金文を読む | Date:November 12, 2007

 甲骨文・金文と、今から3000年ほども前の文字を読んでどのような印象を持たれただろうか。同じ漢字とはいえ、相当異なっていることが多々あろう。例えば書写メディア一つ取り上げてもそうである。我々は紙とペン、或いはパソコンのキーボードを使っていとも簡単に文字を書き付ける。ネット上で公開すれば不特定多数の人々に発信することができる。それに対し殷周時代の人々にとって文字はどのようなものであったか。甲骨文を亀甲獣骨に刻み付けるために使われた青銅の刀は、誰にでも手にすることができるものではなかったに違いない。金文に到っては、皮に書いた文字を鋳型に写し取るという相当複雑な技術を使って青銅器に文字が鋳込まれた。しかも器の見えにくいところに作りこまれていたことから分かるように、それだけの技術を用いながら、文章は同時代の人々に公開することを前提とされてはいなかったのである。
 2回の授業で甲骨文と金文に触れた経験から感じ取った、殷周時代の文字と現代の文字の違いについて、自由に論じて欲しい。

 


::Comments [17]

かなこ said :

甲骨文から金文、テン書へと文字の変化が少し見えて、前回の甲骨文だけでは分からないおもしろさがありました。
また青銅器を作る技術やそれに銘打つ技術もすごく考えられているなぁ、と感じました。

y.y. said :

現代において政府による基準の作成などを通じて文字が固定されている、あるいは、文字は固定的なものであると一般に認識されている(基準・文字が変わることもあり得なくはないが)。殷周時代には文字はもっと柔軟なものとして捉えられていたのではないだろうか。春秋戦国の世を経て秦の始皇帝が文字を統一することから考えても、各地で文字が多様な形で使われていたことが容易に推定できる。
もしそのように文字が固定的なものではないと考えられていたのであれば、殷周拾代には、文字はそれが指し示す対象とより強く結びついていたのではなかろうか。字形からその字の示すものが比較的容易に読み取れることが多い(少なくとも、トレースした文字のなかにはそのような文字が多かった)のは、文字がまだできたばかりであるからというのが大きな理由ではあるのかもしれないが、そのような理由も考えられないことはないのではないだろうか。

recoba said :

現代人は何の疑いもなく文字はコミュニケーションツールだと思っているが、もともとは祭祀などに使われる権威あるものだったことを実感した。教科書などで読んで知ってはいても、実際に触れてみると感じ方がちがうものだ。

takayuki said :

前回同様、やはり「現在と違って神聖なもの」であった、と感じたが、またそのほかに、「現在の文字より、はるかに自由だった」ともかんじた。飾りだけの文字があったり、本当に絵そのものの漢字があったりと、昔の漢字自体の自由さも感じ、また先生のお話を聞いて、これらの研究にも、自由な発想による解釈が大事なのだと感じられ、神聖さの中に、自由な楽しさも味わえるものである、と思った。

Mitsu said :

まず、金文について僕が感じたことは、青銅器に文字を鋳込むような高度な技術が当時
存在したのだなぁということである。また、甲骨文と金文は同時期の文字であるが、
文字の形状が異なることは非常に興味深いと思った。現代は、ネットワークでつながれた
高度情報機器の時代である。(ユビキタス・ネットワーク社会というべきだろうか。)
そして、最近話題になっているWeb2.0に代表されるように個人がそれぞれの「個性」を
以って情報を発信する時代になっている。しかし、その裏で進んでいることはといえば、
画一化である。たとえば、情報機器にしても画一化されないとネットワークに接続できない
使い物にならない代物なのである。また、言語・文字の面でも統一が進んでいる。
もちろん、秦始皇帝のころから文字の統一はなされ始めたわけだし、ルイ14世のころから
国家の統一性維持のための言語統一への動きは見られた。ただ、現在ではどうだろうか。
インターネット上には英語があふれている。また、一部フォントのヴァリエーションはあるものの、
明朝やゴシックといった和文フォントやCenturyなどの英文フォントに文字の形は標準化されて
きている。なぜなら、あまりに違った文字はコンピュータによって認識されないからだ。
また、コンピュータ上ではキーボードのキーの数の制約もあるからだろうが、
入力が難しい文字が出てきている。たとえば、フランス語のアルファベットがそれである。
現在、携帯電話でアクサン(アクセント記号)が入力不可能なこともあり、
フランスではアクサン(テギュ・グラーヴ・シルコンフレックス)などの特殊な文字が
若者世代を中心に使用されなくなりつつある。これは、ひとつの文字文化の絶滅ではないかと
私は思う。12日の授業の最後に「フィルター」の話が若干出たけれども、それは現代において
顕著に用いられかつ使用者にもわからないような次元で潜在的に拡大しているのではなかろうか。
別に今から、甲骨文や金文の時代に戻れと言っているわけではない。
しかし、無意識のうちに標準化の渦に飲み込まれているということは意識の階層まで
引き上げられるべきことだと思うし、また現在ある文字文化の多様性は
絶滅から守られるべきではないかと私は考える。

