香道 第1回 | Date:October 22, 2007

 伝統文化「香道」はその昔は限られた人々の遊芸でしたが、今はカルチャーセンター等の教室もあり、習うことが出来ます。大切な文化も受け継がれなくては途絶えてしまいます。伝統は一度途絶えるとその再興は非常に難しいことになります。これはどの分野でも同じことが言えるのではないでしょうか。
 第1回目の今日は「香席」を体験してもらいました。何百とある組香の中で「源氏香」は、季節を問わず、源氏物語でその巻の名が知られていることから親しみやすい組香ではないでしょうか。組香で使う香木の香りは、その時々の火の強弱(火味)、周りの温度、湿度にも微妙に左右されます。香りは目には見えません。また、人によって感じ方が違います。人に感化されないで「香木と自分ただ一人、静かに向き合う」。これが大切(貴重)な香木に対する最高の礼なのではないでしょうか。(香りを当てる秘訣でもあります。)
 さて、皆さんは和の香りについてどう思ったでしょうか。また、源氏香の後に出た二炷を踏まえて、香りの記憶について自由に論じてください。

 


::Comments [22]

takayuki said :

香りを何かにたとえて記憶しよう、とする体験がとても新鮮でおもしろかったです。
やはり、どの香りもどこか「和」風な感じがして、自然と連想する「たとえ」が、「お寺」や「桜並木」などになったのですが、この香りの素となる木々が遠い外国産のものなのかと思うと、とても不思議な気分がしました。また、源氏香の後の二炷を聞かせていただいているときに特にそう感じたのですが、匂いの記憶は時にふと鮮明に思い出せたかと思えば、すぐにまったく思い出せなくなり、暫くしてまた何か思い出すなど、なんとも不思議で面白いものだと思いました。

Kajiwara said :

私自身はアロマテラピーや香水など最近流行の香りについては疎いのですが、今回の香木の匂いというのは、最近流行の甘い匂いに比べて、お線香などに少しにた酸っぱい匂いだったように思います。そうすると、日本では甘い匂いというより酸っぱい匂いが好まれていたのでしょうか。最近では嫌な匂いを隠すための香り、という扱いが多いように思いますが、ただ香りだけを楽しむ、というのは余裕と優雅さを感じさせるお遊びだと感じました。
普段香りをあまり意識しない生活をしているためか、源氏香についてはさっぱりでしたが、あるか、ないか位のことは覚えられたようです。香りとはなんとも曖昧なものですが、嗅ぎなれたものに関しては明敏になれるのではと思います。私は農村で育ったためか、稲、米の香りに関してはかんり敏感であると最近気づきました。香木の香りも、嗅ぎなれるとまた違った風に感じられるのではないかと思います。

y.y. said :

私は中高時代、部活動やカルチャーセンターを通して茶道を習っていましたが、香道に触れるのは初めての体験でした。香りを聞き当てるために集中力をどれだか使うものなのかを体感することができ、非常に面白く感じました。次回も本当に楽しみです。
私が「和の香り」を初めて体験してまず感じたのは、予想外に香りが弱いことに対する驚きでした。ぎゅうぎゅう詰めの状態で井の頭線に乗っている時たまに鼻を突く香水の強い匂いとは比べ物にならないくらいほのかな和の香りは、上品という言葉を用いて表現するに相応しいと感じました。香水の匂いに対して常に嫌悪感を抱くわけではありませんが、上記の列車の中の人のように周りに対する配慮なく強い匂いをさせる人とは対照的に、今回香道を体験させて頂いた際には、香を炷いて下さる先生方の香りを香りを聞く人に対する深い配慮を垣間見ることができ、客人を大切におもてなしするという、今まで習っていた茶道の精神とも通じる香道の一面に触れられたように感じました。
源氏香を聞いた際にもその後に出して頂いた二炷を聞いた際にも、香りを覚えようとする中でそれぞれの香りを視覚的あるいは味覚的なイメージに例えている自分に気が付きました。香りは嗅覚を通じて「聞く」ものですが、少なくとも私にとってそれは言語化して覚えるのは大変難しく感じられたのです。香りを聞くことで普段使わない嗅覚を楽しむと同時に、香りを覚えようとして集中する内に生まれてくる想像の中で別の感覚も鋭敏になっていく。これが香道の一つの楽しみ方なのではないだろうか、そのように感じました。是非皆さんのご意見や先生方のご意見も伺ってみたく思います。

かなこ said :

