書物の歴史(中国) | Date:December 3, 2007

 携帯性、読み易さ等々、さまざまな面を総合して、あなたにとって理想の書物(本)とはどのような形のものですか。自由に考えを述べてみてください。授業の話に関連させても、あるいは関連がなくても、どちらでも結構です。

今日の講義で齋藤先生がご紹介くださった印刷博物館のURLです。

印刷博物館
http://www.printing-museum.org/

 


::Comments [17]

TK said :

 書物は文章を保存し、それを読むものです。ですから書物の価値はその内容に大きく依拠します。文字の大きさ、文章の読みやすさなど。逆に言えばこれらの点は文章の改善でどうとでもなるものです。それでは書物にはどのような点が求められているのか考えてみます。
 巻物のような書物が現在用いられていないことからもはっきりしていますが、やはり書物には検索性が不可欠でしょう。つまり、読みたい内容を素早く読むことができるという要素です。巻物の場合でも、他の書物と同様の文章を書き込むことは可能です。しかし例えば書物の後半のある特定の箇所のみを読みたいとしてもそう容易には読めません。このような検索性を考えるならば、索引の重要性も再考されます。さらには電子図書の利便性にも改めて惹かれるものを感じます。
 
 
 

y.y. said :

私にとっての理想の書物の形態は現在書店に並ぶ本がとっている形態です。文字が紙に印刷されていてこそ可能なことが多い気がします。
授業で取り上げられた書物を考えてみましょう。竹簡を持った時感じたのは大きく重く読みにくいことでした。木簡も同じでしょう。竹簡や木簡もそうですが、巻物形式や折本の形式だとページをめくって読みたい部分を読んだり速読することが困難です。
授業から離れて現代の「書物」を考えてみますと、携帯端末やパソコンなどで本が読めるようになったことが頭をかすめますが、「書物」のデータを表示するものがなければ読むことができませんから現在の本ほどの利便性は認め難く、パラパラページをめくって読みたいところを読んだり速読したりすることも難しく、何かを書き込むことができません(あるいは、書き込みをするために手間がかかります)。
宋の時代の胡蝶装本から現在の本に至るまでの書物は、書き込みをできますし、ページをめくって本を読み進めるのも簡単ですし、軽くて持ち運びしやすい(本によって大きさや厚みは様々ですが)、まさに「理想の書物」ではないでしょうか。

takayuki said :

大学に入ってから、自分の興味ある分野の本を読む中で、「本」という発明品のすばらしさを実感しています。紙の、普通の本ですが、これはいつでも、誰でも、好きな時に情報を得て、考え、また自分の本ならば書き込み、自分だけの本になって行くような側面に惹かれてのことです。一方で図書館の検索システムの便利さや、インターネットなどの便利さや、複製し、長期保存できる電子システムの強さも感じており、現在の、紙の本と電子データが組み合わさった形が、僕には理想的に感じられます。

Tjutju said :

書物の歴史を繙いてみると、今の書物は軽く持ち運びやすい、検索がほぼ自由、行間に書き込める余白が適度に空いている等かなり優れた物である事が解る。しかし開いた時に紙面が真っ直ぐにならないで置いておくと閉じてしまい特に書写す時に大変だったり、複写を取りにくかったり、書込みにくかったりするので蛇腹型も良いのではないかと思う。

recoba said :

理想の書物とはどのような形のものか、一言でいうなら場合による、としか言いようがない。例えば、趣味で読むような小説の場合、電車で読むことが多いから軽くて小さい印刷形式のものがいい。分量が多いなら何冊かに分かれている方がいいだろう。しかし、研究用に使うなら、検索しやすさが重要で、まとまりのある形式のほうがいい。さらにいうなら紙に印刷してある必要はなくword文書などで事足りる。目的によって重視されるファクターが異なる以上、理想型を一つにしぼることはできない。

たいし said :

書物は文字情報を保存して伝達するツールです。書物はその情報の性質に特化した形態を取ります。例えば、新聞は装飾性、読み易さを犠牲にしてでも即時性に特化しています。また性質上カリフの持つコーランなんかは携帯性を犠牲にして装飾性を高めています。
つまり書物はその情報の性質によって形態をかえるものであり、さらに書物を読むことが単に情報を得るだけでなく、他の付加価値を持つ行為であることを考えると(コーランを読むこと自体が宗教行為であるように)一概に理想の書物を決めることは出来ないと思います。
ただ個人的な意見を言うと、電子ブックとかは大嫌いです。何故なら余白に自分のメモも書けなければ、実際に本棚に並べることが出来ないから。本棚を眺めると当時の自分が思い出されます。貴重な時間です。昔読んだ本を読み返すと自分の書いたメモが恥ずかしくなります。それこそ本の持つ価値の結構デカい一面だと思います。さらに、古本屋で本をまくるのが好きなんですがそれは前に読んだ人が一生懸命にしたメモがあるからです。僕の興味ある本を昔の人が手に取り、思い思いのメモを残す。それを何十年も後に生まれた僕の本棚に並ぶ。それって素敵だと思う。昔大正時代の中学の教科書を古本屋で見たんですが、落書きばっかのもあれば小難しいメモばっかのもあったりして、すごく愛しかった。そうゆう経験を大事にしたいです。