TK said :

 前回もコメントしましたが、古来の文字とはいえ殷周時代の文字もあくまで漢字であり中国語なのだと強く痛感しました。むしろ、漢字以上に甲骨文字は絵的な表現が多く、親しみやすさを感じたほどです。しかしその一方で、甲骨文や金文が政治的、呪術的なものであることも強く認識しました。特に金文はその丸みを帯びた形状から神秘的な雰囲気を持っていますし、禍々しいという印象すら持ちました。やはり文字が手軽に利用でき氾濫している現代と比べて当時は文字一つ一つが重んじられており、そのためにあのような迫力が感じられるのかもしれない、と思います。

M.O. said :

甲骨文字や金文を実際に写し取ってみると、とても曲線的で書きにくい文字であると思いました。パソコンのフォントなどを見ても感じることですが、現代の文字はどちらかというと簡略化されて、一般の人でも手軽に扱えるようになっています。これに対し、甲骨文や金文が作られた当初、文字は、現代より遙かに限られた人の間でのみ、用いられていました。これは、文字というものが、人間同士ではなく、神とのコミュニケーションツールとして考えられていたためではないかと思います。

Veilchen said :

甲骨文や金文は、現代の漢字に比べて絵文字に近いと思う。また、殷周時代の文字は現代の文字に比べて曲線的だ。これらの文字を比べて感じたのは、漢字が時代を経て抽象化され、一意的になったということだ。
 甲骨文・金文は、ちょっとした曲線の曲がり具合、線の長さの加減などで別の字にとられかれない曖昧さがあると思う。甲骨文の"十"と"七"と"甲"はみんな十字線で、長さの割合の加減で区別されるということや、金文の字体の違いがまとめられていることなどがいい例だ。もちろん現代の漢字にも曖昧さがないわけではないが、縦線・横線を基準にして、他の点やはらいなどの要素を体系化してまとめられるほどには一意的であるといえるだろう。
 しかしそもそも甲骨文・金文も絵から抽象化され一意的になった(おそらく)からこそ文字として認められているわけで、どうしてそういったプロセスが起こるのかは人間の認知という点でまた興味がある。

ちなみに私は『串』という漢字を見ると、漢字が表意文字であることを改めて思い出す。

MOËT said :

古代の文字は占いに用いられただけあって神秘的な感じがしました。甲骨文字や金文は現代の漢字とはかなり雰囲気が異なり、写し取るのにはけっこうな時間がかかったと思います。文字を亀甲に刻んだり青銅に鋳込んだりする手間を考えると、殷周時代の人々は一文字一文字を大切に扱っていたのだと感じられました。

AA said :

殷周時代では、文字は人間同士のコミュニケーションツールというより、目に見えない神聖なものと繋がるための道具であったように思います。そのため、文字自体が神聖なものであり、限られた人間だけがその技を知っていればよかった。そのように限定性を高めることによって、神聖なものへの畏怖を強め、集団の宗教意識を密度の濃いものにしていたのではないでしょうか。
現代では文字は人間同士のコミュニケーションツールになり、誰でも読んだり書いたりできます。その一方で、まだカトリック教会はラテン語を重んじているし、コーランはアラビア語でしか読んではならないという教義も生きている。また、複数の記号を組み合わせて文字を作るいわゆるギャル文字などという解読不明なものもある。基本的なコミュニケーションである文字だからこそ、時にある文字圏(言語圏)に属していない人々への排他性を高めることも容易に出来ると思います。それが良い方向に働けばよいのですが。
周りに溢れまくっている文字のひとつひとつを噛みしめてみたくなりました。

