甲骨文を読む | Date:November 5, 2007

 漢字の祖先としての甲骨文の名は誰でも知っているが、それがどのようにして作成され、どのような内容が書かれているかということを詳しく知る機会は、意外に少ないのではなかろうか。5日の授業では、私としては甲骨を身近なものとして感じてもらうための説明を意図したつもりでいる。今回のお題はずばり「甲骨文とは何か」である。概説的、辞書的な説明は不要である。レプリカに触れ、文字をトレースし、その内容を読み解いた経験に基づき、現在あなたの中にある甲骨或いは甲骨文のイメージを語って欲しい。

 


::Comments [17]

takayuki said :

 今回、甲骨のレプリカを見て、講義を聴いてまず感じたのが、思ったより「かわいい」ものだ、という感覚でした。高校のときに、昔の文字、漢字の起源、占いの道具、などときいて、教科書の写真をみていた時以来、もっと巨大な亀の甲羅に、厳かな内容が、ごつごつとした不気味な文字で書き込まれているものというイメージがありました。一方でレプリカは、手のひら程度もない大きさに、かわいらしい文字が書いてあるものであり、しかもその内容は、天気というわかりやすいものだったので、なんだか気が抜けたような気がしました。
 しかしその後で、講義を思い返しているうちに、先生の「文字は昔、人と天をつなぐ神聖なものだった」という言葉が印象的に感じられてきました。天気にせよ、政治のことにせよ、何とかして天に伺いを立てるために、はるばる亀を仕入れ、真剣に文字を刻んでいたのだ、と思うと、甲骨文は今の文字とはかなり違う、特別な存在であったのだ、と、とても不思議な感じがしました。
 したがってぼくは、甲骨文とは、「今の文字の起源でありながら、今の文字とは違う、神聖な存在」とまとめたいとおもいます。

recoba said :

実際にみるまでは絵文字に毛が生えた程度のものだと思っていたが、見てみると漢字っぽいと思った。漢字なんだから当たり前だといえなくもないが、絵文字のなごりはせずちゃんと漢字に見えるという意味で漢字っぽかった。日本列島では矢をもって獣を追いかけていた時代に大陸では高度な文明が発達していたことをリアルに感じさせるものだと思う。

かなこ said :

甲骨文字は私から見ると図形のような感じで、意味を読み取るのは難しかったです。
しかし、それは今の文字でもいえることで、私たちが普段何気なく使っているの字も、良く考えると、単なる線や点の組み合わせなんだなぁ、と感じました。
甲骨文字は人が文明をもったことを示すものだと思いました。

g710234 上遠野友晶 said :

 甲骨文字と言えばとにかく昔の文字であると言う認識しか私にはありませんでした。実際その通りな訳ですが、今回の授業でより具体的なイメージっを持つことができました。
 数千年も以前のものと知っていましたから、理解もままならないような不可思議な文字の羅列を想像していました。(なぜか私の中ではサンスクリット文字と同類に分類されていました。お経のような印象でしょうか…)まさか甲骨文字を読み解くことなど想像していませんでした。ですが、今回の授業を経て、甲骨文字はあくまで漢字であり、中国語なのだと強く痛感しました。私は中国語を第二外国語として学んでいますが、甲骨文字も非常にそれに近いものでした。むしろ、漢字以上に甲骨文字は絵的な表現が多く、親しみやすさを感じたほどです。
 また甲骨文字が政治的、呪術的なものであることも強く認識しました。(私も知識としては知っていたはずですが、)何となく甲骨文字の文章を、私たちが手紙などでやり取りしている文章と同列に考えていました。しかし実際には占いの神秘的雰囲気とは切り離せない文字であることを印象づけられました。
 甲骨文字が昔のものすぎて(この頃日本人はまだ原始人同然だったのでは?)イメージが湧きにくいのですが、昔とはいえ自分でも少しは理解できる文字であるとわかって少々安心しています。

ヨコ said :

甲骨文のトレース。行っていくうちに右と左の一行は似ている言葉が書かれているんじゃないかと誰でも気づくと思う。しかし今回のプリントが少し不鮮明だったにしろ、いろいろ卜兆が入っているからどれが文字でどれがヒビか分からない。そのようにして現在の漢字と似てない文字を解読するのは難しいと思いました。先生は文字を見て漢字を予測しようとおっしゃっていたけれど全くわかりませんでした。
占いの中でおもしろかったのは、占いの結果も記すところです。王の占いが外れててもそのまま真実を書くところは王<天の図式なのかな、と思います。また今の文字と左右反対の文字がいくつかあったのもおもしろかったです。

