中国茶 第2回 | Date:November 26, 2007

 今回配布した資料の中の朱舜水の問答を読んで、喫茶関係の語彙が中国から日本に伝わるときの諸問題を考えてください。その問答の翻訳として、『アジア遊学88 アジアの茶文化研究』の高橋の文章「茶文化の歴史と重層性」を参照してもかまいません。

 


::Comments [19]

Mitsu said :

まず、第一の問答からわかることは、前提知識の問題である。
中国人にとって「煎」、「点」は日常的に使っている漢方上の
知識であり、そのまま用いても彼らの中では通用する。
しかし、日本にそのまま持ち込んで日本人に対して「煎」や「点」と
いった漢字を使っても実感がわからないことがある。
だから、この第一の問答が生まれたのではなかろうか。
このことは、現代においてもいえると思う。国際化の時代において、
「前提知識の有無」はコミュニケーションにおいて重大な意味を持つし、
また時にはコミュニケーションをスポイルしかねない要素であると思う。

また、第二の問答からわかることは、(第一の問答にも通じることだが)
字が違うということである。同じ漢字文化圏であるといえども、
両国長い歴史を持っている上に、日本は国風文化の時代などに
独自の漢字を作り出した関係上、同義を表す漢字が違う
ことがある。そのため、この質問者は「泡」に相当する漢字の
字義を求めたのではなかろうか。

平澤 said :

TAの平澤です。
既にMitsuさんが、的を射たコメントをなさっていますが、中国語を学んでいない方にとって、課題の文章を解読するのは非常に手間がかかると思われるので、拙訳を以下に示します。
なお、きちんとした訳を知りたい方は、お題にも挙げられている高橋先生の文章を参照すると良いと思います。

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問 中国には、長らく「煎茶」というものがあります。唐の陸羽・(陸)亀蒙・盧仝・張文[又]新などの人たちには「煎茶」の詩作があります。また、宋代には「点茶」の詩があります。「煎」、「点」というのは、その違いは何でしょうか。

答 宋以来、皆、「点茶」の方法を用いています。「点茶」といわれるものは、「点」とは「湯」のことです。水が沸騰し過ぎると、おそらく茶の風味を損なってしまいます。そこで、まず数匙の冷水を湯の中に入れてから茶を茹でれば(「〓」)、風味は損なわれません。そのため、「点茶」というのです。「煎茶」はまた別のもので、「六安」などの茶は、長い間煮ても味は損なわれず、そのために「茶を煮る」という言い方もあるのです。しかし、「煎茶」も「点茶」も世間の人々は両方用いる呼び方で、それほどの区別はないのです。

問 「〓」という字の意味は何でしょうか。また、「六安」とは何のことですか。

答 「〓」とは、「泡」のことです。半分だけ湯を入れてから茶を入れ、更にまた湯を加えて満杯にするのを「〓」というのです。「六安」は地名です。そこの茶は非常に良く、胃に溜まったものや油っこさを消化する作用があり、そのため、長く煮て味が十分出るのです。

※「〓」:「ヤク(「さんずい+龠」)」
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「ヤク」という漢字が掲示板で表示できないため、「〓」で代用して、読みにくくなってしまいました。申し訳ありません。
最初の朱舜水の回答中の「点、湯也」の「湯」は、「湯を差すこと」でしょうか。また、最後の回答中の「泡」というのは、恐らく「泡茶法」の「泡」、すなわち「ひたす」ということでしょう。

つまり、朱舜水の説明では、「点茶」=「「ヤク」という動作によって茶を入れること(恐らくは泡茶法)」、「ヤク」=「半分お湯を入れてから茶を入れ、その上から残り半分の湯を入れる(授業では「中投法」として紹介されていた手順ですね)」となっています。


