このゼミナールは、日本における東アジアの伝統文化を具体的に確かめつつ学ぶ授業です。書籍や絵画、茶や香など、中国大陸から日本列島に渡ってきたさまざまな文物が日本の文化を形成していったことは、知識としてはすでに学んでいるはずです。けれども、中国の本を室町時代に覆刻した本を手にしたり、宋代の絵画と日本の絵画をならべて鑑賞したり、茶の文化を道具を通じて学んだり、香席を間近に見たりといった、具体的な経験となるとどうでしょうか。その機会を提供するために、文部科学省特定領域研究「東アジアの海域交流と日本伝統文化の形成」および東京大学の教育プログラム「東アジア・リベラルアーツ・イニシアティブ」の共同企画として、本ゼミナールを開講します。
【講義方法】
書籍、絵画、茶道、香道等、中国から渡来して日本の伝統文化となった文物について、専門家を招いての講義と実習を交えながら、それぞれ2-3回の授業をあてる。また、課外活動として、図書館や美術館への見学も行ない、各自の関心に応じてレポートすることを求める。
「五感で学ぶ東アジアの伝統文化」開講にあたり、10月15日のガイダンスでは講義概要や講義方法、スケジュールについての説明が行われた。本講義は、実習を含むゼミナール形式を採用していることから、定員数を25名としている。ガイダンスには定員を超える希望者が集まったことから、提出してもらった受講希望理由および所属、学年等のバランス等を勘案して受講者が決定されることになった。受講希望理由を記した用紙の多くはぎっしりと埋められており、伝統文化や授業方法そのものに対する各人の関心の高さが感じられた。
栗原 香扇 KURIHARA Kousen
香道直心流師範。香道の文化交流として、2001年より中国を毎年訪問。北京、南京、揚州、蘇州、広州、杭州、南京大学等をこれまでに訪れる。また、新宿と立川の朝日カルチャー・センターにて、香席教室を同門の高橋香愁と毎月主宰。現在も家元直門として伏籠・香道全般の勉強を継続。
高橋 香愁 TAKAHASHI Koushu
香道直心流師範。香席の講演のために、2001年より中国を毎年訪問。北京、天津、広州、上海、揚州、北京人民大学、南京大学等をこれまでに訪れる。また、新宿と立川の朝日カルチャー・センターにて、香席教室を同門の栗原香扇と毎月主催。現在も家元直門として伏籠・香道の修行を継続。
講義の第二回目は香道、駒場キャンパス内にある和館に集まり、香席を体験した。
まずは香道の歴史から話は始まり、香木の伝来に仏教が深く関係したこと、香道の変遷が語られる。それから香炉の準備の実演が行われ、その後に、一同で組香を体験した。
今回体験したのは、5つの香炉の同異をあてる「源氏香」。その後、更に二炷が回され、どちらが「源氏香」の中で嗅いだ香かの推理も行った。各人が無言で集中し、時に師範から作法を指導されながら、様々な香りを嗅ぎ、悩み、それぞれの思う回答を筆で和紙に記した。
訂正なしの一回勝負、真剣に香木に向き合っているうちに時間は過ぎ、答え合わせの後に授業は終了。各人がほのかな香りを身にまといながら帰途についた。
栗原 香扇 KURIHARA Kousen
香道直心流師範。香道の文化交流として、2001年より中国を毎年訪問。北京、南京、揚州、蘇州、広州、杭州、南京大学等をこれまでに訪れる。また、新宿と立川の朝日カルチャー・センターにて、香席教室を同門の高橋香愁と毎月主宰。現在も家元直門として伏籠・香道全般の勉強を継続。
高橋 香愁 TAKAHASHI Koushu
香道直心流師範。香席の講演のために、2001年より中国を毎年訪問。北京、天津、広州、上海、揚州、北京人民大学、南京大学等をこれまでに訪れる。また、新宿と立川の朝日カルチャー・センターにて、香席教室を同門の栗原香扇と毎月主催。現在も家元直門として伏籠・香道の修行を継続。
前回に引き続いて香道の体験授業。今回は、2班に分かれて、香炉作りと、合わせ香を行った。香炉作りは、前回の授業でも師範が実演して下さったものだが、実際に行ってみると、様々な道具を使い、要所要所で細かい作法があり、そしてきちんと溝を入れるのは難しい。合わせ香は、鑑真によって渡来し、平安時代に流行したという技術である。様々な香の粉を混ぜて丸薬状に練り上げるという単純作業であるが、なかなか固まらず、根気が要る。