たいし said :

書物は文字情報を保存して伝達するツールです。書物はその情報の性質に特化した形態を取ります。例えば、新聞は装飾性、読み易さを犠牲にしてでも即時性に特化しています。また性質上カリフの持つコーランなんかは携帯性を犠牲にして装飾性を高めています。
つまり書物はその情報の性質によって形態をかえるものであり、さらに書物を読むことが単に情報を得るだけでなく、他の付加価値を持つ行為であることを考えると(コーランを読むこと自体が宗教行為であるように)一概に理想の書物を決めることは出来ないと思います。
ただ個人的な意見を言うと、電子ブックとかは大嫌いです。何故なら余白に自分のメモも書けなければ、実際に本棚に並べることが出来ないから。本棚を眺めると当時の自分が思い出されます。貴重な時間です。昔読んだ本を読み返すと自分の書いたメモが恥ずかしくなります。それこそ本の持つ価値の結構デカい一面だと思います。さらに、古本屋で本をまくるのが好きなんですがそれは前に読んだ人が一生懸命にしたメモがあるからです。僕の興味ある本を昔の人が手に取り、思い思いのメモを残す。それを何十年も後に生まれた僕の本棚に並ぶ。それって素敵だと思う。昔大正時代の中学の教科書を古本屋で見たんですが、落書きばっかのもあれば小難しいメモばっかのもあったりして、すごく愛しかった。そうゆう経験を大事にしたいです。

Mitsu said :

書物という意味では、私はやはり紙媒体が一番いいと考えます。それも、最近の
傾向等も考え合わせた上で判断すると、新書・文庫のようなソフトカバーの版の小さい
物が好ましいと思っています。新書・文庫のような装丁が簡素で持ち歩きやすく、
また低価格の本というのは日本で一番発達しており、海外の人から見て
もっともすばらしいメディアであるということを聞いたことがあります。確かに、外国には
ペーパーバックもありますが、かなり分厚いものが多いですし、表紙が紙一枚なので
わりと外見が傷つきやすく持ち運びのしにくいものが多いのです。
その点、日本の新書・文庫は表紙が傷つきにくいですし、薄めで中の紙も
上質なので、ペーパーバックと比べて優れていると思います。
また、私が最近注目しているのはインターネットというメディアです。
フランス国立図書館は「Gallica」という電子図書館システムの運用を開始しましたが、
あのシステムによってフランス研究、特にフランス近世・近代の歴史・文学の
研究がしやすくなったと聞いています。また、自分も「Gallica」をはじめ、
いろいろな電子ジャーナルのお世話になったことがありますし、
通信高速化時代の現在、特に欧米から離れたところにあり、原典がなかなか
手に入らない日本において、インターネット上にPDFファイルなどでアップされた
電子書籍は非常に有用だと思います。

やまも said :

私の理想の書物の形は文庫本です。持ち運びにも便利ですし、寝転びながら読んでも腕が疲れにくい。さらに本棚に入れてもあまり場所をとらないし、価格も良心的です。しかし、文庫本には、鞄に入れておくと気付かないうちにクシャッっとなってしまったり、カバーが破れてしまったりと、すぐにぼろぼろになるという欠点があります。そのため、大きさ、お値段据え置きで、ハードカバーばりの耐久性が備わったら完璧だと思います。

M.O. said :

昨今は電子媒体による「本」が広く普及していますが、私はやはり紙に印刷された書物が理想的だと考えます。確かに電子媒体は携帯性が高く、便利ではありますが、反面容易に内容を改変することが可能であり、信頼に足る情報であるとは言えないと思います。
とはいえ、古代中国の書物の歴史を学ぶと、現代の出版という形態が、いかに容易に大量の書物を作り出すことが可能であるかが分かります。貴重な竹や紙に手作業で文字を写し取っていた時代には、現在よりはるかに書物とその情報の価値が高かったのではないでしょうか。

かなこ said :

今回授業中に回ってきた竹簡は重くつるつる滑って、持ちにくく私にとって少し読みにくかったです。
私は理想の書物は持ち運びができやすいものだと思います。
しかし、最近携帯小説が流行っていますが、私にとってあまり読みやすいものとは言えません。
携帯小説たしかにいつでもどこでも読めるものですが、やはり紙をめくって読んでいくという行為が私には合っているのだと思います。
文体も携帯小説は話し言葉で書かれていますが、やはり本での文体はある程度整ったもので書かれている方が私には合っていると思いました。

