2005年10月、東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ(EALAI)が発足した。これは、東京大学がこれまでに培ってきた東アジアの諸大学との交流を礎とし、それを具体的な教養教育における連携へと展開させていくことを狙ったプロジェクトであり、その運営を教養学部が担う。このプロジェクトは、4年間のプログラムとして文部科学省の「大学教育の国際化推進プログラム(戦略的国際連携支援)」に採択された。以下にその理念と具体的な事業内容を紹介する。
EALAIのロゴマーク
細分化され専門化された知識が追求される現在の世界において、広い視野と総合的判断力を身につけた新世代のリーダーや新しい知的領域の開拓者を育成するために、幅広くバランスのとれた知の獲得をめざす教養教育はますます重要になってきている。東京大学教養学部は、1949年の新制東京大学の発足とともに設置されて以来、日本の大学における教養教育をリードしてきた。発足当時の教養学部長矢内原忠雄は、教養学部の担う前期課程教育の理念を西洋の「自由七科」の伝統に由来するリベラルアーツと位置づけ、「ここで部分的専門的な知識の基礎である一般教養を身につけ、人間として片よらない知識をもち、またどこまでも伸びて往く真理探究の精神を植え付けなければならない。この精神こそ教養学部の生命なのである」と述べている。1990年代に日本全国の大学で展開されたカリキュラム再編成と大学院重点化の波のなかでも、このリベラルアーツの理念は維持され、その結果、駒場キャンパスは、大学前期課程での基礎教育が大学院での先端的な研究と創造的に融合された、全国でも類を見ないユニークな教育を展開するに至っている。
このリベラルアーツの理念を東アジアの諸大学と分かち合うべく、東京大学は1999年より北京大学、ソウル大学校、ベトナム国家大学ハノイ校と共同で東アジア四大学フォーラム(BESETOHA)を開催してきた。第一回東京会議に始まり毎年各大学で開催されてきたこのフォーラムにおいて、ともすれば西洋の技術文明に対するキャッチアップのための専門教育に偏りがちな東アジアにおける大学教育の現状が認識され、東アジア文化圏における新たな教養教育の構築のための共同討議が展開されてきている。EALAIは、この討議の成果を共同の教養教育の実施へと具体化させ、東アジア共同体の相互理解とそれに根ざした人材育成を支援していく新しい国際協力の試みである。
(1)東アジア四大学フォーラムへの参加
EALAIは、引き続き開催されるこのフォーラムの東京大学側での運営を担う。EALAI発足後すでに2005年10月28日、第七回ソウル会議が開催された。この会議では、四大学の学長による基調講演の後、「東アジアにおける持続的開発」と「四大学の役割」の二つのセッションが進められた。とりわけ「四大学の役割」セッションにおいては、各国の大学教育が直面している問題が討議され、そのなかでの「書く能力」の育成のための新しい取り組みが紹介された。また、会議前日には、東京大学、ソウル大学校の教員の間で交流会が設けられ、両大学における教養教育の現状と課題をめぐって意見が交換された。東アジア四大学フォーラムは、2006年にはベトナム国家大学創立100周年を記念してハノイでの開催が計画されている。
ソウル大学校での東アジア四大学フォーラムの模様
(2)教養教育の東アジアへの発信
連携する東アジアの大学に向けて、交換講義の実施や共通教材の作成を通じて教養教育の国際発信を行う。とりわけ南京大学においては、2004年に開設された東京大学リベラルアーツ南京交流センターを通じて、リベラルアーツ関連学科の新設を支援することが計画されている。南京大学では2004年11月の南京交流センター開設記念式典にあわせて東京大学教員数名による講演会が開催されたが、今後も教員の派遣を通じて東京大学の教養教育の経験を共有し交流を深めていくことが予定されており、その運営の一端をEALAIが担っていく。すでに2005年11月にはEALAIの支援により「南京大学―東京大学リベラルアーツ教育フォーラム」が開催された。このフォーラムでは、南京大学を含む中国の大学と東京大学より、それぞれの大学における教養教育の歴史と現状、課題が報告され討議されたほか、南京大学、東京大学双方の教員による教養教育のモデル授業が実施された。また、2006年3月には東京大学教員数名によるリレー形式の表象文化論の集中講義が行われる。この集中講義は今後も継続して行われることが計画されている。
その他に教育用コンテンツの東アジア各言語への翻訳、出版も計画されており、すでに2005年に『教養のためのブックガイド』(小林康夫、山本泰編、東京大学出版会)の中国語版が南京大学出版社より刊行された。
南京大学でのリベラルアーツ教育フォーラムの模様
(3)教養教育の東アジアからの着信
東アジアの各大学から教員の派遣を受け、東アジア文化圏に根ざした教養教育の実践を東京大学においても前期課程の学生を対象として展開していく。すでに2001年度冬学期には東アジア四大学フォーラムにおいて討議された理念の実践として、フォーラムを構成する四大学の教員が共同でテーマ講義「アジアの歴史認識と『信』」(担当教員:中島隆博)を開講した。EALAIはこの成果を引き継ぎ、発展させていく。2005年度にはテーマ講義「東アジアの公論形成」(担当教員:三谷博)を開講した。この講義では、上海、北京、ハノイ、ソウルより一線の知識人を招き、東アジア各地域における公共空間の歴史と現状について、彼らの声を直接聞き、討議する機会を学生に提供した。2006年度には「アジアから考える世界史」「東アジアのドキュメンタリー映画」ほか4つのテーマ講義の開講が予定されている。
また、テーマ講義にあわせて、随時講演会も開催していく予定である。2005年にはEALAI開設記念講演会として、韓国を代表する知識人であり日韓文化交流に多大な貢献を果たした池明観氏を招いて「東アジアの信頼醸成―日韓関係を中心にー」と題する講演が開催された。
左:テーマ講義「東アジアの公論形成」
右:池明観氏講演会「東アジアの信頼醸成」
以上、当プロジェクトの概略を紹介してきた。前回のカリキュラム改定にあわせて教養学部が『The Universe of English』や『知の技法』といった出版物を通じて新しい教養教育の姿を提示してからはや十年あまり。そのことは、このキャンパスが旧制第一高等学校にまで遡る伝統と蓄積を誇ることを思い出すならば、まだ記憶に新しい。2006年度からの新たなカリキュラム改定を迎えた今、東アジアというより広い場に向けて駒場の新しいチャレンジが始まろうとしている――。