黙々と作業しているに、いつの間にか時間は過ぎてしまったが、多くの学生が居残り、自分が時間内にできなかったもう片方の作業を体験することを選んだ。集中力と忍耐力を使うのにも関わらず、それぞれが意欲を持って取り組み、充実した時間を過ごせたようである。
大西 克也 OHNISHI Katsuya
東京大学大学院・人文社会系研究科・准教授。専門は、中国語史と中国古文字。近年の研究課題は、上古中国語の文法研究、古代中国語の方言の解明、戦国古文字の解読。講義に関連する論文として、「「國」の誕生――出土資料における「或」系字の字義の変遷――」(郭店楚簡研究会編『楚地出土資料と中国古代文化』汲古書院)などがある。
今回の講義は、殷王朝における甲骨文をテーマに行われた。まず、甲骨文とは何かという点について、殷王朝で盛んに行われた甲骨占いの内容を記したものであり、占いで使用する甲骨に直接刻まれていること、ほぼ殷代後期に限定してみられること、などの説明が行われた。次に、甲骨に記された文字が古代の文字資料として世に知られるようになった20世紀初頭以降の甲骨文字研究史が取り上げられた。その後、甲骨がどのように作成、使用されたかといった解説が行われたうえで、甲骨の写真を用いて甲骨文をトレースするという実習に入った。実習後は、各文字および文章の意味について解説を受け、講義は終了した。
大西 克也 OHNISHI Katsuya
東京大学大学院・人文社会系研究科・准教授。専門は、中国語史と中国古文字。近年の研究課題は、上古中国語の文法研究、古代中国語の方言の解明、戦国古文字の解読。講義に関連する論文として、「「國」の誕生――出土資料における「或」系字の字義の変遷――」(郭店楚簡研究会編『楚地出土資料と中国古代文化』汲古書院)などがある。
今回の講義は、金文をテーマに行われた。まず、金文が鋳込まれていた青銅器について、青銅器の種類や歴史、金名文が出現した時期に関する概説が行われた。次に、各自配布された資料を使って金文のトレース作業を行い、各文字と文章について解説を受けた。その後、金文の書体について、金文とほぼ同時期に用いられた甲骨文の書体との比較が行われた。そして、甲骨文に比べ、金文の方が後世の文字との共通点をより多く持つこと、それは刻まれた文字と筆写された文字の違いと深く関わっていることが指摘された。
髙橋 忠彦 TAKAHASHI Tadahiko
東京学芸大学・教育学部・教授。専門は、中国文化史。現在の研究課題は、中国飲茶文化史研究。講義に関連した著書には『東洋の茶』(編著、淡交社)があり、関連論文には「中国喫茶文化と茶書の系譜」(東京学芸大学紀要人文社会科学系I, 57)がある。
もともとは料理用・薬用であった茶は、唐代には喫茶単独として嗜好されるようになった。そして、茶葉の味を引き出す試行錯誤・技術革新の後に、泡茶法が生まれ、明清期にはティーポットを用いる壷泡法が欧米に渡り、世界に広まった。その歴史の中で、今回は、主に『茶経』『茶録』などの記述をもとに、茶器の写真や絵画を見ながら、唐代・宋代の喫茶法が解説された。
唐代に愛好された喫茶法は、鍋で粉末状の固形茶を煮る煎茶であった。おそらく文人の嗜みであったであろうその茶は、きらびやかな茶道具を用い、鍋から浮き上がる粉末を「花」に喩える優雅さを有した。
宋代では、固形茶もしくは葉茶を茶碗に入れて湯を注ぐ点茶が流行した。そのきめ細かい粉末は白く、黒っぽい茶器の中で映え、「水痕」「雲脚」といった山水画にも用いられる世界表現的な語で喩えられた。
当時の技術を背景にそれぞれ異なる喫茶法が愛好され、茶器や美学も異なったのである。
髙橋 忠彦 TAKAHASHI Tadahiko
東京学芸大学・教育学部・教授。専門は、中国文化史。現在の研究課題は、中国飲茶文化史研究。講義に関連した著書には『東洋の茶』(編著、淡交社)があり、関連論文には「中国喫茶文化と茶書の系譜」(東京学芸大学紀要人文社会科学系I, 57)がある。