昔読んだ小説に香道の話が出てきてから、ずっと香道に興味がありました。その香道を先日初めて体験でき、感動しました。

私は香木がどうやってできているのかを知らず、人工的に作れるものなのかな・・・と考えていましたが、そうではなく、輸入に頼っているというお話を聞き驚きました。
しかし、人工的に作ることができないからといって大事に保存するのではなく、その限りある香をしっかり聞くことが大事なことなんだなぁ・・・と思いました。

本当に小さな香木からほのかに香ってくる香りはなんだかなつかしく、温かい感じがしました。
源氏物語とお香を組み合わせているのが、本当に風流を感じ、私だったらこのお香になんてなまえをつけるだろうか・・・などと考えながら独特の香りの中に吸い込まれていくような感じでした。

教えてくださった先生方の身のこなし方もとても優雅で、香道を学びたいと思いました。

MOËT said :

私は家でお香(線香状のものなど)を焚いたりアロマオイルを使ったりすることがあるのですが、香木の香りを体験したのは初めてでした。
香りを味覚にたとえて辛・甘・酸・鹹・苦の五種類に分類する、というのがとても面白いと思いました。しかし実際に香りを何かにたとえるのはとても難しく、言葉で表すのはもちろん、イメージに結びつけることも簡単ではありませんでした。初めての体験で緊張していたのか、はたまた「香りを覚えなきゃ」という焦りがあったのか、まだまだ純粋に香りを楽しむ域には至らなかったようです。源氏香のあとの二炷を聞いたとき、「一炷目でわからなくても、二炷目を聞けばわかることもあります」という先生のお言葉通り二炷目ではっきりと「これは新しい香りだ」と感じ、我ながら不思議に思いました。香りとはなんともとらえどころのないものですが、香りの記憶というのは確かにあるのだと実感しました。

みずき said :

私は香木の香りから、親戚のお寺の中のにおいを思い出しました。親戚とはいえ、遊びに行くときでもお寺ということでなんとなく緊張していたのですが、その感覚がよみがえりました。落ち着くんだけれど、神経が研ぎ澄まされるようなそんな香りだと思いました。
源氏香では自分で思っていた以上に香りを記憶することができませんでした。日本人ははかないものが好きだとよく言いますが、香りもはかないもののひとつだと思います。はっきりしないものだからこそ、私たち日本人の心を捉えるのだろうと思いました。
「香道」なんて名前しか聞いたことのないものだったので、今回初めて知ったこともたくさんあり、本当に貴重な体験となりよかったです。

recoba said :

香りに限らず、音、味など五感に通じるものにはつながりがあると思う。香木の和の香りを記憶するとき、これは○○のにおいだ と文字情報として覚えるのではなくて、その香りに通じる味、音、映像などの総合的なイメージとして感じられた。当然和風な香りを嗅いだときは和風なイメージが喚起される。

早川 泰史 said :

香道・・・。うーん深かったです。最初は実際、匂い嗅ぐってすごい地味じゃん!と思っていました。(すいません・・・)確かに優雅だけど、落ち着くって感じで、興奮するたぐいのものではないんだろうと。浅はかでした。もちろん香りを嗅いで大変落ち着きました。ですが同時に、今まで嗅いだことのないような不思議な香りは、なんとゆうかとてつもなく深く広い世界をたった一人(一本?香木なので)で背負ってきたような孤高さとゆうか、大人びたかっこよさを感じました。そう、世界を感じましたね。今僕が嗅いでいる香木は、一体どんな風に海を越え、どんな思いで人々に大事にされてきたかを考えさせずにはおれませんでした。先生の方も『出会いを大切にしてほしい』とおっしゃっていました。源氏香で正解したご褒美にいただいた香木は、今僕のお気に入りの本に挟まっています。きっといつかこの香りをかぐときがあれば、今の大学生活を思い出すんでしょう。香木はまた一つ人の思いを背負ったんでしょうね。そうやって伝えられてきた香木。それに込められた人間の思いというものを少し考えられた気がします。次回も楽しみにしております。ありがとうございました。

M.O. said :

もともと中国の香りの文化に興味があり、横浜中華街で実際にお香を買ってきて焚いたりしていました。日本の香道という文化については、文献で何度か目にしたことはあったものの、体験する機会にはこれまで恵まれなかったので、今回の授業はとても楽しみでした。
香木の香りは初めてだったのですが、普段中国のお香の香りに慣れているためか、日本古来の伝統文化であるにも関わらず、むしろどこか異国的な印象を受けました。先生も、香木は海外からの輸入に依存しているというお話をされていたので、和の香りとは言っても、起源は異国と考えて間違いないのだろうと思います。
香りは、言葉や音によって記憶することはできないため、イメージに頼るしかないのですが、逆に一度経験した香りは、鮮明に思い出せることに、自分でも新鮮な驚きを感じました。機会があれば、また香席を体験してみたいです。

