アーティクル
「第9回東アジア四大学フォーラム東京会議2007報告」原和之(『教養学部報』508号、2008年1月9日付)
「教育について語ること」から「教育すること」へ / 原 和之(学部長室/地域文化研究専攻/仏語)
駒場にいてありがたいと思うことの一つに、周囲で教育研究に関する国際的なイベントがひっきりなしに
行われているということがある。試みに学部サイトのトップページをごらんいただければ、「イベント」
欄に外国からのゲストを招いた講演会やシンポジウムのお知らせが、いつも何かしら掲載されていることを
確認していただけるだろう。学生の皆さんには是非、ちょっと野次馬根性を出して、こうしたイベントを
のぞいてみていただきたい。そこには「外国語を学ぶことが何の役に立つのか」という問いへの、この上なく
具体的な答えがみつかるはずだ。
さて11月はじめのある時期、このスペースを席巻していたのが「ベセトハ(BESETOHA)」、いわゆる
「東アジア四大学フォーラム」関連のさまざまなイベントだった。「ベセトハ」とは耳慣れない呼称だが、
これは北京大学、ソウル大学校、東京大学、ベトナム国家大学ハノイ校の四大学の所在地、Beijing, Seoul,
Tokyo, Hanoi のそれぞれ最初の二文字をとったもの。
1999年に始まったこのフォーラムは、東アジアにおける共同の教養教育の構築を目指した国際会議で、
毎年各大学で順番に開催されてきた。すでにここまで二回りして九年目の今年、記念すべき三巡目の初回主催校を
つとめる栄誉を担ったのが、ここ駒場であったというわけだ。
「文化の多様性と環境教育」をテーマに掲げて開催された今回のフォーラムは、11月10日(土)夕方に各大学の
代表を迎えて行われたレセプションに始まり、さまざまなセッションや講演が11月12日(月)午後まで行われた。
セッションのなかには平行して開催されたものもあって、全部には参加できなかったのが残念ではあったけれども、
講演やセッションでの発言に触れ、また運営に関わった先生方の話を聞くなかで、このフォーラムの枠で行われる交流が、
新しいステージに入りつつあることは実感できたように思う。
11日の午前、「学生交流と東アジア四大学フォーラム」という総題のもと行なわれた各学長の基調講演のなかで小宮山総長は、
このフォーラムがはじめ教養教育のありかたについて議論するセッションのみから構成されていたのが、やがてサステイナビリティ
についてのセッションが加わり、さらに学生への講義や学生たちによる交流セッションも行なわれるようになるなど、
年々進化を遂げてきた過程を振り返っていた。
この過程は、このフォーラムが東アジアにおける共同の教養教育について議論する場所から、そうした教養教育を実際に行なう場所へと
――あるいはすくなくともそのモデルを模索する場所へと――変容しつつある過程として理解することができる。
そして今回のフォーラムの構成そのものが、こうした移行を反映しているということができるだろう。
学生交流の必要性を確認した基調講演に続いて行なわれた11日午後のセッション「文化の多様性と古典教育」と「サステイナビリティと
環境教育」ではまさに教育のあり方が問題になったのに対して、12日のセッションでは、四大学間での共同の教育のインフラとして
おそらくもっとも現実的であると思われるインターネットを用いた遠隔授業の可能性が、技術的問題も含めて綿密に検討された一方で、
各大学から集まった学生に対して実際に環境問題に関する講義が行なわれ(「東アジアにおける伝統と環境問題」)、また環境問題をめぐって
学生たちが発表・討論する学生パネル(「環境対策と東アジア:環境問題に東アジアの伝統をどう生かしていくか」)も組織された。
こうして具体化の局面に入った「共同の教養教育」がさまざまな課題に直面するであろうことは、今回のフォーラムでなされた個別的な提案を
めぐる、時として緊張をはらんだ議論からも予感されたが、同時に参加した学生たちが交流や議論において見せてくれた積極性は、そうした課題も
やがては解決されるだろうと期待させるに十分なものだったように思う。あるいは開催形態そのものも徐々に変わってゆくのかもしれないが、いずれに
しても駒場と縁の深いこのフォーラムの活動に、今後も注目してゆきたい。