか。
皆様にとって、長い歴史の中で『中国料理とは』今回の講義を聴いて、前と後では、どんなイメージを持ったか考えて頂きたい。
東アジアで流通した書籍のさまざまなすがたという観点から、じかに書物を手にとって感じたことを述べてください。臆断や暴論も歓迎です。
携帯性、読み易さ等々、さまざまな面を総合して、あなたにとって理想の書物(本)とはどのような形のものですか。自由に考えを述べてみてください。授業の話に関連させても、あるいは関連がなくても、どちらでも結構です。
今回配布した資料の中の朱舜水の問答を読んで、喫茶関係の語彙が中国から日本に伝わるときの諸問題を考えてください。その問答の翻訳として、『アジア遊学88 アジアの茶文化研究』の高橋の文章「茶文化の歴史と重層性」を参照してもかまいません。
岡倉天心の『茶の本』(できれば原文を含めて)を読んで、彼の理解する唐の茶文化と宋の茶文化の
特徴はどのようなものか、それはどの程度的を射ていたかについて、本日の講義を参考にして考察してください。これとあわせて、彼がなぜ唐と宋の茶文化をそれぞれClassic とRomantic と呼んだかも想像してください。
また余力のある人は、既製の『茶の本』の翻訳(岩波文庫とか講談社学術文庫)の、特に中国関係の部分に変な訳があるのを探してみてください。
甲骨文・金文と、今から3000年ほども前の文字を読んでどのような印象を持たれただろうか。同じ漢字とはいえ、相当異なっていることが多々あろう。例えば書写メディア一つ取り上げてもそうである。我々は紙とペン、或いはパソコンのキーボードを使っていとも簡単に文字を書き付ける。ネット上で公開すれば不特定多数の人々に発信することができる。それに対し殷周時代の人々にとって文字はどのようなものであったか。甲骨文を亀甲獣骨に刻み付けるために使われた青銅の刀は、誰にでも手にすることができるものではなかったに違いない。金文に到っては、皮に書いた文字を鋳型に写し取るという相当複雑な技術を使って青銅器に文字が鋳込まれた。しかも器の見えにくいところに作りこまれていたことから分かるように、それだけの技術を用いながら、文章は同時代の人々に公開することを前提とされてはいなかったのである。
2回の授業で甲骨文と金文に触れた経験から感じ取った、殷周時代の文字と現代の文字の違いについて、自由に論じて欲しい。