ヨコ said :

講義の予習として香道を調べ源氏香の存在は知っていましたが、初回でいきなりそんな難しそうなことをするのでビックリしました。
まず左手に乗せるとこから難しくすごくぎこちない動作になってしまいました。そこから、顔を近づけて香りを聞くのではなく手を平行移動させて顔に近づける、というのにも悪戦苦闘しました・・・。香りは「何かに例えて覚える」という先生の助言から「シナモン」「檜」「う~ん・・中途半端な匂い・・」と連想していましたが、見事正解して嬉しかったです!
香木についてもいろいろ学ぶことがありました。まず輸入に頼るしかないというのに驚きました。そしてバクテリアが香りの違いの一因であることがおもしろかったです。
次の授業でも新たな発見があるはずなので楽しみです。

K.U. said :

 香席を体験する中で数種類の香木の香りを聞いてみたのですが、それぞれの香木にはしっかりとした個性がありました。けむたくてなんだか塩っ辛い感じがするものや、甘くてやさしい感じがするもの、黒いもの茶色いものなどひとつひとつが違ってとても面白いと思いました。
 また、普段の生活の中で無意識に使っている嗅覚を意識して使ってみて改めて嗅覚という感覚を持っていることは幸せなことだとだと思いました。

Tjutju said :

これまで嗅覚には余り注意してこなかったので、寺院に行くと線香から流れてくるな位にしか思うていなかった香が木によって甘ったるかったり少し煙かったり、ほのかに爽やかだったりとこんなに豊かな世界を持っている事に目から鱗が落ちる思いがしました。源氏香はやはり難しく、結構自信を持って出した答えと正解が全く違いました。ただ当て物の形式を取る事で、香りを覚えるために他の物に喩えたりして分析的になった結果香を細かい所までじっくり聞けたかと思います。組香の「本質は香りを聞き、日ごろの雑踏の外に身を置いて、静寂の中でその趣向を味わうことにあり、答えの成否、優劣を競うものではない」(Wikipediaより)という意味がよく分かりました。
香木に対してみると、「お茶」とか「シナモン」とか言った物の匂いが連想されるだけではなく、旅行に行った時の異郷で風を感じた記憶が蘇ったり、コップの中の青く澄んだ水という情景が突然浮かんできたりして、嗅覚は視覚や聴覚などの他の感覚と繋がっており、記憶は五感が互いに絡み合うて成り立っているのだなと感じました。

AA said :

香木の弱い、とも言えるほどに上品な香りと、それらひとつひとつに時間をかけて真剣に向き合う貴重な体験が出来たことがとても嬉しいです。
これまでも自宅で香を焚いたりしたことがあり、白檀などのいわゆる「和」の香りを使ったこともありましたが、
今回体験した香に比べると、あまりにも人工的できつい香りでした。自然の香りにさらに着香してあったのでしょう。最近は食べ物でも化粧品でも多くのものに人工的に強い匂いがつけられすぎて、香木のような仄かな香りを楽しむ機会がほとんど無いように思います。雨上がりの草の匂いや遠い潮の香りなど、そういった自然の香りにこれからもっと敏感になっていこう。。。と和館でひっそりと決心しました。
と言いつつ、私は人工香の代表物である香水愛好者でもあって、日々気分や天候に合わせて違った香水をつけたりなんかしています。そうしていると、あの日何やったっけなあと回想にふけったりした時、まずその時につけていた香水や一緒にいた人の香りが思い出されて、そこからどんどん色んなことを思い出したりします。香りは平面的な思い出に強烈に空間的広がりを与えてくれる爆弾のようなものだと思います。そのために、苦い思い出にまつわる香りと同じ香水をつけた人とたまたま街中ですれ違うと、その場で転がって煩悶したくなったりもします。香りの記憶は怖いものです。

Y.K. said :

香木の香りは本当にかすかでした。源氏香の一炷目を聞いた時、こんなかすかでは違いなんてわからないぞ、と焦りましたがニ炷目は明らかに一炷目と違うとわかり、ほっとしました。
先生がリラックスしてよく香りを聞いて、とおっしゃったにも関わらず、私は香りを聞く時の手順に気を取られて香りをじっくり楽しんでいたとはあまりいえないし、香りから何かを連想する(思い出す)ということもありませんでした。でも日常生活のなかで、今日は「春のにおい」がする、などと感じることがあるように、普段特別に意識していない香りでも、それが再現された時にはその香りがあった状況が思い浮かぶことがあります。だから、きっとこの授業のこともいつか同じ(もしくは似た)香りを感じたときに思い出すのではないでしょうか。