みずき said :

理想的な書物の形なんて考えたことがありませんでしたが、それは今ある書物の形に全く疑問を抱いたことがないからだと思います。でも今日の講義で、今ある書物の形は歴史の中でいろいろ模索されてきた結果であるということがわかりました。
教科書などを考えてみると、やはり携帯性に優れた本が理想であると思います。常に持ち運ぶことができ、どこでも取り出して読めるような書物は使いやすさという点で理想的です。
でも私は、装丁の立派な重くてずっしりした本も好きです。家の本棚に並べておきたいと思うのは、小さくて軽い文庫本よりもそういった分厚い本です。

Veilchen said :

書物の形は今の形で特に不満はない。大きさは、持ち運ぶのに便利でかつ読むのが苦にならない程度がいいだろう。今の文庫本の大きさがベストか。中の紙はペーパーバックのようにごわごわしていないものがいい。文庫本のような普通の上質紙でもいいが、今回手にとった漢籍の中の、半紙のような薄くてつるつるした紙も、ページをめくるのに緊張感があって好みである。あとは中身がよいものであれば言うことなし。
電子ブックは情報をお持ち運びしやすい点はよいが、やはり私は紙の本がいい。

ヨコ said :

現在私の通学鞄の中には文庫が1冊入っています。通学時の電車の中で読むために。あのサイズなら混雑している電車の中でも無理矢理読むことができますし、頑張れば片手がふさがってても読めます。また小さいために持ち運びも便利なため、私は文庫サイズが好きです。ハードカバーは持ち歩きに不便ですが、家に置いてじっくり読んで勉強しよう、と思った時にはいいかもしれません。
最近はDSなどのゲームの機械で「有名著書を読もう」みたいなソフトがあると思うのですが、あれには少し違和感を感じます。持ってないので詳しいことはわかりませんが、線を引けなかったり、読んでる途中に前の文章をもう一度見直すことが難しかったりするのじゃないでしょうか。あと本の実物を並べてコレクションすることができない・・・(笑)本を集めると「私の読書の歴史」みたいでいいですよね。

というわけで私は値段もお手軽な文庫が一番気に入ってます。

Y.K. said :

私も文庫本や新書が理想の本の形態だと思います。巻物形式のものと違って好きなところだけ探して読むことも容易だし、小さくて軽いので持ち運びにも大変便利です。
携帯性や好きなところだけ読む点では確かにパソコンなどで読む形式の書物も劣らないかもしれません。しかし、既に何人かの方が書いているように書き込みがしにくいし、手にとることができないのが欠点だと思います。手に取ることが出来ないのが嫌いだというのは単に好みの問題かもしれませんが、手に取ることで愛着なども湧き何度も読むことになるのではないでしょうか。

sn said :

書物の機能は、書かれたことを多くの人に読ませること、書かれた内容を後世まで残すことなどが考えられる。そしてそれだけだと今の時代電子図書だけでこと足りてしまうような気もする。文章を読むにいたるまでの労力や費用を考え合わせても電子図書は強く、これからも需要は伸びていくように思われる。
ただ、書物には文章を目に見える形で自分だけのものにするという「所有」の醍醐味もある。買ったそのときからその本は購入者の所有物であり財産である。文庫本や新書は携帯しやすく比較的安価で手軽に読むことができるし、ハードカバーもハードカバーならではの装丁や仕掛けが施されているものもあってまだまだ魅力的である。
個人的なことを言えば、文庫で読めれば良い作家とハードカバーでなければ駄目な作家がいるし、レポートで使う論文などは電子書籍の形が検索もしやすくて便利だと思う。
私にとって理想的な書物の形は、目的によってその形態を選ぶことができるというものだろうと思う。

Y*S said :

当然のことですが、書物は、ただの「知識のつまった紙の束」ではないと思います。
本屋でもふと表紙にひかれて本を手にとってしまったり、逆に、図書館である本を検索して読んでみようと思いたったはいいけれど、中を見たら紙が黄ばんでいて、字は旧字体で細かくて読みにくい、ということになると、読む気が一気に失せてしまうこともあります。
私の考える理想の本とは、第一条件として、文体はすっきりしているもの。難しいことを難しい言葉を使って表現することは誰でも出来ます。書物は文章を通して何かを伝えるものですから、それは大前提だと思います。
次に、持ち運びがしやすいか。書物は誰でも手に入れることの出来る情報源です。持ち運びし、いつでも手にとることが出来ることは大切だと思います。
次に、字体の読みやすさ。例えば、現代なら楷書体はすべての人が読むことが出来ます。しかし、行書体や草書体となると一部の教養のある人しか読むことが出来なくなります。誰にでも開けているものが書物なのではないでしょうか。
以上が私の考える理想の書物です。

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