K.U. said :

 甲骨文と金文を体験してみて、現代の文字みたいに長い文章を書くことは技術的に
難しかったのだと思います。しかし、その分だけ文字の一つ一つに重みを感じました。

Y.K. said :

殷周時代の文字と現代の文字との違いで一番目に付くのは曲線中心か直線中心か、という違いでした。甲骨文字や金文は曲線が多いためかちょっと可愛らしかったです。現代の漢字は様々な「フィルター」を通ってきたため、わかりやすく、使いやすいものになってはいますが、そのぶん甲骨文字などと比べると趣がなくなってしまったと思いました。

KM said :

殷周時代の文字と現代の文字の違いの最たるものはその重みだと思う。
私は今こうやって文字を書いているが、1文字を書くのに1秒もかかっていない。書き間違えたり、訂正を加えたいと思えばあっと言う間に実行することができる。それに比べて甲骨文や金文は文字を書くのにも時間がかかり、一度文として完成してしまえば訂正の効かないものである。
さらに殷周時代の文字は神と人とをつなぐものであったり、臣下関係を確認するものであった。文字にするという行為は、言葉を瞬間的に消えないものとして保存するという点では現代も古代も変わらないとは思うが、その行為を行うことの重要性はまったく違っただろう。
書く手間や意味など様々な面から見て、古代の文字は現代の文字よりも重いものだと感じた。

Tjutju said :

 甲骨文や金文の時代には文字は聖なる物と捉えられていた様だが、是は当時の人々が水を御する力を余り持たなかった為荒狂う川に聖性を感じたが如く、記録する力を余り(口承)持たなかった為に文字に聖性を感じたのではないか。その点では「情報は力」等と言われる現代との違いは程度の差である様に思う。
 寧ろ違いが目立つのは文字の使われ方である。甲骨文や金文の文面は天と交わったり後世の人の参考となったりする事を意図している。しかし現代の文字は、記録媒体という面も勿論大きいものの、今という時点における情報交換の為に使われる事が圧倒的に多い。日記は之には当て嵌まらないが、平安貴族の様に子孫の参考に供する為に日記を書いている人は少ない筈で、一般には自分の為に書いていると言えるだろう。コミュニケイションの相手が前者では天という時間性を持たないものや後世の人であるのに対し、後者では同時代人や自分である。この時間軸の縦中心から横中心への変化が一番大きいと感じる。

sn said :

今でこそ文字は多くの人間によって日常的に用いられるコミュニケーションツールであるが、甲骨文字や金文はそういう位置づけには無かったのだろう。
ごく限られたその国の運営に携わるような特別な人間だけが理解し、用いたそれは権力の象徴でもあったのではないかと思う。その文字が刻まれる目的も方法も、占いの結果であったり、大切な人に送るものであったりと特別なもので、それは刻まれたものに触れられる限られた人物のためだけに存在している。
また、どうしてもその要素は呪術的なものとも結びつくだろう。当時の文字はその書くことの困難さから言ってもそれを刻むこと自体が呪術と言えたかもしれない。

keiko said :

最初は象形文字だけだったのに、だんだん会意文字などもでてきたのは、文字の流通が感じ取られて興味深かった。
また「やまいだれ」一つにしても「人が伏したベッド」の象形だと知り、単に代表的に使われてる漢字が病だから、便宜的にやまいだれと呼ばれているのだろうと思っていた私には衝撃だった。殷周時代に比べ現在の文字は形が整理されているなと思った。

Y*S said :

甲骨文字を写し取って感じたのは、曲線が多くて、書くのに時間がかかったということです。
やはり、文字も時代の流れの中で形を変えて書きやすいようになってきたのだといくことを、直に感じることができました。
甲骨文字は象形文字に近いところがあって、書いていて何か絵を書いているような気分になりました。

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