Y*S said :

今はアロマに興味を持つ女性が多く、私もアロマには興味が前からありましたが、香道というのは初めての体験で、とても新鮮でした。
私は前少し茶道をやっていたことがあるのですが、香道も茶道と同じく、作法がとても美しいなと感じました。しかし、香道が茶道と違うのは、その対象となる、香り、というのが目には見えないために、客の側も、というか、むしろ客の側が香りに全身の神経を集中をさせなくてはならないことにあると思いました。
香木の香りは本当に僅かで、だからこそ奥ゆかしい感じがしました。先生が、深呼吸するのが香りを当てるポイントです、とおっしゃっていましたが、香りを嗅覚を用いて、というより、深呼吸することで体全体に染み渡らせて感じ取るというのが、なんとも奥深かったです。アロマにもそういう全身で感じてリラックスするというのはあると思うのですが、香道の方が「全身で香りを楽しむ」という面が強かったように思います。
香道には作法があってそれを堅苦しいと感じる方もいるかもしれませんが、香りによってリラックスさせられるので、あまり硬い感じがしませんでしたし、お点前で、まさに香りが「つくりあげられていく」のを見ると、それなりの作法を持って、香りと向き合うのが大切だと素直に感じることができました。

やまも said :

初めて香道というものを体験しましたが、まず作法の美しさに感銘を受けました。特に微妙な力かげんで灰を固めたり、線を引いたりするところなどでは目を奪われました。そして、香木の香りは今までに嗅いだことのないような温かみのあるもので(実際に暖かかったし)印象的でした。しかし、香りの違いはとても微妙なもので嗅ぎ分けるのはとても難しく、最初にやった5つの香りを嗅ぎ分ける遊びではほとんど勘に頼るほかありませんでした。しかし、後にやった2つの香りを嗅ぎ分ける遊びはなぜか確信をもってコレだと決めることができて不思議でした。人間の嗅覚についての本には「人間は香りを記憶できない」と書いてあったのですが、古くからこういった遊びが行われていたことを考えると、人間は香りを単語を覚えるような感覚で記憶できないにしても、言葉ではあらわせない何らかの形で記憶できるのではないかと思いました。

sn said :

深く吸い込むようにして香木の香りをかいでいると、この夏巡った京都の寺院やそこで目にした仏像のイメージが自然に思い浮かんできた。やはり和の香りは仏教と結びつく。西洋でもそうだと言えると思うが、良い香りには清めの役割がある。特定の信仰はなく普段和の香りに触れることなどほとんどない私でも一通り香木を聞き終わった後には驚くほどクリアで落ち着いた精神状態になっていて、香りが人に与える力が決して弱くないことを再認識させられた。
源氏香では、かいだことがあるとはっきり感じられるのにそれがいつだったのかがどうしても曖昧になってしまう香りが出てきて、もどかしい思いをした。香りと記憶はよく結びつくのだが、それが常に安定しているとは言い難い。しかしそのあてにならない感覚が香道におもしろさを足してくれる。遠い異国の自然の中で長い年月をかけてやっと作り出された香木と自分だけが静かに共有する記憶は、本当に贅沢で豊かなものだと思う。

Veilchen said :

当然(?)香道は初めての経験だったので、香木って線香みたいな香りがするんだろうなーと勝手に思っていたのですが、一炷目を聞いた瞬間それは間違っていたと分かりました。例えるならばメープルシロップか黒砂糖のような甘い香りで、香木ってこんな香りのものもあるんだ!とびっくりしました。かと思えばその後に聞いたものはシナモンのようなスパイシーな香りだったり、酸味を感じたりで、香りのバリエーションにまた驚きました。
…と、このように香りを表現するのにほかのものに例えて書きましたが、実際の香りはもちろん何かに例えるだけでは表せない微妙な香りでした。自分の覚えている香りの中ではうまい言語表現ができませんが、たとえばソムリエだったらどのように表現するのか気になるところです。
結局源氏香はほとんど当たらなかったのですが、その後の二炷のどちらが源氏香でも聞いたものなのかは当てることができました。思うに香りの記憶というのは何かと結びつけて具体化しないと記憶するのが難しいのではないのでしょうか。香木の香りというのは非常に抽象的な香りで、一回聞いただけでは具体化するのが難しいものだと思うのですが、源氏香の後だと、さっきの何炷目のものの香りという風に一種の具体化がなされて思い出されるので分かりやすくなるのではないのでしょうか。ただ後に出たのが二炷だけでなくもっとたくさんだったらどうだったか…。
それと、香りは意図的に思い出そうとしても正確に思い出すのは困難なものだと思います。ちゃんと思い出せるときといえば、同じ香りを嗅いだときか、無意識に香りを思い浮かべたときぐらいなのではないでしょうか。