なお、蛇足ながら付け加えると、日本で「茶を点(た)てる」と言った場合、その手順は朱舜水の言う「点茶」ともまた異なりますので、
必ずしも、この小宅生順と朱舜水との問答自体が、喫茶関係の語彙が日本に伝わる際に影響した、とは言えないとは思います。
Mitsuさんのように、これを一例とし、大きな問題を考察する足掛かりとして利用し、論述するのが良いでしょう。

recoba said :

語彙の伝達というのは伝言ゲームのようなものだ。それは喫茶関係の語に限ったことではなく、喫茶の場合、文字によって誤解が生じ、日本と中国で同じ語彙なのに意味の違いがでるということになったのだろう。古今東西問わず何かが伝わるときには情報のズレは不可避であり、喫茶の例はより大きなコミュニケーションの問題を示唆しているとおもう。

たいし said :

文字の起源が中国であり、同じ字面の漢字とはいえ、日中で全く異なる意味となる漢字はかなり多い。漢字本来の美しい意味が脱色されて日本に残った例もあるし、日本の風土文化によって従来の意味に厚みが生まれた漢字も、もちろんある。それはごく自然なことで、研究する過程で意味の違いに気をつければ良い話だし、それを現在の、日中のいくつかの面に置ける対立と結びつけるのは飛躍ではないかと思う。
むしろ、我々の現在使っている文字のほとんどが大陸起源であるという事実を再認識することが大事なのではないか。英語のmajorは、ラテン語のマヨルから来ている。マヨルは元を正すと古代インドで偉大という意味のマハ(マハラジャのマハ)から来ている。さらにその言葉は東アジア地域にも伝来し、今日の仏教用語である「摩訶」となった。このようにマハ一語のみ見ても、そこにはインドヨーロッパ語族の南下や仏教の東伝などの世界史上の大事件が隠されている。他地域で文字を共有していることは、そもそもが古来から文化交流していたということなのだ。僕はその事実を大事にしたい。ただそれが、20世紀初頭の、例えばユーゴだとかのように「安易な民族の創造」に結びつかないように注意しないといけない。

Y.K. said :

日本も中国も同じように漢字を使っているため、中国語の翻訳は比較的簡単であるようにも思えることがあります。しかし、同じ漢字を使っているからといって、必ずしもある文字が日中で同じ意味をあらわすとは限らないため、下手をすると誤解したまま語彙を取り入れてしまう可能性があるでしょう。
また、やはり漢字を使っているために、正確な意味がわからなくてもなんとなくわかったつもりになってしまうことが問題だと思います。私は朱舜水の問答のなかにあった「茶気」という言葉をなんとなく理解したつもりでいましたが、TAの方が訳例の中で「風味」という言葉にはっきり訳されていたのでとてもすっきりしました。

T.K said :

文化間の語彙の伝達については一般的にも難しいものでしょう。まず確実な伝達はありえないでしょう。しかし、日中文化間の語彙伝達を考えるとさらに問題は複雑です。それは日本語の根本的な部分、つまり漢字が中国語に由来するものだからです。それ故、日中間の語彙伝達は一見スムーズに進むようでもあります。しかしそれには疑問があります。それは各々の文化はあくまで固有のものであるからです。朱舜水の問答においても、やはり、中国独自の漢方的知識が前提されるものでしょう。ここで最も重要視されるべきは、共通の文字を用いているという外見に惑わされず、両文化間の違いや語彙伝達の難しさを意識することだと思います。

takayuki said :

授業中、先生が「一沸」などの状態を見極めていらっしゃるところなどを拝見したことを思い出しつつ、資料を読んだのですが、文字で、しかも当時の日本人にとってわからない専門用語だらけの「中国茶文化」を勉強することは、きっと想像以上に難しかったのであろう、と思いました。

かなこ said :

日本も中国と同じように漢字を使っているため、原文の意味を何となくわかったような気になってしまい、しっかり調べることなしに終わってしまうかもしれませんが、異国間の文化交流においてもっとも大切な微妙なニュアンスの伝えることがそれではできなくなてしまう恐れがあると思います。
一般の人は余計に勘違いしてしまうとおもうので、同じ文字を使っているからこそ、慎重に翻訳しなければならないと思いました。

