東京大学が、北京大学、ソウル大学、べトナム国家大学ハノイ校と実施している東アジア四大学フォーラムでは、教養教育との関係で漢字教育がしばしば話題になっている。
もっとも、ローマ字表記法の普及で、べトナム語と漢字の関係が断絶したわけではない。19世紀末から20世紀初頭にべトナム知識人は、フランス語よりは漢字・漢文に通じていたので、もっぱら当時の中国の改革派の書物から西欧近代の考えを受容した。そこには日本で作成された新漢語も多数含まれていたため、今日のべトナムで使用されている社会科学や人文科学の概念用語の大半は漢語起源で、日本語と共通しているものが多い。
とはいっても、漢字の知識そのものは、教育と官僚制度で使われるべトナム語が、ローマ字表記法に一元化されるに及び、急速に衰退し、現在のべトナム人は、漢字は一字も知らない――したがって自分の名前を漢字で書くこともできないのが普通になっている。
こうしたべトナムで、最近、漢字教育再開論が提唱されるようになっている。この背景には、ドイモイという改革がはじまり、旧来のような社会主義的理念や秩序が求心力を失うようになって、「伝統への回帰」という現象が起きていることがあげられる。この「伝統への回帰」は、長い間中断していた村まつりを復活するといった、下からの動きと、これをうまく取り込んで社会秩序の安定をはかろうとする体制の側の上からの動きが重なっている。
ところが、「伝統への回帰」が叫ばれれば叫ばれるだけ、漢字知識の喪失による「伝統との断絶」が目立つことになる。例えば、べトナム人の観光ガイドが、べトナムが誇る史跡に日本からの観光客を案内すると、日本人は看板や柱に書いてある漢文を読めるのに、べトナム人ガイドは読めないという事態が起きる(といっても、日本語のガイドであれば漢字は読めるので、こうした事態は英語しかできないガイドで発生するわけだが)。これは、伝統を誇りたいべトナムとしては、困った事態である。
また、平和になり豊かになったべトナムでは、戦争や難民流出でバラバラになった同族の絆の再生をはかる、一種の「ルーツ探し」がブームになっており、家譜をつくったり、一族発祥の村に祠堂を建てるといった動きがさかんになっている。こうした時には、ご先祖様の名前を読むにも、また家譜や祠堂の看板に重みをもたせるためにも、漢字知識は有用である。かくして、いまや村に稀にしかいない漢字を知っている老人をひっぱりだしてきて漢字教室が生まれるといった動きが、各地で起きている。
べトナム知識人の間には、中等教育での漢字教育復活論は、以前から存在していたが、そうした声は、圧倒的に少数派だった。が、最近は、こうした社会的風潮を背景とし、少し情勢は変化しつつあるように思われる。
やや話は飛躍するが、現在べトナムでは、日本への留学生を大幅に増やそうという計画がある。中等教育における漢字教育の復活は、日本を含む東アジアへの留学には有利であろう。今年3月に国際交流基金の文化交流センターがハノイに開設されたおりのフォーラムで、私も、漢字教育復活論の検討を、べトナム政府に提案してみた。
(東京大学大学院総合文化研究科/地域文化研究専攻/教授)