お題とはあまり関係がなくなりますが、香木の香りは微生物が作り出しているということを知って驚きました。恐るべし、かもしパワー…。そして香道の道具の細工やかかっていた掛け軸(源氏物語絵巻だそうな)、先生のお召しになっていた源氏香柄の着物など、細かい部分が素敵で、いいものだなあと思いました。90分があっという間で、本当に貴重な体験でした。

TK said :

 非常に神秘的な雰囲気がありました。何故だったか考えてみると、香道が数百年前に遡る香りや所作を受け継いでいるからだったのだと思います。実際講師の方々の所作にはついつい見とれてしまいました。その雰囲気の中で、あのとらえどころのない香りはとても心地よいものでした。まさに優雅な遊びとはこのことだな、と勝手に納得してしまいました。
 しかし香りあてについては本当に苦戦しました。そもそもあんなに真面目に香りというものに向き合ったことがありませんでしたから。先生が、「味や物にたとえて覚えるのがいいですよ」とおっしゃられたときは目から鱗の気持でした。新しい発見だらけでした。こういうわけで、源氏香のみならず二炷でも残念な結果になってしまいました。もう少し日常でも香り、特に自然の香りに意識を向けてみようと思いました。
 本当に貴重な体験ができました。素晴らしいゼミですね。次回も楽しみにしています。
 

Mitsu said :

前回の香道の実習、非常に興味深く体験することができました。
源氏香というのは以前から聞いたことはあったのですが、
体験してみて改めて高等な遊びだなぁと感じました。
お題は和の香りについてということですが、
僕の実感としては、西洋の香りよりも主張があるけれど、
でも心を安らがせる効果のある香りだなぁと思いました。
師範の方もおっしゃっていましたが、僕自身も
西洋の香りよりも日本人の嗅覚にとっては
よい香りなのではないかと思います。
源氏香の後に出た二炷ですが、源氏香よりも簡単に感じられました。
もちろん、絶対的に数が少ないということもあるのだとは思いますが、
数が少なくても、時間が経っているのにすぐ当てられたことが
少し不思議に思います。もしかすると、長期的な記憶に
作用しているのではないかと自分の中では思っています。
もしかすると、心理学・脳科学的に分析してみるともっと面白い
結果が出るのではないかと思います。

KM said :

今回実際に聞くまでは和の香りというとどちらかと言えば甘い線香のような香りだと思っていたので、辛・酸・鹹・苦などの香りは想像がつかなかった。
しかし実際に聞いてみると、即座にこれは酸に違いないと思え、新しい香りの感覚を味わうことができた。正直言うと酸の香りは私にとってはあまり快いものではなく、香=いい香り・癒しだと思っていた私にとっては少し衝撃的な感覚でもあった。この2つのことがあって、酸の香りは今回の講義で一番記憶に残っている。
香りの記憶の話では、源氏香を当てるのは難しいとのことだったのでかなり緊張して挑んだ。しかし意外と特徴ある香りが多く、区別し記憶するのはそれほど難しくはなかったように思う。ただ、何かに例えて記憶するのがよい、と言われたものの、例えるものがすべて自分のよく知っている香りとなってしまったのが少し残念であった。お話の中にあったように香りからイメージを喚起し、それによって記憶を作ったり、また香の名前を考えたりできるようになればまた違った世界が開けるのでは、と感じた。

keiko said :

今回初めて香道を体験しました。六国五味の香りがあるとの知識があっても、初めて聞く香りですから、どれがどの種類かなどはかなり直観に頼って源氏香を楽しませてもらいました。香道は匂いだけでなく、煙や聞香炉の温もりも感じられ、この時期にぴったりの遊びだなと思いました。また、帰り際に先生が、自分では分からないかもしれないけれど、きっと香りが手や洋服などに移っていますよと指摘してくださった時、あのほのかな香りが・・・と驚きました。また無味の香もあり、面白いなと思いました。

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