元代に茶葉を揉捻する工程が生まれ、茶葉に直接湯を注いで味を出すことが容易になったことから、明代では、宋代の点茶文化は衰え、替わって泡茶法が発展した。万暦年間には浙江・江蘇で多くの茶書が編纂され、その中にはティーポットの使用に関する記述も見え、現在に通じる壷泡法の存在が確認できる。また、明代後期の茶文化は非常に洗練された美意識を有し、淡い色の茶を白磁の碗で飲むことが好まれた。なお、明から清にかけて、紅茶・烏龍茶などの醗酵茶が発明され、更に花茶や工芸茶なども加わり、茶文化の幅は大きく広がった。
このように、中国に於ける喫茶法は、茶葉の味を引き出すための様々な試行錯誤を経て、約千年もの間に劇的な変化を遂げ、唐代の煎茶法とは全く異なるものに進化して来た。今回の授業では、以上の喫茶法の変遷の歴史を踏まえ、唐の陸羽が著した『茶経』に記された喫茶法を実演した:
① 鍋に湯を沸かし、塩を入れて溶かし、その湯の一部を取り出して冷ましておく。
② 粉末状の茶を投入、かき混ぜ、煮立ったところで冷ましておいた塩水を鍋に戻し、沸騰を止める。
③ 上の方からすくって、各人の茶碗に注いで飲む。
唐人が「花」に喩えた湧き上がりも再現できたが、それほど美しさは感じない。また、味は、それほど奇異なものではなく、普通の茶に少々の塩味が付いたもの、というのが大方の感想であった。ただ、現代と違うその工程は非常に興味深く、実演は大いに盛り上がった。
横手 裕 YOKOTE Yutaka 場所:KALS
東京大学大学院・人文社会系研究科・准教授。専門は、中国思想。研究課題は、儒・仏・道の三教交渉史を中心にした中国思想史の考察。主要著書に、『世界像・人間像の変遷』(共著、彩流社)がある。主要論文に、「劉名瑞と趙避塵」(『東洋史研究』第61巻第1号)などがある。
中国の書物に於いて、文字・被写体・書物の形状、及び複製法は、歴史上様々に変遷して来た。
現在発見されている文字資料のうち最古のものは、動物の甲羅や骨・青銅器に記した殷代の甲骨文・金文であるが、『書経』の記述や「冊」「典」の字形から、竹簡や木簡も存在し、紐や革で結んで利用されていたと考えられる。それらが、文字では、春秋・戦国期での一般的流通・地域毎の多様な字体、秦代での小篆への統一、漢代の隷書を経て、楷書が形成されて行く。また、媒体としても、石や帛(絹布)が用いられるようになり、そして、漢代には紙が発明された。紙の書籍は巻物の形で流通し、書肆も出現する。
隋唐期には科挙の実施などに伴って楷書が統一された。また、唐末に、木版印刷が始まり、本の形状も、巻くのではなく、折ってまとめる折本となり、宋代には紙を糸で束ねる胡蝶装が生まれた。糸で紙を束ねる装丁は、元明代に線装本に発展し、東アジアの書籍の標準的形状となった。また、元明期には泥・木・銅などを用いた活版印刷術も出現し、清代に至って出版文化は大いに盛んとなったのである。
これら書物の歴史について、様々な資料を見ながら解説された後、実際に、線装本を手に取って、その書物の名称を探し出す実習を行った。帙・冊子の表紙・見返し・序題等にその書籍の名称が書かれているが、最も重要なのは、本文中に書かれているものという。なぜならば、本文以外の箇所は、伝来の際に、当時の出版者や所蔵者の意図によって改変を受け易いからである。また、同様の理由で、本の冊数よりも巻数が重視される。長い変遷の歴史を経ているが故の基準と言えよう。
齋藤 希史 SAITO Mareshi
東京大学大学院・総合文化研究科・准教授。専門は、中国古典文学、近代東アジアの言語・文学・出版。現在は、中国古典詩文が一つの世界として成立したことの意味を、さまざまな角度から考えている。主要著書に、『漢文脈の近代』(名古屋大学出版会)、『古詩紀』(汲古書院)、『漢文脈と近代日本』(NHK出版)などがある。
今回は、前回学んだ中国での書物の歴史を踏まえ、日本に於ける書物の歴史について学習した。
