EALAI東京大学 東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ
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オープンセッション

EALAIオープンセッション#3「ベトナム資料における象の位相と享保13年渡来象」

【 日時 】2011年2月9日午後4時半~6時
【 場所 】駒場キャンパス18号館1階メディアラボ2
【報告者】ハノイ国家大学 ファン・ハイ・リン
【報告要約】
 象は、先史時代に日本に渡ってきていたが、日本列島の気候・地形に適応できなかったため、絶滅してしまった。中世には、象は何度か日本にもたらされる機会があり、1728年には、2頭のベトナムの象が中国の船によって日本に渡来した。この出来事は、大変に重要である。なぜなら、これらの象は、外国の王あるいは商人からの贈り物として提供されたのではなく、七代将軍・徳川吉宗(1684~1751)の命令によって日本にもたらされたからである。本講演では、象に関連するベトナムの史料の紹介と分析に基づき、ベトナムにおける象の役割と、その日本への輸出の背景と理由についての全体像を提供する。
【セッション要約】
 ファン・ハイ・リン氏の報告に対し、ロバート・キャンベル教授は、享保13年の象渡来に際して日本各地であいついで出版されたさまざまな解説書を紹介し、象が長崎から京をへて江戸に到るまでの行程で大衆に見物されることによって、社会のさまざまな層から象に対して強い関心が寄せられ、象に関する多様な情報が発信されていたこと、またその一連の過程が海外との通交・通商権を独占する幕府の威光を示すシステムとして機能していたことを指摘した。質疑応答では、(1)日本の記録に象の鼻を食べる習慣への言及があるが、ベトナムにおいてはどうか、(2)ベトナムにおいて象が軍事力の一部と考えられていた事実は意外であるが、徳川吉宗が同じような考えをもって象を買い入れたということはないか、(3)象使いはベトナムではラオスから導入されたと聞いているが、日本に来た象使いはどうであったか、などの質問が出た。これに対し、リン氏はそれぞれ、(1)ベトナムには象肉を食べる習慣があり、特に鼻の肉は珍重されていた、(2)徳川吉宗にはおそらく軍事力としての象という発想はない、(3)象使いの技術はラオスから導入されたが、日本に来た象使いはベトナム出身の少数民族だった、ただし当時の王朝内の軍隊の象使いはすでにベトナム人であった、との応答があった。


 本講演は、日本とベトナムの関係の歴史をより深く理解できる原典資料の調査研究を企図する、一大プロジェクトの一部である。

 第3回EALAIオープンセッションが、2011年2月9日に開催された。


報告者:ファン・ハイ・リン
(ベトナム国家大学ハノイ校人文社会科学大学東方学部日本学科主任)


コメンテーター:ロバート・キャンベル
(東京大学大学院総合文化研究科教授)


ポスターはこちら(pdf形式)