麝香猫の謎:東アジアから見た動物表現 | Date:January 15, 2008

今回の授業で取り上げた作品の中から何か1つを選んで、その作品が授業の前と後ではどう見えたでしょうか。前と同じでもいいですし、変わった感想でもいいです。

 


::Comments [12]

recoba said :

若冲の虎図について。見え方自体はたいして変わっていないのだが、感じたことを少し。日本では見ることができない虎を描くのに(中国画とされていた)韓国画を模写したとのことだったが、模写といっても細部を自分流にしているところに画家の感性を感じた。現実を映像を作者のフィルターを通して描くのが絵画だとすれば、見ているものが本物の虎であれ他の画家が描いた虎であれ、完成した作品には作者の色がでるものだ。

M.O. said :

特定の一枚というわけではないのですが、猫と蝶という画題について。
言われてみれば、よく見かける組み合わせだと思うのですが、これまではただ、蝶が舞い、猫が遊んでいるのどかな情景、としか見ていませんでした。今回の授業を受けて、それぞれに吉祥的意味があること、また、このような構図がどのように歴史的に変遷したか、という経緯を知り、絵画には目に見える以上の「裏の意味」があることに、改めて気づかされました。何も知らなければ、ただ「綺麗」や「かっこいい」で終わってしまうような絵も、隠された意味に気づくことができれば、もっと面白く鑑賞できるのだろうと思いました。

ヨコ said :

毛益の麝香図(猫と蝶の図)について

猫の毛の質感をだすための筆の細かさは見て気づきましたが、紙ではなく絹、しかも裏から色彩を施したものだときき、大変驚きました。また猫の視線を利用して蝶の存在に人の目を向けるという工夫も芸があってすごいなぁと思いました。絵を描く対象によって絵具の種類をかえるのもこだわりを感じました。最初はなんのことはないただの自然の風景だったのに、猫と蝶に長寿の意味を持たしていると聞いて、自然の風景から計算された絵画の表現なんだと思いました。

takayuki said :

親子の猫の絵についてですが、初めは単なる「きれいな絵」程度にしか見えず、またこの絵のどこが面白いのかよく分からなかったのですが、その細かい花や毛の描写、背景の工夫、蝶の仕掛けなどの解説を伺って、なんと見所の多い、工夫された絵なのだ、と、見るのが楽しく感じられました。

Y.K. said :

毛益の萱草遊狗図は、最初に見たときはただかわいい犬の絵だな、と思っただけで、まさか吉祥の意味(男子誕生)があるとは思いませんでした。当時の人々がどのような気持ちでこの絵を見ていたのかと想像できたので面白かったです。
鴛鴦や桃など、もっとわかりやすい吉祥図案の絵は見たことがありましたが、もしかすると今までただ眺めていただけの絵にも深い意味が隠されていたのかもしれない、と思いました。

Mitsu said :

私が一番興味を持ったのは、狩野派の絵画です。
狩野派の絵画では、ジャコウネコはだんだん現実から
離れてデフォルメされて書かれていき、南蛮人が、
本物のジャコウネコを持ち込んだ段階で一気に
写実的な方向に変わっています。これは、とても
興味深いことだと思います。
狩野派というのは中学受験をすると小学校の時点から
金地に極彩色をつかった獅子の屏風などを習います。
初めて習ったころは、あまり文化的背景の探索などはせず、
すごいきれいな屏風だなぁ程度にしか考えませんでした。
しかし、今回の授業を受けて(虎の図にしてもそうですが)
非常に複雑な文化的背景の下に形成されたものなんだなぁと
いうことが改めてわかり、少し見方に歴史的な目が加わりました。

また、猫が蝶と戯れている図ですが、あの構図を見ると
なにか歌舞伎の「春興鏡獅子」を彷彿とさせるものがあるなぁと
思います。鏡獅子も比較的慶事に際して行われることの
多い演目のように思われますので、「吉祥的意味」というのは
他の日本の伝統文化にも通底しているのかもしれません。

TK said :

毛益の麝香図について。
やはり始めは、雰囲気を鑑賞するような姿勢でこの絵を眺め、特に驚きや感動は覚えませんでした。
先生のお話を聞くことでその技巧の細かさや細部へのこだわりを知り、明らかに鑑賞する自分の姿勢が変わりました。この絵に限らず、先生が紹介してくださった数々の技巧には驚かざるを得ませんでした。

y.y. said :

多くの方が触れている、孟益の蜀葵遊猫図を選びたい。

授業の前、それはただの一枚の独立した絵に過ぎなかった。(猫より犬の方が好きなんだよな…というつまらないことを考えていたり。)

授業の後には、授業で先生の解説を伺いながら中国、韓国、日本、と絵を追っていくことで私の頭に形成された文脈の中に蜀葵遊猫図を位置づけることができた。何の変哲もなかった一枚の絵が、意味を持ったのだった。

sn said :

毛益の麝香図について。
 中国絵画というと華麗であってもやや立体感には欠けるという先入観を持っていたのですが、猫の毛の描写ひとつとっても絹地の裏側も利用して非常に細やかかつ立体的な表現が施されているということを知り、もっとじっくり鑑賞すべきものだと感じました。
 また、子猫と親猫と蝶という何気ないのどかな情景の中に込められた吉祥の意味やそれを描かせた宮廷という特殊な空間に思いを馳せることができるようになり、この絵画を「読み解く」おもしろさを得ることが出来たように思います。

Veilchen said :

毛益の蜀葵遊猫図について。
はじめに見たときからクオリティの高さには驚いていたが、タッチが毛並みにそっていることや裏からの彩色という細かい技法についての解説を聞いて、その芸術性に恐れ入った。
特に、背景の葵の拡大画像。自分も絵を描くので、ああ背景でこれくらいの描き込みなら自分もするよなーとか思っていたら、花びら1枚が3mmという大きさと知って本当にびっくりした。先生も言っていたが、その大きさでデッサンは狂わず、グラデーションや縁取りなどを使った丁寧な彩色をしているというのは本当にすごい気合いの入れ方だと思った。画力が違う。もう恐れ入るしかない。
しかも構図の凝り方や、モチーフの意味を聞いて、これはもうオタク的な解釈の世界だな、と思った(変な言い方だが、いい言葉が思い浮かばない・・・)

AA said :

最後に登場した歌川国芳(?)の南蛮風の浮世絵について。

麝香猫の生まれ故郷の中国から、地理的にも時代的にも遠くまでやってきた猫の最後の一変化を感じた。
中国宮廷の珍しい愛玩動物に吉祥的意味合いを込めて描いたものから、極彩色の浮世絵へ。もうこの頃には、猫と蝶の持つめでたい意味は薄れて単に伝統的図式だからと描いていたのかもしれないなー、と勝手に想像すると、一枚の浮世絵から毛益・若冲たちそれぞれの猫の顔が覗いた。

Y*S said :

猫と蝶の画について。
この組み合わせはよくあるが、吉祥的な意味を持っていることは全く知らなかった。
また、質感を表現するのに、わざわざ裏から色をいれたり、また、その塗料の素材自体を変えたり、布に描くか紙に書くかを変えたりしていることに感動を覚えた。先生もおっしゃっていたが、そういうことを分かっていて画を鑑賞するのとしないのでは、大きな差があるし、画家がそれだけのものを鑑賞者が読み取ってくれるのだろうということを期待しているのだということがとても伝わってきた。
画の構図にも、色彩にも、題材にも、大きな意味が込められているのだということを実感して画を見ることで、その画の作者とも対話できるような気がした。

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