みずき said :

甲骨文は、歴史などでよく耳にするものでしたが、今回実際にその内容を読んでみてとても身近なものに感じることができました。昔の人が、占いをしてその結果を記録していた様子が目に浮かびました。当時は占いというものがとても重んじられていたと思うので、それを記録するための甲骨文字の存在も当時の人々にとって重要だったのだろうと思いました。

たいし said :

甲骨文字。世界史の教科書で勉強したときには、ふんふん文字ね、文字あったんだ、すごいね、程度の感想でした。がしかーし、今回甲骨文字が亀甲に書かれているものをはじめてみた時そんな考えはぱちっとはじけ飛んだのです。月並みなブレイクスルーですが、やっぱり実物をみると全然違うんですね。当時の人間がどんな気持ちで天候を占ったか。きっとかなり追い詰められた状況に最後の望みというか、願いみたいなものをその占いに込めたり、あるいは年中行事の一環みたいなお祭りに付随した運試し的なものであったりもしたんでしょう。どんな状況であれ、古代人のなんというか、また月並みな表現しか出来ない自分に嫌悪ですが、古代人の素朴さ、真剣さを感じました。
はじめは訳分らんうにゃうにゃした絵みたいなものが、先生の講義によって漢字ときちんと対応していて、文章になっていることを実感したとき。そこに込められた願いを感じたとき。文字自体がものごっつい美的センスを持ってると分ったとき、古代人の生活風景を覗き込めた思いがします。
とっても素敵なブレイクスルーでした。
ありがとうございました。

Y*S said :

甲骨文字を実際にトレースした上で解読しましたが、思っていたよりも現在の漢字に近いなと感じました。
印象深かったのは、王が占いを行ってその内容が当たっていなかったのにもかかわらず、それを正直に甲骨文字で記していたことです。王と言う存在がまだ当時はまだ絶対的なものではなかったのだということをしみじみと感じました。
甲骨文字は、直線でかかれているので、すこし単純というか、かわいらしい文字だという感じがしました。

Mitsu said :

僕は、小学校のとき一時、中国古代文明にはまったことがあり、
そのとき甲骨文字の存在を初めて知りました。
しかし、そのときは現代の漢字の知識も乏しく、
宇宙人が書いた文字のような気がして、
少し不気味だけれど不思議な魅力を感じていたような気がします。
今回、レプリカや拓本を見て思ったことは、
意外に現代の漢字と通底しているということです。
そして、殷代の人々の発想というものが、単純だけれど、
とても面白い考え方だなぁと思いました。
また、一つ疑問に思ったことは記数法や計算法みたいな
ものはこの時代にあったのかなぁということです。
たまに、古代に数学に秀でた人がおり、
現代の数学に通じるような方法論を発明した
証拠が残っていますが、そのようなものが殷代には
なかったのかなと、授業が終わってからですが、
少し疑問に思いました。

sn said :

日本語と切っても切れない関係にある漢字の、ごく初期の姿が甲骨文字である。
実際に見てみると私にはほとんど判読できなかったが、先生の説明を聞くと漢字の原型がそこにあった。
占いという一つの権威を書き記すのに用いられた甲骨文字は、当時はそれを読み書きできる人も相当限られていただろうし、呪文のように特別な存在だったのかもしれない。
意外だったのが、外れた占いの結果まで甲骨文で残っていたことだ。
権威を示すためなら当たった占いの結果だけ残しておけば良いはずである。甲骨文に書かれている占いのほとんどは的中している、という話を最近聞いたばかりだったので驚きは大きかった。
文字は政治に重用される。中国ではその長い歴史をずっと文章で書き残してきた。甲骨文字の解読が進んだのも漢字の形成の歴史が残されていたからだろう。
中国の、あるいは漢字の影響を受けた多くのアジア諸国の歴史に欠かせない原点とも言える甲骨文字を目にし、その書かれ方も知ることができて良かった。

y.y. said :

甲骨文をトレースする時、「文字」ではなく線の組み合わせてつくられた単なる「記号」をトレーシングペーパーの上からなぞる気分でいる自分自身に気づいた。高校の世界史の授業や書道の授業で「これが甲骨文だ」として示される「文字」は、頭では「文字」だと分かっていても、とても現在我々が理解できる漢字の祖先のだとは思えず、「文字」だという実感が湧かなかったからだ。しかし、色々とその内容を教えて頂いて、甲骨文が「文字」なのだと認識できた。これは至極当然のことなのかもしれないが、筆者の甲骨文に対するイメージは「文字」である、そう言えるようになりつつあるのだと感じる。