AA said :

ほとんどの方が書いておられるように、日中で漢字という共通の文字(現在では簡体字のために結構違いますが)を有するがために、より理解が難しくなっているという事はあると思います。なんとなくは筋が通るように読めるために、ある語の中国語における意味と日本語における意味の違いに気づきにくくなるのではないでしょうか。
喫茶の語彙に関して言えば、「泡茶」と読むとなにかカプチーノのような、または日本の茶道の濃茶のようなものを想像してしまいますが、全く違うものなんですよね。
喫茶、また中国語と日本語間に限らずある特殊な技法(しばしばその国の伝統的な)には、その国の非常に広い範囲の文化・習慣が含まれるために、訳し方・伝え方はとても難しいと思います。また、知る側にもある程度の事前知識は必要になるでしょう。

Veilchen said :

やはり中国語と日本語では、同じ漢字だけど違う意味を持つことによる問題があると思います。実際私もはじめて「泡茶」の文字を見たときに、現代日本で言うところの抹茶のように茶を泡立てて飲むのかと思ったけど、本当は湯に茶葉を浸す入れ方だったという勘違いがありました。

みずき said :

日本と中国では、同じ漢字を使っているだけに勘違いしやすいところがあると思います。
また文化は受容するだけに限らず、伝わってきたものを発展させていくので、その過程で新しい言葉が生み出されることもあります。そのような状況でもともとの言葉を日本語に翻訳することはとても難しい作業だと思います。

Tjutju said :

まず第一の問題として「煎」「点」等の術語が解らないと云う語学上の問題が有る。そして舜水が当然解ると思うて例に挙げた「六安」の銘柄が通じなかった所に文化的前提知識と云う第二の問題が有る。この二つが茶道という「道」を伝える難しさを増幅している。
「泡」の字が「ひたす」を意味するというのはやはり言われないと気付かず間違うたまま解ったつもりになってしまう。しかし此様に用漢字法の違いが誤解を生み易いとはいえ、共に漢字を使うている事は両国の距離を縮めるのに大きな役割を担っているといえる。現在の字体が少し違う状態でも、漢字が読めれば中国語を学んだことの無い人でも少しは理解出来る所がある。文字が違えば一般人には誤解すら出来ない。まして当時は中国でも日本でも知識人は漢文を使いこなしていたし、体制側から倭寇と呼ばれた日本人だか中国人だか判らない様な人々も居た。
思えば上に挙げた問題のために茶道の様式は多少間違うて伝わったかも知れないが、一番大切なのは一人一人が茶に真剣に向き合うことではないか。されば日中間の障壁は、却って日本人に少ない情報の下で茶と向き合う事を促し、日本の風土に合致した独特の茶道を生み出したと言えるだろう。

やまも said :

 皆さんが書いている事と同じになってしまいますが、やはり日中の共通の文字である漢字が正しい語彙の理解を妨げているような気がします。これは日中間に関わらず、日本人同士のごく身近なコミュニケーションの中でも言える事ですが、自分が相手に何かを説明しようとする時、どうしても自分は理解しているがために相手に上手く伝えられなかったりします。これが英語やアラビア語のように日本語と全く異なる言語ならまだしも、漢字という共通ツールを有するために、なんとなく理解したような気になってしまい、とんでもない誤解を招いたりすることもあると思います。

MOET said :

日本語と中国語では同じ漢字を同じ意味合いで用いている場合と全く異なる意味で使っている場合があり、それで語彙を正確に伝えるのが難しいというのは(私も中国語を学んでいるので)よくわかります。また漢字の意味の捉え違いだけでなく、ある意味を持つ中国の漢字に対応する日本語が存在しなかったために語彙の意味合いが次第にズレていったしまったのではないかと思いました。

y.y. said :