まずは和刻本漢籍を手に取り、書誌情報を調べる実習から。前回は内題を取るだけであったが、今回は内題の他に刊年及び原刻年代についての記述を見つけ出す作業を行った。和刻本とは、中国の書物を日本に於いて覆刻もしくは新たに刻したものだが、この実習で確認できるように原刻年代など原本の書誌情報も合わせて覆刻されているため、しばしばその元となった唐本についての重要資料ともなるのである。
日本では、上代から近世まで一貫して写本が書籍の多くを占めたが、刊本も鎌倉時代の五山版を先駆けとして発展し、江戸時代には銅板印刷も発明された。その中で、活字印刷も、16世紀から17世紀にかけて行われたが、増し刷りしにくい等の問題により衰退し、ステレオタイプを用いる近代活字印刷術の輸入によってそれらの問題が解決されるまで、整版が一貫して主流であった。
最後に、活字についての実習を行った。朝鮮王朝では王朝が鋳造活字を定めていたが、王の世代ごとに改鋳があり、字体がやや異なった。そこで、実際に朝鮮本を開き、各年代の活字と見較べ、その本がどの時代の活字によって印刷されているかについて考えた。結論としては、恐らく1777年施行の活字と考えられるのだが、1772年や1618年などのそれ以前の字体も見られ、当時、古い活字も流用されていたことが推測される。
傅健興 Fu jianxing
財団法人寧波旅日同郷会・理事長、株式会社新世界・代表取締役。銀座揚子江菜館・銀座大飯店・赤坂山王飯店・自由 が丘南国飯店にて修行。現在、神保町新世界菜館・咸亨酒店・上海朝市を経営。また、日清食品・味の素の各料理教室で講師を務める。
第一回目の講義では、中国料理の概要と変遷について、地図やレジュメを用いて説明が行われた。講義で強調されたのは、日本で一般に抱かれている中国料理のイメージは、実際の中国料理のごく一部の側面に偏ったものであるという点であった。まず、中国料理というのは中国でみられる料理の総称であり、実際には地域ごとに異なる料理が存在する。広大な国土における料理の違いは、8~36種類に分類することができる。
また、中国料理は中国の4000年にわたる歴史の中で、他の文化や習慣の影響を受けながら、常に変化し続けてきた。長い歴史を振り返った時、日本で今日考えられている中国料理は「ごく最近の」料理である。中国料理と聞いて思い浮かぶ料理名にはどういうものがあるかという質問に対し、学生側からは麻婆豆腐などの名前が挙げられたが、それらを例に解説が進められた。例えば、麻婆豆腐は発明されたのはわずか100年ほど前のことであり、四川料理の特徴と考えられている唐辛子が利用されるようになったのも400年ほど前のことに過ぎない。食材のみならず、中国料理から連想されることの多い「強火で炒める」という調理法も、歴史的にみるとそれほど長い歴史を持つものではない。こうした料理法や食材にみられる変化を追った上で、その変化はかつては何十年単位の時間をかけて伝播していたが、現在でははるかに早い速度で中国国内に広がっているという点が指摘された。
傅健興 Fu jianxing
財団法人寧波旅日同郷会・理事長、株式会社新世界・代表取締役。銀座揚子江菜館・銀座大飯店・赤坂山王飯店・自由 が丘南国飯店にて修行。現在、神保町新世界菜館・咸亨酒店・上海朝市を経営。また、日清食品・味の素の各料理教室で講師を務める。
今回の講義は、先生が数種類の中国料理を作りながら説明を行なう、という形式がとられた。電子レンジやIH調理器などの新しい調理器を利用すると同時に、調味料に関してもオリーブオイルを使うなど、前回同様、中国料理に対して日本で広く受け入れられているイメージを覆す内容であった。作られた料理はいずれも、多くの日本人が想像するであろうこってりした味付けではなく、素材の味を活かしたさっぱりとした味付けがなされた。具体的には、ほうれん草のおひたし、なすの炒め物、キャベツとベーコンの炒め物、きゅうりと茹でた豚バラ肉に特製ソースをかけたもの、カリフラワーとベーコンの炒め物、チンジャオロース、豚の茹で汁を利用したスープなどの料理が作られた。調理の際には、油に直接塩を入れて野菜を炒め、まんべんなく味を馴染ませる方法や、調理時間を短縮するだけでなく栄養素を逃がさないという利点を持つ、電子レンジを用いた野菜の下ゆで法が紹介された。