K.U. said :

 甲骨文字は角ばった線の組み合わせみたいなイメージがあったんですが、意外にも丸っこいやつがあって少し驚きました。文字を意味をわからずにトレーシング時はただ線の組み合わせが縦に並んでいるようにしか思えなかったんですが、文字の意味を聞かされて初めて甲骨文字が今使っている漢字の元になるものだということを実感しました。
 また、漢字の音の由来は僕にとってかなり謎だったんですが、「卜」という字の音が亀の甲羅が割れる音だと聞いて意外にその程度のものなんだと知りました。

やまも said :

占いの内容が上手い事左右対称になっていて驚きました。そしてもっと驚いたのは占いが当たったかハズレたか、まで書かれていたこと。授業で読んだ甲骨文ではハズレでしたけど、昔の人はハズレる占いを何のためにやっていたのでしょう?謎です。何割ぐらい当たっていたのか気になります。

Tjutju said :

  今回の講義では甲骨文と漢字の連続性を感じました。高校では、書道は篆書までしか扱いませんでしたし、世界史の資料に甲骨文が出て来ましたがとにかく読めないという感じでした。しかし一文字づつ説明を受けると書いてあるのは漢文で、「貞」の代わりに「貝」を使う等しているのも『老子』を始め戦国の古典が同音異義字を混同したり現行の字に付いている部首が無かったりして読みにくいのに通じる所があります。
  それとは別の話ですが甲骨文が突然完成形で現れたという話を聞いて、埃及の聖刻文字もそうであった事が思い出されました。殷の人々がどこかの文字を輸入したのではなくても、文字という概念自体はどこかから伝わって来たのではないかと感じます。(埃及人は文字の存在をメソポタミアから知りましたが楔形文字の原型となったメソポタミアの絵文字は使わず独自に聖刻文字を開発したようです。)
  という訳で纏めると甲骨文のイメージは「殷代の黄河流域について文字という側面から縦方向には今の漢字と、横方向には当時の他地域との繋がりを示唆するもの」です。

Y.K. said :

甲骨文が占いの結果を書いたものだということは世界史の授業などで習ったので知っていました。しかし実際にどのように書いていたのかについては、今回本物を見るまでわかりませんでした。また、卜自体は殷の後の時代にも受け継がれたのに甲骨文は受け継がれなかったということは初めて知りました。卜の結果は竹簡に記録するようになったそうですが、やはり卜に使った甲骨に書く文字と竹簡に書く文字とでは重みが違うと思います。現代でも書道の大家が書いた文字を単に上手い文字と見るのではなく、何か力があるように考えることと同じように、甲骨文字は当時の人にとって非常に神聖なものだったのでしょう。

KM said :

今回の授業を受ける前にも当然ながら甲骨文という存在は知っており、写真でその文字を見たこともあり、いくつかの文字については現在の文字との対応も知っていた。しかし、それらはどこか遠い存在だった。現在の漢字とのつながりはあるものの、字形はかなり異なったものであるし、記されている内容も現代の文化ではあまり重要視されない占いとあって、実際に用いる文字として実感できなかったのだ。
今回レプリカとはいえ実際に刻まれたものに初めて触れたことで、甲骨文は実際に人間が刻んだものであり、人間が用いていたものなのだという感覚がはじめて湧いた。今まで甲骨文は最初からそこに存在していたような感覚であり、どんな人がどんな目的で刻んだか、など生きたものとして感じたことはなかった。また同時に甲骨文字から現代の漢字までの変遷を考えると、常に人間のニーズに合わせて形を変えられ連綿と続いてきたこの文字は、同時代の他の文明の文字のように死んだ存在とはならず、常に生きた存在なのだと感じた。よって今私が持っている甲骨文のイメージは「生きている文字」である。

M.O. said :

高校の世界史の教科書の「四大文明」という項目に、中国の古代文明の文字として、甲骨文字の図表が掲載されていたのを覚えています。その頃は、甲骨文字が漢字の元となったという知識はあったものの、全くの異国の文字としてのみ捉えていました。ですが、今回実際に文字を読み解いてみると、意外にもその字形が、現在私たちが用いている漢字につながるということに気づき、感銘を受けました。甲骨文字を、単なる大昔の文字というイメージだけではなく、今まさに生きている日本語の直接の祖先として、より身近なものに捉えることができるようになったと思います。

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