皆さんの議論の大きなポイントは「同じ言葉が伝えられる中で意味が変質してしまった」ということであると思います。この朱舜水の問答で中国におけることばの意味と日本におけることばの意味の間の差異に違和感を感じてしまう一方で我々がカタカナ外国語(たとえば、「ダイエット」「リベンジ」など)の意味とそのもとの外国語の意味の間の差異にさほどの違和感を感じないのは、日本が中国と「同じ」漢字を用いているからなのだろう。

keiko said :

喫茶とは新しい文化であったので、文字もそのまま輸入されたのだと思う。前の方が指摘された通り、あてはまる概念が日本にはなかったのだろう。初めての概念を理解するのは容易なことではなく、また十分に理解できなくても形だけでも楽しむことのできる喫茶だから、年月の経過とともに、意味が伝わらなくなったのだと思う。しかし、文化として考えた際、表面だけの伝播に終わることは問題であり、語彙だけでなくそれまでの文化の蓄積などの理解も必要になってくるであろう。

sn said :

同じ漢字という文字を使っているからこそ、中国の語彙が日本に伝わるときには誤解も生じやすい。
日本での意味と中国での意味が異なっていた場合、全く違う内容が日本に広まってしまう恐れがあるし、日本ではあまり使われていない漢字が中国の文献には少なからず用いられていたりもする。日本人が字面だけで解釈しようとするとどうしても不明確な部分が出てきてしまうだろう。
基本的な分類分けのタグである煎茶、点茶、泡茶という語彙ですらも、文面からの解釈は困難である。
中国の文化は鎖国が成立した17世紀後半においても日本にとってかなり重要とされていたはずであり、中国の正しい知識を取り入れようという思いも強かったのではないかと思う。
当時生きた中国文化を日本に伝えうる存在であった朱舜水は、このような問題を抱える日本と中国の間をつなぐ重要人物であったことだろう。

KM said :

皆さんが指摘しているように、中国語と日本語における漢字の違いがとても大きいと思う。そもそも日本語には無い漢字が使用されていたり、日本語の漢字とは意味が違ったりするため、翻訳の段階で誤解が起きることも多いだろう。
だがこの意味の違いは、単純に正しい訳語を当てはめれば解決出来るという物ではないのが問題だ。
例えば「煮る」に関して言えば、日本語には「煮る」「ゆでる」などの言葉があってそれらを区別して使っている。しかし一方で中国には「煎」「点」などの言葉があり、やはり一応の区別がある。そして問題なのは日本における「煮る」の区別と中国における「煮る」の区別は違うということだ。
そもそも概念が違うため、適切な訳語は無い。新たに訳語を作るか、中国語をそのまま使うか、丁寧な説明文に直すか、の三択となるのだろうが、ここで誤解が起きる可能性が多いにある。
言葉というものは、単純にある物や行為をさすと考えがちだが、言葉は逆に文化や概念によって規定されており、異言語間の伝達は非常に難しい。我々はこの概念の差を忘れずに、外国語やその訳語に向かいあっていかねばならないと思う。

Y*S said :

日本語と中国語は漢字を使うという共通点を持っているため、中国語の文章を読んでなんとなく理解したつもりになれますが、逆に理解したつもりになるからこそ正確に意味を把握しようという意志が薄れて、実際は少し意味を取り違えるということが多いように思います。
その上、同じ漢字を使っており、中国文化の一部は海を越えて日本に伝えられたとはいえ、日本で受容された後、独自の形に変えられたり、また、文化を育む思想などの土壌自体も異なる部分が多くあったりするために、喫茶関係のみならず、中国の語彙が日本に伝わる際に、正確にそのまま伝わるということはありえないと思います。
しかし、そのように解釈が異なるからこそ、文化は変容し、発展を遂げ、さらなる広がりを見せるのだと思いますし、そうでなければ、この地球上に文化がこれほどまでに多様に存在することはないだろうと思います。

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