受講者は、先生の実演を見ながら説明を聞き、野菜をちぎったり刻んだりといった作業を通じて、調理にも一部参加した。さらに、完成した料理を味見することによって、従来のイメージとは異なる「中国料理」を「五感で学ぶ」ことになった。今回の講義では、調理補助や質問等を通じて、受講生の積極的な参加が特に目立った。
板倉 聖哲 ITAKURA Masaaki
東京大学・東洋文化研究所・准教授。専門は、中国絵画を中心にした東アジア絵画史。現在の研究課題は北宋時代知識人の表象、南宋時代画院画家の研究、元時代文人画の基盤。講義に関連した著書には『南宋絵画-才情雅致の世界』展図録(根津美術館)『元時代の絵画-モンゴル世界帝国の一世紀』(大和文華館)『明の絵画』(日本放送出版協会)などがある。
第一回目の講義では、まず、中国の南宋時代に描かれた猫や犬に関する絵画について、スライド写真を使いながら解説が行われた。題材として用いられたのは、13世紀前半に毛益によって描かれたと考えられている「蜀葵遊猫図」と「萱草遊狗図」である。これらの絵は、いずれも一匹の親と四匹の子を描いたものであり、動きのある、共通した構図がとられている。また、子猫の視線の先に蝶を描くことによって長生祈願の意味を持たせるなど、構図には吉祥的な意味も含まれている。画法に関しても、毛の質感などによって画材を使い分け、絵の表と裏それぞれから彩色するなどの工夫がみられるという。
次に、毛益の絵画に代表されるような南宋院体画風が韓国や日本に影響を与えたことが説明された。そうした韓国や日本における動物画は、同じ南宋絵画から出発しているものの、それぞれの歴史の中で違った方向へ発展を遂げていった。韓国の場合は、民画につながるのどかな雰囲気で描かれ、南宋絵画で描かれている種類の愛玩動物が知られていなかった日本では、霊獣を描いた絵画として継承されることになった。また、日本における動物画は、韓国の影響も受けることになった。
講義の最後には、松涛美術館で行われている美術展「上海―近代の美術―」など、現在開かれている美術展についての紹介が行われた。
板倉 聖哲 ITAKURA Masaaki
東京大学・東洋文化研究所・准教授。専門は、中国絵画を中心にした東アジア絵画史。現在の研究課題は北宋時代知識人の表象、南宋時代画院画家の研究、元時代文人画の基盤。講義に関連した著書には『南宋絵画-才情雅致の世界』展図録(根津美術館)『元時代の絵画-モンゴル世界帝国の一世紀』(大和文華館)『明の絵画』(日本放送出版協会)などがある。
二回目である今回は、16世紀頃に韓国で描かれた三幅の「瀟湘八景図」(洞庭秋月、瀟湘夜雨、煙寺晩鐘)を直に鑑賞し、瀟湘八景図を介して中国・韓国・日本についての解説を受けた。
「瀟湘八景図」の鑑賞は、グループごとに交代で行われた。多くの水墨画と同様、これらの絵は墨の他、茶色がかった絵の具なども用いて描かれている。いずれも日本式に掛け軸として表装されており、ボードに吊るして鑑賞することになった。ガラス越しではなく、直に鑑賞することによって、受講者たちは微妙な色彩や質感をより一層感じ取ることができたと思われる。
交代での鑑賞と並行して、瀟湘八景図に関する説明が行われた。瀟湘は、中国湖南省の洞庭湖とその南にある瀟水・湘江の流域を指し、古代神話を想起させる景勝地であった。中国北宋時代の画家である宋迪が絵画の主題として用いた瀟湘八景は、その後記号化され、またそこからの逸脱をみることになった。さらに、瀟湘八景図は、韓国や日本においても山水画の重要な主題として用いられることになるが、前回の動物画と同様、瀟湘八景の主題は異なった方向へと展開していった。例えば、韓国においては、北宋時代的な構築的な絵が好まれたが、日本においては南宋絵画、なかでも湿潤な風景画が好まれたという。こうした解説は、スライド写真を見て確認しながら進められた。